貳 細波澪 ──失踪事件から六十一日
昨日の笹本家で起きたことは秘密にするように、と繰祢様から言われた。
笹本家は元から脆弱なお家で、華京地区にいるのはお店を選ぶ目があるかららしい。しかし、奥さんと旦那さんがあまり揃って現れないため、好ましくは思われていないのは誰でも分かることだ。
当主を支える妻がいなければ、そのお家は見下されるというお金持ちの厳しい判断。私はそれがおかしいと思う。
笹本夫人は結局、そのまま病院に行ってしまった。揚様はかなり泣いていて、繰祢様は泊まると言い出したくらいだった。おそらく、笹本夫人はもう戻らないかもしれない。
「澪、どうしたの? 」
「砂納……別に何でもないよ」
「そういえばさあ、とうとう笹本家のご夫人が倒れたんだって? 当主様、かなり顔立ちが良いから今から争奪戦が激しくなるわよ。見物よね」
「……ど、どうしてそれを」
「笹本家の当主様が自ら華京地区の他の三家と名塚地区の商人に言ったから、私もお母様から聞いたの。名塚地区に住んでる人は昨日の内に知っていたと思うわよ」
「そうなんだ……」
奥さんが倒れたことを他の三家だけではなく、十何家もある商人の家に言った? しかも、砂納の言い方からして口封じはなし? まるで、奥さんが亡くなるから誰か新しい奥さんになって、と言っているようではないか。どういう頭をしているのだろう。
「でもおかしいよね。普通なら奥さんの側にいるはずなのに」
「砂納もそう思う? 」
「うん。私ならそうするもの」
「あなた達は本当にお馬鹿さんなのね。呆れてしまうわ」
「久遠さん! 」
「我が家だって、一番目が亡くなってからすぐに結婚しましたのよ? お陰でお店は大繁盛! 華京地区に来れたのも、私のお母様の努力のお陰。鈴音なんかはただ病弱で迷惑しかかけてませんわ」
「……」
久遠和菓子屋。華京地区にあるとびっきり美味しい和菓子があるお店。久遠空はそこの二人目の奥さんの娘。一人目の奥さんは空の義姉・薫さんを産んですぐ亡くなってしまった。それから半年後に旦那さんは再婚したのだ。(ちなみに空の父親は二人目の奥さんの元旦那さんである)
確かに、久遠和菓子屋は二人目の奥さんがやってきて数ヶ月して繁盛し出したかもしれない。でも──。
「まあ、鈴音に感謝しているのは薫を生んだ事ぐらいですけどね、ホホホ」
独自論を勝手に展開してどこかに行ってしまった。
薫さんはこの女学院にはいない。あんな我が儘で血も繋がっていない妹を心配して辞めてしまった。私的には居て欲しかった。
「二人とも久遠さんに絡まれていたけれど、大丈夫? 」
「うん、なんとか」
「実はさ笹本家、あまり良くない噂ばかりあるの」
「え? 」
麻呂眉が特徴的な清水茜。彼女が話しかけてきた。
「夫婦は全く上手くいっていないとか噂があるの」
「……それが本当なら」
「笹本徹が全て……」
放課後になっても私の心の中には笹本徹へのよく分からない気持ちは晴れなかった。これはきっと憎しみなのだろう。
私は繰祢様に相談することにした。繰祢様のお部屋をノックしようとした時、中から話し声が聞こえた。扉に耳をあてる。
「揚、学校を辞めるって……そんな」
「私はもう決めたの。お母様も倒れたのだから、お父様を私が支えないといけないでしょう? 」
「──揚、まだあの浮気男を信用しているの? 」
「繰祢、私のお父様について悪く言わないで。あれはただ女遊びが好きなだけよ。趣味なのよ」
「それでも、あなたのお家は久遠家みたいに自由にしたらダメでしょう? 趣味で八人と付き合うのも許されないお家なのよ」
「だから? お父様は当主なのよ! 当主だからこそ、自由でいいでしょう!? 」
「揚! 」
扉に笹本先輩が近付いてくる。私は慌てて近くの空き教室に入った。
「あ……」
そこには、楓様がいた。いつもの妖艶な笑みを浮かべ、そこにいた。
「人というのは噂に惑われやすいわね。噂だけで人間関係が崩壊してしまう。見ていて飽きないものね」
ゆっくりと近付いてくる。私は急に怖い、と思ってしまい、急いで出ようとしたが開かなかった。──嘘、でしょ?
「私の仲間がどれほどいるのかご存知かしら? 今も扉の前に私の仲間がいるわ」
「──っ」
「繰祢もとうとう一人ね。三つの派閥の仲間を手に入れた私には適わないわ。ふふ」
中等部の卒業式の日に会った楓様はとても優しいお方だった。私はそんな楓様に憧れていたのに。一体、どうして。
「あなたの持ってる情報、くれないかしら? 」
私は目を瞑り、覚悟を決めた。




