參 花桜八重 ──失踪事件から六十三日
「葵。繰祢様に会うって本当?」
「そうよ。会う約束が取れたの。そろそろ大丈夫って」
「へえ。まあ、頑張ってね」
「ええ」
葵はそう言って放課後の教室から出た。スゴい笑顔だったけれど、大丈夫かしら……。
すると、廊下からやけに明るい声が聞こえてきた。
「あら、まだいたの? 」
「桐朋さん。そっちこそ」
「あたしはね、放課後は必ず残るの。こう、何というか、開放的だから」
「……へえ」
「家だとさ、居づらいのよ。あたし、後継ぎの死んだ後に生まれたから」
「それは不吉」
教室に桐朋砂納が入ってくる。それなりに売れている桐朋仏具の娘。十離れた兄がいたらしいけれど、ある日亡くなった。彼はとても優秀で、彼の亡くなった後に生まれた砂納が悪いということにされた。まあ、私もこんな感じに聞いている。
「あたしね、ほんとはここに通いたくない。居場所が出来たら辞めたいぐらいだし」
「私もそうよ」
「でしょ? 」
後継ぎ以外の子供ならば誰もが共感することだ。家には後継ぎがいる。当然、両親も使用人も構うのはそちらばかり。私はお姉様がいなくなり両親からは責められはしなかったものの、当主である大爺様から責められた。今も極力家にはいないようにしている。
目の前にいる桐朋さんも似たような境遇。私はついついお話を続けてしまう。
──それから時刻が四時になり、私は流石に遅いと感じ始めた。
「葵、遅いわ……」
「そうだね。ずっと話してるのもあれだから、もうそろそろ見に行く? 」
「ええ、階段のところまで行ってみてみましょう」
四階はお姉様、楓様、繰祢様の誰かが同伴するか、許可しなければ上がれない。そのため、私達は階段の所までしか行けない。
階段の所には楓様がいた。
「どうされましたか? 」
「繰祢が刺されたみたいなの。今、雫石さんが先生を呼びに行ったわ」
「……! 」
血を見て葵は大丈夫だったのだろうか。そういうのに弱いのに、よく耐えたみたい。
「一体誰が……」
「繰祢もいなくなったら、私一人だわ。どうしたらよいのかしら……」
「楓様……」
楓様は弱々しかった。その側に細波さんがやってきた。
「葵さんが倒れたので、先生と私でここに来ました。後はお任せください」
「あら、ありがとう。助かるわ」
私と桐朋さんはやることがなくなったので、その場を離れどうしようかと話すことにした。
「私は葵が心配だわ。桐朋さんがよければ、お見舞いに行くけれど」
「私も行く。だって、八重とはもう親友みたいなものだもん」
「……あら、ありがとう」
大爺様が聞いたら顔を真っ赤にして怒りそうだが、今の私には関係ない。桐朋さん──砂納とは共感できる話もある。親友は一人でも多い方がいい。
細波さんに近寄り、砂納が葵が今どこにいるのか訊いていた。その結果、葵は家に帰ったらしい、と分かった。
「名塚地区、か。んまあ、私は大丈夫かな……」
「葵の家は名塚地区の中でも商人の頂点にあるわ。だからなるべく丁寧に」
「また猫被らなきゃ……」
葵と私が仲良しになれたのも、それが理由だ。大爺様が私の幼い頃に友達だ、と連れてきたのが葵。雫石家が商人たちの中の頂点ということで、大爺様は気に入ったらしい。ちなみに葵はその頃から人の心を掴むのがとても上手かった。
私たちは馬車に乗り、名塚地区へと向かう。私は極力歩かない。以前、歩いて名塚地区に向かったら大爺様に怒られた。花桜家の娘なのだから堂々と馬車に乗れ、と。訳の分からない話だが、後継ぎではなくても名高い家の娘だから歩くな、とのこと。
──名塚地区に到着した。ちなみにお金は砂納だけとられた。やはり砂納のことは良く思われていないのか、馬車の御者は苦い顔をしていた。
「いつもこうなの。私が馬車使ったら御者の人からあんな顔されるし、家族から怒られてしまうの」
「……それは酷いわ」
大きな和服店。葵の家は200年の歴史を誇る雫石和服店。私の大爺様からも認められており、女学院の制服や四家の和服も作っている。
二階の葵の部屋で葵は何か縫っていた。
「葵、大丈夫? 」
「うん、まあね。あれ、もう一人」
「桐朋砂納さん。同じ学年の」
「へえ。わざわざありがとう」
「い、いえ」
「私はもう大丈夫よ。心配してくれてありがとう」
「うん……明日から来れそう? 」
「それは分からないわ。それじゃあまたね」
葵はそそくさと私達を追い出してしまった。意外と平気なようだ。
しかし、隣で砂納は今にも泣きそうな顔になっている。
「ど、どうしたの? 」
「雫石さんは私が嫌いなのよ、きっと。商人は皆知っているわ。私がどんな子なのか」
「……もしかして、私の大爺様のせい? 」
「多分。でも八重には関係ないから。私は八重は恨まない」
それは有り難かった。私には友達がたくさんいるが、大爺様のせいで私を恨む人もいる。砂納はそんなことをしないと言う。
私を恨んで当然なのに、砂納はとても優しい。自分が嫌われていても仕方ないと諦めているのかもしれない。
「私はここから歩いて帰るわ。また明日」
笑顔の砂納と別れ、馬車に乗る。家に戻るのはとても不安だった。既に大爺様の耳に入っていたら私は……。
しかし、そんなのは杞憂だった。大爺様は会議に出ており、両親がいた。
「お帰りなさい、八重」
「ただいま帰りましたわ、お母様」
「彩龍慈家の娘が襲われたみたいね。大爺様はその会議に出ているわ」
「……そう。あの、繰祢様の容態は」
「あまり思わしくないわ。私もほんの少し聞いただけなのだけれど、面会遮絶らしいの。傷が深いとかまでは……」
お母様の言葉に私は驚いた。ほんの少し刺されただけならばそんなことはないはず。つまり、かなり深いというわけだ。──では犯人は?
「三石家が裁くことは断じて認めん……認めんからな! 」
「大爺様、落ち着いてください」
「まだあの疑いも晴れておらんというのに、何ということだ! 今から罪滅ぼしのつもりか!? 」
「大爺様! 」
玄関の側にある、応接間から大爺様が出てきた。顔を真っ赤にしており、怒っているのは一目で分かった。隣で菫さんが必死に宥めている。
応接間から三石家の当主も出てきた。こちらは静かに怒っていた。
「疑いすぎですわ。あのこともわたくしは関係ありませんし、罪滅ぼしのつもりでもございません。疑うのなら笹本家を疑ってください」
「まあまあ、お二方。これ以上関係を悪化させないでください。──笹本家が怪しいとまあ私も思います」
「……そうか。では笹本家を調査せよ、菫」
「御意」
「それではわたくしは帰りますわ」
「私もです」
彩龍慈家の当主も出てきた。どうやら一番立場が弱い笹本家はこの場にいないらしい。そして勝手に疑われていた。
「織が嫁いだ家ですもの。怪しくて当然ですわ」
「ははは、そうかもしれませんなあ」
ちなみに三石家当主・三石椿は笹本家当主夫人・笹本織と姉妹なのだが、私は仲良く話している二人を見たことがない。それどころか、ほとんど立場のない笹本家に嫁いだ織さんを椿さんは見下している。元から冷え切っていたのが更に冷えてしまっている。そんな感じの姉妹だ。
二人の当主と補佐の菫さんがいなくなると、大爺様はこちらを見てくることもなく、去った。
ひとまず、怒られなくて安心した。




