參 井口和志──五月十三日
和戸がぶっ倒れた翌日。和戸が呟いた『メイ、紫悠、──』という言葉からクオンに探りを入れようと考えた。
商人の多くは身分を偽っていることが多い。クオンもその一つ。和菓子屋を始めたのは先代当主だった。
とにかく無愛想な先代当主の和菓子屋はそこまで繁盛しなかったと聞いたことがある。だからこそ、現在の当主は明るく振る舞おうと努力していた。妻と二人、仲むつまじく。毎日毎日、ひたすら店の売り上げをよくするためのアイデアを考えて。
その様子ははっきりと覚えている元常連が多い。その当時は店構えも誰でも入りやすく、値段も安かったという。明るい鈴音夫人の話に引き込まれ、ついつい長居してしまう人も。私も一度だけあった。
『鈴音さんのお話はとても面白い。お酒を買われるお客様と違って、経営者ということもあるのかな』
『とんでもないですわ。私は経営者ではなく、ただの従業員ですもの』
『それでも、お客様とは違う観点のお話は非常に面白い』
『それはよかったです』
『今度、鈴音さんにお子さんが生まれたら極上のお酒を振る舞いましょう! 常連の皆様を集めて盛大にお祝いですよ! 』
『おおっ、井口の旦那、威勢がいいねぇ』
『旦那には子供がいねえからなあ』
『おい、お前それは余計だぞー』
『うお、井口の旦那昼から酒っすか』
『よっ、永久独身』
その時は思ってもみなかった。
同じ日に空と薫は生まれたのに、杏と会わずに鈴音だけ亡くなるなんて。
鈴音が亡くなったのにはいくつか疑問があった。病弱だと本人も語っていたが、働いているときはずっと元気だったし、無理をしている様子もなかった。
しかも、間接的に亡くなったと聞いただけで葬儀とかお別れの会はなかった。なぜ、と問い詰めたかった。でも、それは無理だった。
しばらくしてお店を訪れてみると、お店は閉まっていた。奥から念仏のように、ひたすら、ごめんな、と謝る声が聞こえてきた。
そのあとだっただろうか。杏は、いなくなった。
ひとまず有力な手がかりを得たくて箕作家にワイン片手に乗り込んだ。
「あら、また来たの? 好奇心旺盛な商人さん」
「ワインありますよ」
「そんなので気をひかれたって、まりあはあなたが嫌いよ」
「でも、ミステリーならお好きですよね。あと、久遠家の羊羹」
「うっ……。で、何なの。もう色々教えたはずだけれども」
「クオン──クオンメイについてです」
その時、子供っぽい言動を繰り返す彼女が一瞬固まった。やはり、知っている。
「彼女ならば死んだわ」
「それでは、久遠家に嫁いで、亡くなった鈴音のことをどう推測しますか」
「……はあ。知らないわよ、あなたがどうなっても」
「それはお構いなく」
「久遠鈴音──彼女は、私の姉よ」
「なるほど」
「彼女はあの日、一人だけ屋敷にいなかった。久遠家にいたのよ。早速メニュー作らなきゃって張り切っていたもの。私は笑顔で送り出したわ。両親も張り切りすぎて失敗するなよ、って苦笑しながらも見送ったわ。──そのあとだった。両親や屋敷の人間を殺し、私を半殺しにした凶悪犯が、訪れたのは」
「だからこそ彼女は……」
「ええ。当時は私も死亡扱いだったから、バレたら自分もお終いかもしれないと必死に久遠家に尽くした。でも、久遠家──クオンの鼻は正確だった。私が生きていることも知り、鈴音が生き残りだということも。鈴音の旦那は必死に拒んだとか、笑えちゃうわ。いっそのこと死んでしまえばよかったのに。身を挺して庇ったら良かったのに」
「それで? クオンメイは何者ですか」
「その前にワイン。喋りまくったから疲れた」
大人しくワインをついで渡すと、飲み干した。
「クオンメイは──。幼い頃から色んな家に養子に出されていた。そのたび、その家庭を崩壊させる恐ろしい子供だった。クオンの目的よ。家を幼い子のちょっとした言動で滅ぼすって。それならば、罪にはならないもの。事故、なの」
「……」
「納得したかしら。この先に触れたらダメよ。確実に、和志と和戸、そして業平の三人の仲は壊れてしまう。鈴音のことを教えたのだって、あなたが初めて。あまり深入りはしないで。滅茶苦茶にはしないで」
「──約束はできません」
「それじゃあ、一つ言うわ。──『メイの周りから、みんないなくなった』」
その言葉には不思議と聞き覚えがあった。幼い頃──もう20年以上も前のことだろうか。夕暮れ時、女の子が泣きながら言っていた。その前はなんと言っていたのだろうか。
「まりあは、あなたとはもう会わないから。深入りしたら──殺す」
小泉家と久遠家。両家の問題だと言いたいのだろう。でも、彼女以外死に絶えた小泉家が戦えるわけもない。
「それでは、また──」
私の最後の言葉は彼女には聞こえていないだろう。なにせ彼女は、耳をしっかりふさいでいたのだから。
こうも拒まれてしまえば余計に気になってしまう。元から、貴族を調べるのが好きだ。今度は業平を訪ねよう。この時間ならば、侍茶屋という共学の学院側の茶屋にいるだろう。
「よう、業平」
「おや、和志。先ほど和戸を訪ねたがありゃひどいな。もう二、三日は起きあがらんだろうなあ」
「そんなにクオンメイに対して思い入れでもあったのかな」
「──クオンメイ、か」
「業平は知っているか? 何なら、クオンの裏の顔を知りたい」
「教えれない。いくら友人でも、和志、お前は商人だ。それも貿易商なんだ。貴族にはあまり近づかないで欲しい」
「──なんでそうやって、線をつけるんだよ。雫石みたいな商人もいるじゃないか。それに、貴族と商人は非常に近い存在じゃないのか」
「お前は貴族というのを分かっていない。いいか、貴族は高潔な跡取りを生み出すためならば何でもする。商人の子供を連れ去ることだってする。……貴族の闇をお前には見せたくない。お菊お姉様とか花桜家の人間の内側を見せているだけでなぜ満足しない? 」
そのとおりだった。杏のお家だって、貴族に騙された。それで潰された。貴族は、法を犯すことすら出来るのだ。
……それでは不公平ではないか。でも、なぜ裁かれない?この国を支配しているのが自己中心的な貴族だからか?
「まあ和戸は普通に商売をやっていれば、あっという間におじいさんになるだろうさ。私には、未来など確約されていないからね」
「それじゃあ私が国を変える。業平、お前が安心した老後を送れるように、な」
「──ありがとう、その気持ちだけで嬉しい」
業平はお金を支払い、侍茶屋を後にした。
業平は幼い頃から、ここに入り浸っていた。私としては、笹本家や彩龍慈家の領地に迷い込んできたのかと幼いながらに思った。だからこそ和戸と一緒に声をかけたのだ。
『ねえ、きみってはなざくらなりひら、でしょ』
『……うん』
『どうしてここにいるの? おこられるよ』
『……いばしょなんてないよ。おねえさまふたりが、おとうさまとおかあさまをとっているもん。そのかわり、おばさんがゆうがた、ここにくるの。それまではここですごしてるんだ』
『じゃあ、ともだちになってあそぼうよ! ひまなんでしょ? 』
『え、う、うん』
それからは三人で遊んだ。そのおばさんが迎えにくるまで、ずっと。
学院に入学してからも三人は仲良しだった。業平はあのお姉様二人と会いたくないのか、授業が終わると大抵夕方まで学院の中にいた。
業平に詳しく聞いてみたことがある。その、二人のお姉様について。上の蘭お姉様は立派だけど、同じ顔をした下のお菊お姉様は立派じゃないと言われた。
──しかし、クオンメイについては思い出せない。




