貳 花桜菫──失踪事件当日
お菊さんが私を嫌っているというのはよく分かっている。でも仕方ないことなのだ。私は厳しい母親から逃れたくて、お勉強をした。なにせ、母親はいつも愚痴を言っていたのだ。その殆どが後継ぎ候補に選ばれなかった自分の夫に対するものだった。私にとって、父親はとても優しい人という印象だったが、母親は権力が欲しかったらしい。
しかし、花桜家は学力で決まるので仕方がないことだ。父親は頭はあまり良くないらしいので、大爺様のお怒りを買って追い出されたようなものだ。その成績の酷さを大爺様から聞いたが、唖然としてしまった。いわゆる頭の良い人には分からないことだ。
「なぜ私が彼女をさらわなければならないの!? あんな馬鹿娘を──」
「馬鹿だと!? 」
「成績の悪さはあいつ並みだわ。──事実よね? 」
「しかし、さらう利点はあるだろう! お金にするとか──」
「笑わせないでくれるかしら、そんなことしないわよ。犯罪だもの」
「実際、犯罪を犯しただろう! 」
「するわけないわよ! 」
この二人の犬猿の仲はいい加減にしてほしかった。喧嘩ばかり見てきたが、仲良く話している所など見たこと無い。
私は無表情を作り、二人に話しかける。
「お二人とも、いつまで言い合いを続けるのですか? 笹本家や彩龍慈家を交えた話し合いをしなければ無意味ですよ」
「──すまんな、菫。話し合いはもう少し落ち着いてからにしよう」
「分かりましたわ」
「それじゃあ帰ります。話し合いはかなり後にしてくださいね」
「こっちもそうしたいわい! 」
ああ、頭が痛い。
私は大爺様に頼まれ、三石家と彩龍慈家の人々の詳細を調べてまとめることにした。
まず、三石椿。かなり冷たい性格で、病弱な妹が嫌い。現在の当主。かなり優秀。三石家を立派な家にしたのも彼女である。
三石楓。椿の娘で、同じく冷たい性格。いろんな人から慕われるが、すぐに裏切る。
彩龍慈家は三石家より資料が豊富だ。当主である旬真については生まれてからの記録が成績やら体重やら事細かに記されている。沈黙の夫人こと琉祢夫人も結婚後の記録がかなりある。
しかし、子供らの資料は見あたらない。琉祢夫人が恐らく、弱みを握られないようにとあえて消したのだろう。
「捗っている? 」
「和志、あなた大爺様に殺されたいの? 」
「ははっ、んなわけないない。それに諜報員だからそもそもあの大爺様に侵入したことは発覚していないから」
「よく言えるわね」
ひょこりと現れた三石和志。三石家から消された男。ちなみに三石楓の兄。三石椿が前当主と喧嘩中に家を抜けだし、生き延びたらしい。
彼は雲雀丘五大貴族の専属諜報員をつとめている立派な諜報員だ。幼い頃からほとんど男性と接していない私でも、そんな彼と話すことは苦ではなかった。
「へえ、あの爺さんこんな事を菫に調べさせているんだね」
「何をする気なのかは分からないけれど、大爺様の指示だもの。背く訳にはいかないの」
「菫は凄いなあ、あんな頑固爺さんに従うだなんて。俺は無理だよ」
「得体の知れない五大貴族に仕えているあなたの方が立派だと思うわ」
「そうか? 」
私は和志と会話しながら、調べ物の続きをした。
和志は用があるから、と言って出て行った。私はふと鏡で自分の顔を見る。
──また無表情が崩された。和志は私の無表情を崩す。きっと、私は生まれて初めて、恋をしたのだろう。なんて、醜い顔をしているのだろう。
庭を眺めていると、古い建物からお菊さんが出てきた。気持ち悪いほど笑顔だ。また男と逢い引きでもしたのだろう。
お菊さんは自分の旦那について理解できていない。成瀬家の息子なのだから、落ちこぼれのはずがないというのを分かっていない。逃がしたらどれほどの損失になるのかも知らないのかもしれない。
「少し寝ようかな……」




