誰がための
あれから、何事もなかったように世界は回る。まるで彼女の存在なんてまるでなかったようだ。人一人くらい消えたところで、何も変わらないだろう。そもそも彼女は人ではなかったか。
そう、元の生活に戻っただけ、これから後一週間もしないうちに大学生活が始まり、そこからは華やかな人生が幕を開ける、予定だ。
…彼女とは住む世界がまるで違った、ただ、それだけのこと。ただの幻だと味気ないから、そう考えろと先生は言っていた。
そして、忘れようと努力はしなくてもいい、ただ、いつか思い出したときに笑えるように心で整理しておくこと、とも言われた。
「でも、そう簡単に割り切れないよな…」
あの後、このままこうしていても意味がないと、ちょうど飯時ということもあり、家に残っていたカップ麺を食すことにした。
つい最近まで手料理をふるまわれていたからか、その味はとても新鮮に感じて、それでいてどこか味気ない感じもした。
そのまますぐに就寝、後日、起きれはしたもののまだ疲れを引きずっているようで節々が痛む体を少し無理をして引きずっていく。
そうだ、今日はバイトが入っていた。…休んでしまおうか。そう思いつつも半ば反射になりつつある労働に明け暮れるのだった。
「ねぇ、ちょっと大丈夫なの?」
「ふぁい?あ、いえいえ大丈夫です、大丈夫ですよ。」
如何やらまた、仕事中にぼーっとしてしまったようだ。今日これで三回目だ。三度目の正直、なんてものじゃない。どちらかというと仏の顔も三度まで、だ。
実際、福井さんも困ったような、あきれたような顔でこちらを見ている。目には若干の怒りがこぼれているようにも見えた。結構、いや確実に怖い。
何とか話をそらそうと、考えを巡らせるも矮小なこの頭脳ではなかなか思いつくことができなかった。
「…はぁ。見なかったことにできるのは今回までだからね。次やったらさすがにどうなるかわからないわよ」
「すいません。」
失礼、訂正しよう。彼女は仏よりも慈悲深いようだった。実際に仏様がどこまで許してくれるかわからないが、伝承の仏様よりは彼女は肝要だ。
休憩時間になり、また話題が降られた。
「それで、どうしたのよ。あ、まさか彼女に振られたとか?」
その言葉に動きが止まる。…別に彼女というわけではないが、件の少女の話題ではあるからだ。
福井さんもやってしまった感のある顔をして、どこか申し訳なさそうにしている。
「あ、えっと、ごめんね。ただの軽い冗談だったんだけど。」
「…いえ、そもそも付き合ってはいませんし。ただ、あの服を着せることは、出来なさそうです。」
そう、と彼女がこぼすとそれからめっきり会話がなくなる。
かと思えばそれでもめげずに話しかけてきた。
「と、ところでその彼女さんは今どうしているの?もう遠い所に行っちゃったとか?」
だから彼女ではないといってるのに、何度言っても聞いてない様子なので否定するのをやめて。続きを話す。単にこのぎこちない雰囲気をどうにかしようとしただけだろうし。
「そうですね、というよりはそれが原因ですけど」
「て事は何、遠距離恋愛ってやつなの?」
「いえ、すっぱりきっぱり縁を切りました。そのほうが二人のためだし。」
そこまでいうと、彼女は顎に手を置き、考えるような仕草とったあと、言葉を紡ぐ。
「その割には、割り切れてない顔してるなぁ、うん。すっごい寂しげな顔してる。」
「そんなことは…」
ないとは言い切れなかった。
「そもそも、その子のこと、どう思ってるわけ?彼女じゃないとしたら。」
「友達、ですかね。人と気安く話せる機会なんてなかなかないんで、」
「ふんふん、それならわたしもその中に入ってるね。」
「は?」
「いやだって、普通に気軽に話しているじゃないの。敬語ありきの、友人まではいかなくてもちょっとした隣人くらいには思ってほしいわね。」
そういって、いつぞやと同じように胸をそらす。以前は言わなかったがそれをやると、少々悲しい結果を見ることになるんだが…
「さて、じゃあここに親しい隣人が一人できました。というわけでジャンジャン相談してもいいのよ?」
何がというわけ、なのだろうか。それでも、確かに誰かに打ち明けてみるのもいいかもしれない。そう思うくらい、今の自分は弱っていた。
「まとめると、自分の恩師が、彼女との関係を続けると後々悲劇が起こるといって引き離した、となかなかヒロイックな人生送ってるわね。」
「そう、ですかね?自分で体験していると何とも理解しがたくて」
確かに改めて聞かされると、どこの悲恋の小説かと思わなくもなかった。
でも正直、現実味が薄くて、実は夢だったのではないかと勘繰っているほどだ。
そんな中先輩は、右手を天に掲げ、震えているではないか
「まさか、近くにこれほどの話が埋もれているなんて、これは燃える…!じゃなくてそうね、あなた、本当はやりたいこと、わかってるんじゃないの?」
今回一番の気合の入った声でそんなことをのたまった気がしなくもないが、前半はあえてスルーして、後ろ半分を真面目に考えてみる。
―先輩にはいろいろと面倒をかけたから失言の1つや2つ大目に見ようとか、それでチャラにできるんじゃね?とか思ってはいない、うん―
「お姉さんが、ズバリと当てて見せて進ぜよう、君のやりたいこと、それは―彼女と会いたい―これだ!」
「それは―、たとえそうだとしてもできませんよ。」
その言葉を聞いた先輩は、疑問に満ちている顔で「なんで?」と問いかけてきた。
「いや、なんでってそのほうが彼女のためでもあるし先生もそのほうがいいって。」
今度はしかめっ面をして、話に割り込んできた。
「何でも先生、先生、先生ってね、それ、よくないと思うよ。」
そこでいったん話をきり、缶ジュースの中を一気にあおるようにして飲む。
「確かにそうやって人の言うとおりに生きていけば楽でいいよね、仮にそれでひどい目に遭ってもその人のせいにできるし」
「そんなつもりは」
「『別に先生も自分も悪いわけじゃない。だから彼の言う通りに動けばとりあえず大丈夫だ』、そんな風に思考停止していたら、これからの人生楽しめなくなっちゃうよ?」
こちらを見ながら、あくまで第三者の友人として、先輩は指摘する。
つかず離れず、なのに近く感じる距離感で話すことのできる人だった。
その話術が高く評価されて、若くしてこの仕事のチーフを任されるほど。だからだろうつい相談ごとをこぼしたくなるのは。
「何が、一番正しいんですかね。」
「知らないわよそんなの」
即答、両断だった。
「よく人は、選択肢のどれもが正解だ、とか逆に正解なんてものはないとか言うけどね。んなもん知るかっての。」
とても投げやりに、ぶっきらぼうに言う彼女を見てすこし、笑みがこぼれた
―この人でもこんな子供じみたこというんだな―
ただ、子供というよりはどちらかというと酔っぱらいのそれに近い。絡み酒というやつに。
「選択肢の成否どころか、自分が何すりゃいいかわからないやつのほうがごまんといるわよ、それで、結局時間切れになって台無しってね。よくあるパターンだわ。」
両手を宙に挙げ力強く握りしめるかのように震えさせた後、ぱっと手を開いて見せながら、どこかやりきれない顔をして語る。
その仕草はあたかも、空に打ち上げられる花火をほうふつとさせて、とても淡く儚げに感じさせる。
―そのやるせないおっさんの、しぶとさを彷彿とさせる顔で相殺されている気がしなくもないが。
「嗚呼、あのとき告白していれば、ブツブツ…ハっ!」
何か愚痴って暗黒面に堕ち始めた先輩を、どうすればいいか困りながら見つめていると、すぐに復帰したのか軽く、強めの咳払いをした後「とにかく」と話を続ける。
「何が言いたいのかというと、今のうちは無茶しときなさいってことよ。」
「無茶して、大変なことになったらどうするんですか。」
「その時はその時、今が、大人に頼れて、かつあらかたのことはなんでもできる貴重な時期なのよ?経験は何よりも勝るってね。」
「本当に拙くなったら、きっと周りの人がとめてくれるわきっとね」
「今さっき止められたって言いましたよね。」
「一度くらいは反抗しなさいってこと、本当に、やりたいことならね。」
花が咲いたような笑顔でさらに続ける。
「当たって砕けろ!そして打たれ強くなれ、異性がらみなら、なおさらがんばれだ、少年。」
そう言って喝を入れるように、片方の手で肩を強くたたかれた。もう片方の手は握りこぶしにして親指を人差し指と中指にいれる握り方をしている。…いろいろと台無しです、福井さん。
でもそのおかげもあってか体に活力が戻ってくるのを感じる。一度、もう一度だけルーエに会って、それからでも遅くないかと、なお煮え切らない自分がいるのもなんだか悪いはしなかった。
「さてと!覚悟が決まったみたいだし、ついでに帰りがけ、詫びの品でも買ってきなさい。もちろんアクセサリーね理由は私の管轄だから!」
…だから理由になってないです福井さん。