壹 久遠杏──五月十日
花桜家の娘が先月失踪し、もう一ヶ月程たった。空はこの辺りの貴族の娘の中に自然にとけ込めるかとても不安だった。だからこそ、高等部でも鼻高なお嬢様を演じてもらうよう私は助言した。
私は店の奥に座り、あたふたと動き回る薫を見ていた。私は別に、女学院に通うことを低学歴だとは見なしていないけれども、女学院に払うお金の事を考えるととても厳しいものがある。
私自身、この辺りの生まれではないので、ここに引っ越す事が決まった際に周りのお店の奥様方に話を聞いたりした。すると、女学院に通わせるべきかどうかを聞いただけで笑われた。なぜ笑ったのか尋ねてみると、女学院は貴族の中の貴族が通うお遊びみたいな学院だからちょいと儲けが多くても通わせるのは夢のまた夢だからさ、と。
しかし、私の夫に女学院を今すぐやめさせるべきだと直談判したら怒られてしまった。久遠家がいつか貴族になるためには必要なことだし、それに空と薫を嫁に出す際、貴族との縁談話だって円滑に進む。──そう言われたって、私は首を傾げるしかなかった。一年間に払う学費は約三千万。中等部になれば約五千万。高等部だと約七千万。しかも、二人もいるのだ。冗談じゃない。お金の無駄だ。
散々話し合った末に決まったことは、私を悪人にして薫をやめさせることだった。薫はこれから忙しくなるお店を手伝うべくやめた、と。薫は友人がとても多かったから、薫の友人からは私が悪人に見えたのだろう。夫は、前の妻を亡くしてから本当に壊れている。こんなことを、平気でしてしまう。
掃除が終わったのか、薫が今度は棚に商品を丁寧に並べ始めた。店に立ち入ってじっくり眺めるのは一部貴族の楽しみだから、丁寧に並べなければ、夫の叱責が私に飛んでくる。毎月、七千万も女学院に払っているから、最低でも五百万を売り上げなければ貯金がいつか底をついてしまう。五百万に達成しない時には、夫は私に暴力をふるう。でも薫の前では、仮面を被っている。それも道化師の仮面を、何枚も。
「おい、昨日の売り上げはどうなっているんだ」
「一日に十万売り上げれば多い方だとあなたも褒めてくれたじゃないの。昨日は十二万も売れたのよ」
「はあ? 俺は褒めた覚えなんてないぞ。もっと売り上げを増やせ。一日に二十万は売り上げろ。金が足りないんだ」
「それならば、学費が年間百万円の共学の学院に──」
「はっ。必要なのは学じゃない、履歴だ」
そう言って、夫は私を一睨みした。そのまま、二階に上がった。
いつもこうだ。私の意見なんて通りもしない。絶対に。
「杏さん、終わりました」
「ご苦労様。それじゃあ店番に行ってくれるかしら」
「はい」
夫が望む妻というのを完璧に演じてみせよう。
私は家に戻り、一日に二十万売り上げるべく、経済学部の時の教科書や経済関連の書物を読みあさった。──だが、ここは和菓子屋だ。いくら一つ一つが高くてもたかが数千円。しかも、一番人気の羊羹に至っては九百円。一日に百個以上は売れているけれども、売り上げを支えているだけだ。
友人のすすめで結婚したとき、元々の久遠和菓子屋のご近所さんに夫の人柄を尋ねた。優しくて誠実。例えそんなに売れなくても、仲むつまじい家族。絵に描いたような理想の家族。ご近所では高評価だった。最初はとても優しかった。でも、私が女学院出身ではなく、共学のそれも経済学部出身だと知ると態度が急変した。
それ以降私は無茶ぶりばかりさせられている。同級生だった業平に土下座して華京地区の一等地に来させてもらった。本当にぎりぎりだった。
──私はふと、あることを思いついた。
女学院に通う貴族の娘達は午後三時頃には授業を終えて、女学院周辺にある喫茶店などでお茶にするらしい。お茶の時間をとても大切にしているが故に、午後の授業はほとんど無い。共学では有り得ないことだ。
そんな娘達は不思議とここには立ち寄らない。よくよく考えてみれば、このお店は羊羹のように座ってのんびりと食べる和菓子以外置いていないのだ。饅頭もない。鯛焼きもない。ならば、鯛焼きと饅頭を新しく加えてみたらどうだろうか。幸いにも、新しい商品作りは自由に出来る。
私はさっそく和菓子を作る担当の店員に声をかけて作ってもらう。試作をしてみたが、中々いける。
「女学院の娘達がここに繰り返し来てくれたら、その親だってもっと頻繁に来ますからね。こういう商品はありですよね」
「そうね」
私はとりあえず悩みから解放されたので、夫にばれない程度のお酒を呑む。やっぱりお酒最高だわ。




