壹 彩龍慈繰祢 ──失踪事件から六十日
私は苛立っていた。女学院にて私を否定した紙をばらまいた奴がいると後輩から噂を聞いたためである。どうせ、楓様派か桔梗派だろうけれど、楓様に利用されている奴ならばとてもややこしい。
お陰で私は今日一日、とても過ごしづらかった。
今も一人でお茶を楽しみながらばらまいた奴を心の中で憎んでいる。
「桔梗はいつ戻ってくるのかしら……」
桔梗が少し遠くに行くとお茶会で発言したのは約二ヶ月前。少し寂しげな様子だった。
『私が少し遠くに行けば八重は寂しがるわよね。でも、楓様を納得させないと私はここでは生きてゆけないわ』
意味深だったと気づいたけれど、止めはしなかった。楓様は私達三人の中で一番強い。元々四つあった派閥を一つ減らしたぐらいだ。逆らえば、それは精神的に死ぬことになる。
そして、その翌日に本当にいなくなってしまった。
「繰祢様」
「あら、澪。どうしたの? 」
「お一人では寂しくありませんか? 」
「……ええ、そうね。元々賑やかだったのに、私一人だけになってしまったわ。楓様は私を仲間とは思ってくれないみたいだもの……」
「私がご一緒しますよ。一人ではお茶会の意味がありませんもの」
「そうね。ありがとう」
澪は私が一番大事にしている後輩。本当の妹のように接している。
──このお茶会が崩壊したのは三月の終わりだった。突然、楓様が揚をひっぱたいたのだ。そして、もう二度とここには来ないで頂戴、と睨みながら言った。あれから私と桔梗は楓様を恐れている。揚を登校拒否にまでに追いつめた楓様。優しい優しい楓様は三月に豹変してしまった。
「今日も笹本先輩のとこに行くのですか? 」
「そうよ。事の真相が分かるまで諦めないわ」
「ですよね。優しくて美しい楓様が豹変してしまった理由。私も気になります」
「それじゃあ、これから行きましょう」
笹本楊。かつては派閥を作り、私達と同じ位置にいた明るいお嬢様。しかし、楓様と何かあり、一気に最下層・登校拒否生徒へと落ちた。理由はよく分からない。元楊派は楓様派についており、訊こうにも訊けない。
笹本家のお屋敷は楊が三月に登校拒否になって以来、女学院から遠く離れた雲雀地区に引っ越している。そのため、馬車を使わなければ二時間かかる。
「本当に大きなお屋敷ですね」
「女学院の近くの一等地に比べればここは安いのよ。澪の住む名塚地区よりも安いから」
「へえ」
ちなみに引っ越したのは楊と数名のお世話係で、両親はお仕事があるため引っ越していない。呼び鈴を鳴らすと、お世話係の一人が出てきた。
「お嬢様のお友達と……そちらの方は? 」
「私の後輩ですわ」
「今日はお嬢様が珍しく応接間におりますよ」
その言葉に私は驚いた。早速応接間に行くと、楊が座っていた。かつての明るさは全く感じられない。着ている和服も大好きな橙色ではなく、紫色。気持ちも沈んでいるのかもしれない。
楊にばかり目がいっていたが、隣には楊の母親が座っていた。
「……彩龍慈さんに細波さん。ご一緒にお茶でもいかがかしら」
「ありがとうございます」
「たまにはと思ってね。この子もふさぎこみがちだから」
「なるほど」
笹本織。とても華奢な体をしていて、病弱な人。笹本家に行っても中々会えない揚の母親。
彼女がかなり無理をして娘の横にいるのはよく分かっていた。顔がかなり青白い。いつ倒れてしまうのか分からない。
私達はソファに座り、置いてあったお茶を飲む。織さんはよく見たらお茶ではなく、漢方を飲んでいた。
「せめて、私が生きている内に、復学してほしいものね……」
「……」
「あの、織さんはそんなに」
「気にしないで、いいのよ。私、昔から、いつ死ぬか分からない、って……言われていたから」
「……」
揚は顔を伏せたまま。話を聞いているのかすら怪しい。
澪は気まずそうにしている。黙々とお茶を飲み、あまり関わろうとしない。
織さんがゆっくりと倒れていく。
「ごめんなさい、揚……」
「奥様! 」
扉の近くにいた使用人が倒れた織さんを運んでいく。その光景にやっと揚は顔を上げ、目を見開いた。
「おかあ、さま……」
久しぶりに聞いた揚の声はか細かった。




