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華京女学院~闇に咲く乙女たち~  作者: 神崎美柚
第漆話 笹本家の失墜
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壹 井上和志 ──六月十日

 笹本織。旧姓三石織。病弱な彼女を引き取りたいと申し出たのは、ほかでもない笹本徹。昔からだれでも彼でも救おうとしていた。その優しさにはほとほと呆れていたが、彼は貫き通す気のようだ。例え貴族達に嫌われようとも、彼は自分の家がやっていることを誇り続けるだろう。

 そんな笹本徹が突然、日本酒を私に注文してきたのだ。しかも直接届けて欲しいとのことで、気でも触れたのかと思った。

 無駄が一切排除された笹本家。もちろん、使用人はいないので自力で捜すこととなる。やっとの思いで見つけた彼は、雅な庭園を整備していた。


「妻が倒れたというのに、庭の整備か。そしてその後に優雅に日本酒を嗜む……といったところか。庭師ぐらい雇ったらどうだ」

「相変わらずだな、和志のその減らず口は。昔から言っているだろう? 庭師を雇ってしまったら、庭師の余計な感情が入ってせっかくの風情な庭園が台無しになる。あと、私の妻は無事だ。いつものように無理をし過ぎたことによる過労だ」

「だが、段々脆弱になっているのは間違いないだろう。すぐに過労で倒れてしまう、それは昔はなかったことだ」

「──そのことだ。君と話したかったんだ」


 まあ座りたまえ、とすすめられて庭園を眺めることの出来る縁側に座る。彼もその隣に座る。


「織は昔から無理をする子だった。揚が生まれた後も、出来もしない母親というのを頑張ってやっていた。その頃は使用人と乳母を雇っていたから、無理をするなと止めたんだがなあ。……今日も織をお見舞いに行ったら、笑顔で私の似顔絵を描きたいと言い出したのだよ。本当に、織は、しようがない子だ……」

「……まあ、日本酒でも呑もう」


 徹の似顔絵を描きたい。──それは、多忙な彼の顔をもう二度と見ることはないのかもしれない、つまり、もう家には帰れないというのを表しているような気がした。明るい織なりに伝えたのだろう。徹に悲しい思いを私の前ではさせたくない、と。

 すすり泣きながら、徹は日本酒を呑む。日本酒を頼んだのも、私を呼んだのも、溜まったストレスを吐き出すためだったのだ。


「なあ、徹。織と結婚したら、いずれそうなると分かっていたのか? 」

「私は目先の幸せを考える男だよ。──それに、私は、織に最期まで楽しく過ごして欲しかっただけなんだ。私が引き取らなければ、織はきっとあの家で静かに亡くなっただろうから」

「そうか」


 徹はやはり自分が正しいと感じたことをする男なのだ。


 無言で日本酒を呑み、空になったところで私は退散した。徹も今日は寝るとのことで、私は三石家から出る。

 外では、馬車が待っていた。──これは、杏の馬車だ。


「お久しぶり、和志」

「……勝手に逃げたくせによく戻ってきたな」

「だって、仕方ないじゃない」


 杏が笑う。彼女は私にとっては敵とも言える野村貿易の跡取り娘だった。しかし、彼女が経済学部を卒業する数年前に野村貿易は大きな詐欺に引っかかった。商人にあるまじき失態を犯した故に、野村貿易の関係者は逃げた者以外は自殺という形で責任を取った。

その後杏は私の元へ逃げてきた。せっかく卒業しても、自分の才能が生かせない──そう思ったのか、卒業後私達は結婚した。空という一人娘まで出来たのだから、夢かと思った。

──だが、久遠和菓子屋という魅力的なお店が夫人を失ったと知るやいなや井本貿易から逃げた。お店に立ちたいと彼女が何度も懇願してきたのは、こういうことだった。

 ちなみに空は私のことを知らない。父親という存在を認識できる前に離れたからだ。つらい思いをしたくない私の我が儘だった。


「杏。どうして来たんだ」

「どうしてって……。飽きてきたのよ。それに、疲れたの。よく考えれば空を出産するぎりぎりまで働いて、生んだ後もそんなに休まなかったのよね、私。働きすぎも良くないかな、なんて」

「働くのが好きなくせに、何を言い出すんだ」

「冷たいのね。私、あなたのことは本当に愛しているわ。たまには一緒にいてもいいでしょう? 」


 つまり、今の夫のことはただの道具だと見下しているのか。中々に最低だが……私のことを愛しているのは初めて聞いたな。

 私は杏と共に馬車に乗り込んだ。どうせ、私には妻はいないのだから。


 杏と共に井本家の屋敷に戻る。杏は普通に屋敷の中に入る。


「懐かしいわ。この酒臭い香りは相変わらずね」

「杏は今も日本酒が好きなんだろ? 」

「ええ、もちろん。でも華京女学院の近くでは宴の席以外で女性がお酒を嗜むのは有り得ないことらしいのよ」

「帳簿担当なんだから、あの時から気付けよ。顧客がどういう人なのか、分かっていただろ」

「それもそうね。でも、私達のいた学院の付近はお酒も日常的に呑まれていたでしょう? 嗜む、ではなくグイッと呑む感じで」


 杏はいつの間にか居間にあった日本酒の瓶を手にとっていた。そして、開けてからグイッと呑む。

 華京橋のある華京川を境に華京地区は二つに分かれている。

 片方は女学院があり、いかにも貴族な場所。こちらでは三石家と花桜家がにらみ合っている。そして、物の値段が異様に高い。通称花桜方。

 もう片方は共学の学院がある少し庶民的な所。ここでは笹本家と彩龍寺家がそれぞれ暮らしている。彩龍寺家が元々お寺の住職だったこともあり、お寺が多い。通称彩龍寺方。

 習慣が全く異なる為、基本的に花桜方と彩龍寺方の貴族同士は結婚をしないらしい。商人の場合は有り得なくもない。

 二本目に手を伸ばそうとする杏を止める。このまま酔っ払ったら困る。お酒の匂いが染み着けば、当然久遠和菓子屋では異様と思われるだろう。


「何よ~せっかくいい気分なのにぃ」

「ほろよいで止めろ。花桜方の貴族が顔をしかめる」

「む……」


 杏は仕方ない、という顔でソファに横になる。第二の実家にでも帰ってきたつもりなのだろうか。


「明日は久遠和菓子屋の定休日だから、出かけてもかまわないよと旦那に言われたので、本日はここに泊まらせてもらうねぇ」

「……それでも君の名に傷が付くだろう。良くない噂が立つのは必然だ」

「きちんと挨拶まわりしてきたわ。第二の実家に休暇を利用して帰ってきたこともきちんと伝えたわ」


 ──ここの周りの貴族ならば、そりゃあ理解できるだろう。問題は花桜方の貴族だ。よくは思わないだろう。

 杏は知らないだろうが、ここの貴族とは違い、あっちの貴族は穏やかではない。裏ではこそこそと動いている。不安にさせないためにも、話さない方がよいだろう。


「くぅ」

「……寝たのか」


 杏の寝顔は穏やかだった。疲れていたんだろうな。


 花桜方の貴族でもう一つ厄介なのが、檀家だ。こちらならば、本来の意味を成している。檀家らしく一つの寺院を支援する。何かあれば助け合うなどなど。

 だが、花桜方では違う。そのお寺の支援の仕方が情報だ。国家転覆でも狙っているのか、情報を回すのが第一となっている。

 そのため、新参者が現れたらお寺に情報を回すべく貴族たちは新参者の素性を調べようとするだろう。しかも杏は──離婚後すぐに子供を連れて現れた。周りの貴族はどのように反応しただろうか。


「しかし、花桜方のお寺が謎だよな……」


 豪華絢爛。その言葉が相応しい花桜方にお寺なんてあっただろうか。こちらには、貴族になったがまだお寺を続けている彩龍慈家がいるが、花桜方にそんなのがいたという記憶はない。

 業平に──いや、無駄か。あいつは無理だ。下っ端とも言える業平が分かるはずもない。もし会うのならば、誰かの葬式だろうが、幼い頃にして以来誰も亡くならない。

 明日にでも三石織を訪ねてみよう。それが早い。

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