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きっかけは一杯のコーヒーから。

作者: 守田一朗

コーヒーでも飲みながらゆるやかな気持ちでお読みください。

 この話をするにはまず、きっかけが一杯のコーヒーから始まったことを語らねばならない。世の中にはそういう始まりがある。

 とすると、それを飲む男の話が必然的に必要になる。もちろん、その男の体質を考慮に加えて。

 そこまで遡らなければ語られることのないどうでもいい話がある。世の中は複雑で珍妙にできている。もちろん、そこまで話を遡る必要はまったくない。



 男はどうしようもなく眠れなくなった夜に一杯のコーヒーを飲む。カフェインを摂取すると精神が落ち着き、安眠をもたらす。男にとってコーヒーは精神安定剤であり、睡眠薬である。

 というと、お医者さまや栄養学の先生はそんなことはない、と言うかもしれない。いや、大抵人の考えに文句をつけるのは中途半端に知識をつけた人と相場が決まっているから、そうした人たちの方から非難を浴びるかもしれない。コーヒーのカフェインは眠気を奪い去る、と。さらに、私はコーヒーを飲んだら半日眠れなくなったからカフェインは目覚まし薬だ、と自分の体験を語る人がいるかもしれない。なら、男もこう言いたいに違いない。そうは言っても俺はコーヒーを飲んだ夜に熟睡している、と。

 プラシーボ効果、脳の勘違い、思い込み、という人がいるかもしれない。それならそれでよい。信じる者は救われる。

 コーヒーが人全般の体にそうした効能をもたらすことがあるのか男は知らないが、少なくとも自分に効果があることは知っている。ちなみに、男は医者ではない。


 反対に、男は牛乳を飲むと眠れなくなる体質である。牛乳に含まれるトリプトファンは安眠効果があると言われる。しかし、その成分がどのように安眠をもたらすのか男にはわからない。おそらく複雑な化学反応が体内の知らないところで起こっている。男は牛乳を摂取するより、その化学式に思いを馳せた方がよっぽど眠気に誘われる気がした。きっとそれは正常だが、しかし、正解ではない。

 ホットミルクを飲んで眠くなるのもきっとプラシーボ効果である、と男は常々考えているが、男は言わない。男が思い込んでも体が拒否することがある。体と心はいつでも一心同体であることは忘れられがちだ。


 ところで、コーヒーと牛乳は対比関係にある。そのことも意外と忘れられがちだ。あまりに忘れられて、そうしたことはしばしば無視される。コーヒーの対義語は牛乳だと男は常々考えている。口にしたことはない。

 正反対の二つが組み合わさることで思わぬ魅力が引き出されることがある。

 例えば、夜に浮かぶ月。例えば、父親の子守唄。例えば、雨上がりの土の匂い。例えば、喧嘩した後のごめんね。例えば、コーヒー牛乳。

 男はやはりその化学反応の仕組みを知らない。ただ、思いを馳せても眠くならない。


 コーヒー牛乳とカフェオレの使い分け方を男は知らない。使い分けなくてもよいとも思っている。

 コーヒーの飲み方は、カフェオレに始まり、モカジャバを経て、そしてエスプレッソで終わるという諺がある。男の中では。飲み方は人それぞれの好みだ、好きにさせてくれという意味がある。使ってみても通じるかはわからない。

 同じように、コーヒー豆は、モカの味わい、ケニアの香り、ブルーマウンテンの調和という諺もある。細かな豆の違いに男はこだわらないという意味がある。一説には、違いをよくわかっていないという意味もある。

 男は旨いコーヒーを一杯飲めればそれでよい。


 コーヒーは夏の飲み物だという。コーヒーには体温を下げる効果があると言われる。コーヒー豆は南国発祥であるから、人に涼やかさを与える。これはコーヒーにも限らない。オレンジもトマトも暑さが厳しい地域で生まれたものは人の体温を下げる力があるという。世の中は単純でいて、巧妙にできている。

 しかし、男はそれと関係なく、年中コーヒーを飲んでいる。そしてこれから語られるべき話にもコーヒーが夏の飲み物だということは関係ない。


 あまりに話が長くなった。きっかけはいつも一杯のコーヒーから始まる。

一息入れるために、そろそろコーヒーを飲む必要がある。コーヒーを飲まないと語ることのできない話がある。男はそう言ってカップを口につけ、ほっと一息つく。世の中にはそういう終わりもある。


あまりにも実のない小説をお読み頂き、ありがとうございました。

ところで、コーヒー豆は赤い実で、「ブラック」コーヒーといっても透かしてみると光の加減で赤く見えることがあります。

苦さや酸味、香りや形を変えながらも実はその本質を変わらずに持ち続ける。控えめに隠しながら。そういったことを思いながら目の前のコーヒーを啜ると、少しだけ愛らしさが増してきます。味には関係のないことなのに、味わい深さが少しだけ増したような気がする。なんだか人生の妙味をコーヒーを飲みながら味わっているようです。

実がないと思っていても、どこかに何かを隠していて、それが少しの味わいを生む。小説とはそういうものであってほしいと思います。

さて、実のない話を書く言い訳は、やはり実のない話となる。これだけでも読者の方には実のあるお話になったものと信じております。

それでは、コーヒーを飲んで眠れない夜を過ごすことを祈って、さようなら。

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