肆 雫石葵 ──失踪事件から六十三日
二人が帰り、私はため息を吐く。どうして八重は仲良くしてはならない奴と仲良くやってきたのだろうか。大爺様に怒られるのは目に見えているだろうに。
それにしても、八重は心配しすぎだ。私は血が苦手というわけでもない。そう思われがちだし、八重は世間知らずだから余計分からないのだろう。私が裁縫でよく血を出すということも。
「入っても良いかしら」
「あ、はい」
楓様がやってきた。しかも、制服ではない。洋服だ。私は驚きのあまり声を失った。三石家は確かにお金持ちかもしれないけれど、まさか洋服を買っちゃうとは……。
「お母様がお見舞いに行くのなら着て行きなさいと言われたのよ。それに花桜家の大爺様にかなりご立腹の様子だったわ」
「反抗心ですか? 」
「ええ、そうよ。お母様もお洋服を着ていたわ。たまに反抗心を持つのよね」
八重の祖父にあたる人、通称・大爺様は四家の中で一番力を持っている頑固なお爺さんである。他の三家はお洋服をいくつかパーティー用にお持ちだが、花桜家は和服である。大爺様がお許しにならないから、とか呆れてしまう。楓様の家が一番お金を持っているのに力を持つのは大爺様。そのことがあるため、よく二家は喧嘩している。
「まるでおふらんす人形みたいで、お美しいですわ」
「そうかしら? ──それで、大丈夫みたいね」
「ええ。細波さんを巻き込むのには心苦しかったですけれど」
「何かあっても大丈夫よ。あなたのお家は細波家よりも力がある。ねじ伏せるのは簡単な事よ。私のお家もその気になれば……。あの事を伏せることも簡単よ。裁くのは我が家なのだから」
「有り難う御座います」
「新しい噂もまいてあげるわ」
楓様の助けはとても頼りになる。彩龍慈繰祢を襲った犯人をでっち上げたなんて、あの頑固な大爺様が知ったら私の家がつぶされてしまう。だから楓様の力が必要なのだ。
「それじゃあ帰るわ。あなたはしばらくどうするつもりなの? 」
「そうですね……。八重とあまり接したくないのでお休みします。雫石家の名に傷がつかない程度に休みますわ」
「それなら、三日程かしら? その間、他にしてほしいことは? 」
「桐朋砂納の評判をもっと最悪にしてください。八重と友達になってるので、離したいのです」
「……へえ、なるほど。分かったわ。善処するわ」
楓様が出て行ったのと立ち替わりにお母様が入ってきた。心配顔だ。
「倒れたのでしょう、葵。だから女学院に連絡したわ。三日程休ませて欲しい、と。好きなことをしなさい」
「有り難う、お母様」
「疲れが溜まっているのよ。大丈夫、大爺様も説得したから」
あの頑固な大爺様も第一発見者の私の心がどうなったのか、と分かったのだろうか。それとも交換条件を?
ともかく、私は自由に動ける。それも三日も。嗚呼、何をしようかしら。
あの傷の深さだと、繰祢には会えない。──そうだわ。笹本家に行こうかしら。
雲雀地区まで馬車で行くことにした。最近、お父様が足を悪くされて雫石家専用の御者と馬車を三つ買ったのだ。だからお金は払わなくてよい。
「喜一、雲雀地区まで乗せて頂戴」
「へぇ、わかりやした」
──小一時間程して着いた久しぶりの雲雀地区。相変わらず大自然で、その中に幾つかお屋敷が見える。
雲雀地区の入り口の近くにある三石家の元別荘で笹本家の別荘。三石家元当主が笹本家に病弱な娘と共にあげたというそこそこ大きな屋敷。
「こんにちは」
声をかけても反応がない。そうっと扉を開け、めぼしい部屋に近付く。
「徹様、明日帰るだなんて言わないでくださいよ」
「もう少し一緒にいたいですわ」
「すまないね。お仕事が溜まったら君達に会えなくなっちゃうんだ。そう、家がなくなる」
「え~じゃあ仕方ないです」
私は離れる。当主の女遊び癖の酷さは聞いていたが、ここまでとは……。
お仕事を放棄するから笹本家は他の三家よりも低いのだ。揚さんは知っているのだろうか。
「あら、雫石さん」
「揚さん、こんにちは。お話しませんか」
「お気持ちは嬉しいのだけれど、私はこれからお母様に会いに行くの」
「それなら私も……」
「ごめんなさい、今は無理なの。それじゃあ失礼するわね」
揚さんはそそくさと玄関から出て行った。私は仕方ないので、笹本家の素晴らしいお庭を見ることにした。
他の三家から唯一褒められる、優れた見る目。華京地区のお店は全て笹本家を中心に選んでおり、中々素晴らしい。
元々三石家がほとんど放置していた荒れ果てたお庭。それを四季折々の花が咲き誇る見事な庭園に仕上げたのだ。女遊び癖は酷いのに、こういうのは自分でやり、出来る当主というのを前面的に押し出している。
庭園には先客がいた。あれは確か、笹本家の前当主夫人……。
「あら、あなたもここに? 」
「はい」
「誰が仕上げたのかは分からないけれど、とても素敵よね。義輝さんもきっと気に入るわ。今度一緒に来ようかしら」
「……」
この夫人は前当主である笹本義輝が夭折してからおかしくなっていると私は聞いたことがある。だからあまり関わるのはよくない、とも。本当にそのとおりだ。
私は黙って夫人の戯言を聞いていた。返事などしない方がよい。なにせ、内容が滅茶苦茶なのだ。彼女の中では義輝さんが生きており、現当主の徹さんが少年。つまり、徹さんが婿に行く前、義輝さんも生きていた頃にこの人は未だに生きているのだ。本当に馬鹿馬鹿しい。
「徹ちゃんの連れてきた孤児、中々可愛いわ。私の養子にしちゃいたいくらい。でも徹ちゃんは笑って、駄目だよ、って言ってくれるのかしら……」
「……」
私は苛々してきた。その場から去ることにした。
去る際、彼女は私に声をかけなかった。
用はもう無いので、去ることにした。──あの場所に寄ってから帰ろう。
雲雀地区にある私の従姉の住まい。彼女は雫石家から追い出されており、会うことは許されていない。
もちろんそれが喜一によってお父様に告げ口されたら面倒なので、喜一には一旦帰ってもらうことにした。一時間後に迎えにくるように、と伝えた。
「お姉様、いらっしゃいますか」
「ん、いるよお」
相変わらず呑んでいる。お母様は姪にあたる翠お姉様が本当に心配らしく、時折見に行かれているらしい。
扉を開けると、大量の高そうな酒瓶(空)に囲まれて幸せそうなお姉様がいた。お母様は本当に甘い。こんなにたくさんお酒を与えるとは……。
「えへへ、久しぶりぃ」
「お久しぶりです、お姉様」
「ごめんねぇ、だらしなくて、いま片づけるからさぁ」
これで十八なのだ。恐ろしい。
翠お姉様は昨年、女学院であろう事か楓様につっかかったらしい。よくやったものだと私は呆れたが、なんと更に楓様を軽く殴ったという。(これには目を丸くした)その後、雫石家当主、花桜家当主、三石家当主、女学院院長の判断で翠お姉様を追い出した。
それ以来、元からお酒好きだった翠お姉様は更にお酒にのめり込んでしまった。お母様が家から出られない翠お姉様を可愛がって、与えるものだから益々酷くなるばかりだ。
私は応接間で先に待っていた。ちなみに台所は応接間にある。
水を五杯程飲まれ、すっかり酔いの覚めた翠お姉様が私の横に座る。お酒臭い。
「──それで、どうしたの? 」
「いえ。少し暇になったもので、そろそろ事件のことを聞こうかと」
「ああ、あれ。でっち上げだよ。本当にあの女は性悪だからね」
「誰のことを言ってるのですか、お姉様」
「楓のことだよ。幼なじみのはずなのにさ、お家が大きくなってからあたしのことぞんざいに扱ってね。とうとうあたしを追い出すことを思いついたのよ。本当に呆れたわ」
「楓様は立派なお方ですわ。酷評は許しません」
翠お姉様はため息をつき、元々鋭い目つきを更に鋭くした。怒っている。でも、何に? 私、怒らせるような事言ったかしら。
「葵、あんた同学年じゃないから分かんないんだろ。楓が一体どういう奴なのか」
「楓様はお優しい方ですわ。他の二人が中々会ってくれないのに、会ってくれましたもの」
「あいつはただ仲間が欲しいだけだよ。何かあっても覆い隠すための仲間が欲しいんだ。冷たい人間だよ。本当に貴族らしいというか何というか……」
「……っ! 」
私は涙が溢れて止まらなかった。大好きな翠お姉様に大好きな楓様を傷つけられた。酷評された。貶められた。
楓様は冷たくなんかない。仲間は大事にしてくれる。翠お姉様は妄言を言ってるんだ。翠お姉様は、翠お姉様は──!
ふと顔をあげると、穏やかな顔つきの翠お姉様が私を優しく見ていた。
「……そんな怖い顔をしてまで、泣くなんて想像もしなかったよ。葵、あんたの母さんから聞いたけど最近楓と親しいんだってね。やめときなよ。あんなお嬢様と親しくするのは葵には似合わない」
「どうこう言われる筋合いはありませんわ」
「そ。んじゃ、最後の警告。楓と親しくなりすぎたら破滅するから気をつけなよ」
去り際に玄関で翠お姉様は最後にこうも言った。
「楓と親しくするのなら、あたしには会わない方がいいよ。──覚悟を決めなよ」




