現実
「何言ってるんですか、先生。ここにちゃんと」
「仲秋君、そこには誰もいないよ。だれも」
そういって、先生はかぶりを振りながらなだめようとする。
ちがう、そうじゃないんだ。本当に―
ふと、昔の自分を思い出す。あの時もこうやって何度も何度も同じことを繰り返し訴え続けていた。
今の自分と重なって見えたことに、さらに不快感が増す。
本当に戻ってしまったかのようだ。
「いいかい、仲秋君。三年前も同じことを言ったかもしれないけど、それは君にとっての現実かもしれない、でもそれは君以外には決して許容されることのないものなんだ。見えないものは、いないんだ。」
優しく、間違いを正すように、話しかけてくる。
「あ、あのど、どうしたんですか。話が見えないんですが」
当惑しながらルーエはそう問いかけてくる。彼女は、自分が生み出した幻覚だというのか。
「…一寸表に出ようか、外の空気を吸ったほうがいい。」
「…はい、ルーエ、少し席を外す。」
「仲秋君」
「すいません」
先生に注意を受ながらも外へ出る。
ルーエが何か言っているようだったが話を聞く余裕はなかった。
外の喫煙スペースがあるところまで行き、そこで落ち着いて話すことになった。
「さて、まずは現状把握といこうか、正直言って非常にマズイ。」
先生は煙草に火をつけながら深刻そうな顔を作り、話をつづけた。
「以前の症状が戻ってきている。いや悪い方向に進んでしまっているといっていいだろう。」
「どういう、ことですか。」
「以前に君が見たものは、自らに危害を加えようとしたものばかりだった、しかしいまは、それに対して、気軽に接している、そういう点がだ。」
一息、煙草を吸って、余った手でこちらを指さしながら言う。
「ルーエを、アイツをあんなのと一緒にしないでください!」
抗議すると先生は顔をしかめながらも返事を返してくる。
「その、君の言うルーエ君、だったか。ともかく彼女が本当にあれらと一緒じゃないと言い切れるのかい?思うところがあったから、僕のところに来たんだろう?」
「それは…」
先生の反論に言葉が出なくなる。念には念を、ということで尋ねたからだ。
「いや、すまない。少し言い過ぎだね。少なくとも一週間一緒にいて何もないということはそれは悪いものではないのだろう。」
たとえ、先生だと、自分の恩師だとしても、彼女のことをぞんざいに言われるのは許せなかった。確かにアイツは人ではない、幻なのかもしれないだろうが。
しかし、先生はそんな僕の心情を露とも知らず、いやあえてわかったうえでだろうか、ともかく話をつづける。
「それが、いわゆる君の防衛本能から作ったものでも、もしくは別の何かであろうと、長い期間一緒にいることは、正直あまり推奨できるものではないよ。」
「どうして、ですか。」
かろうじてその言葉に反応して言葉を紡ぐ。
「ここに来る前に、あの話は覚えてるよね。」
「はい、他の病気と同じで、状況次第でまた発症してもおかしくないものだと、そう聞きました」
「そうだ、正確にはあれを他のものと比べるのは間違っているんだけど、まぁ似たようなものと思っていい。」
「少し説明省きすぎたかな、でもああ説明したほうがよかっただろうし」、とぼやきながら先生は困ったように頭を掻く。
「まぁこの際それはいったんおいておこう。ともかくだ、症状は人によって年を重ねるごとに治るものとその逆のモノが存在する。君の場合は後者だね。おそらく家系的なものだからなはずだ。」
そう、だからカウンセリングや催眠治療、一時期は服薬もして何とか落ち着いたのだ。
「君のそれは、他よりも症状が進みやすいみたいでね、完全になくなるまでは、特に念入りに気を付けなければならないんだ。」
「先生、本題に入ってください。」
いまだに、彼女と居ることがなぜ、どんなことを起こすのか、その話にありつけないでいることにイラついている自分がはっきりと感じられている。
普通なら、彼女が幻だと気付いた時点で、いろいろとあきらめがつくのだが、そこまで自分は彼女に、ルーエに依存してしまっていたのだろうか。
「…そうだね、簡潔に、簡単に言おうか。症状が再発する例として、近くに同じ症状を持つ者がいる。もしくは依然と似た状況下に長くいるということがあげられるんだけど。」
「それが、今の状況なんですか。」
わかりきったことを、あえて口に出して、もう一度問い直す。先生は静かにうなずくだけだった。
「君もわかっているだろうけど、この生活を続けていけば、必ずどこかでぼろが出る、破綻する。それは絶対だ。」
それは、わかっている。ほかとの人の現実のすれ違いは、いずれ人間関係を壊して孤立を招く。
「何より一番怖いのは、途端に症状がなくなった時だ。」
先程の何倍も真剣な表情でこう切り出してくる。
「それはむしろ、いいことですよね?」
「いや、むしろ逆だ。最悪と言ってもいい。何故かは、わからないだろうね。」
そういって、先生は自分を優しくみつめる。ただそれは自分に向いているようで、別の何かを見ているような遠い目をしていた。
「今まで気楽に話していた友人がいつの日にか姿を見せなくなった。そんなことが起こり得るかもしれない。」
その発想は、考えていなかった。ルーエが見えなくなる、そんなんことが起こるなんてことは。
「いつかそれ、そのルーエって子は、君にとって替えの効かない大切なものになっていくだろう。そうなってからでは遅いんだ。君にも、その子のなためにも」
「どうにも、ならないんですか。」
「…こればかりは、時の運とかそういうものだから、わからないよ。ただ、将来を考えるなら、今ここで縁を切ったほうがいい。」
その言葉が、どこまでも自分に深く刺さる。
今ほど、自分の体質を恨んだことはなかった。
あの後、重くなる足を引きずりながら、先生とともに自宅を目指す。
今まで、あんなに帰宅を楽しみにしていたのがまるで嘘のようだ。
「仲秋君、わかってるね、どうすればいいか。」
「…はい」
そして自宅前へとついた。ついてしまった。
ドアノブに手をかける。
―これを開ければ、開けてしまえば二度とあれに悩まされることはなくなるんだ。それでいいじゃないか、元に戻るだけだ。
でも、それでも、この一分一秒が長く感じられるほど考え込んでしまう。
「大丈夫かい?」
「はい、大丈夫です。」
これ以上待たせるのも悪い。
渦巻く思考の海を無視して、ゆっくりとドアを開ける。
「あ、お帰りなさい。あ、あのどうしたんですかさっきは。」
件の少女が心配した様子で、こちらをうかがってくる。
そんな少女に、今から自分はひどいことを言わなければらないない。
知らず、いつの間にかに息をのでいたようだ。
「ルーエ、すまないけどお前を、ここには置いておくのが難しくなった。」
その言葉を聞いた瞬間少女は時が止まったように、固まる。
しかし、すぐに復帰して泣きそうな顔でこちらに尋ねる。
「わ、わたし、何か粗相でもしましたか、それとも何か気に障りましたか。」
「違う、違うんだ。これは誰のせいでもない、あえて言うなら俺の事情で、ルーエのためでもあるんだ。」
「それは、どういうことですか」
「…お前のことが見えるのはいま、俺しかいないらしいんだ。そして、おれもいつお前が見えなくなるかもしれない」
そこまで言い切ると、尚もいっそう、困惑してしまったようで彼女は言っていることが信じられないといったように頭を振っている。
「う、嘘ですよね。」
「嘘じゃない。見えなくなるかは今後次第だけど、周りからはほんとに見えていないんだ。」
思えば、福井さんの件以外にも兆候が見られた。こんな目立つ少女が往来で注目を浴びないなんてことはありえないだろう。
周囲が怪訝な表情をしていたのは、おそらくと言わずとも、誰もいないところに話しかける自分が滑稽に見えたから、そういうこと。
「これからのことは、心配しなくていい。隣にいる人が面倒を見てくれる。先生、よろしくお願いします」
「ああ。えっとこっちの方向でいいんだよね?…ウンまぁよろしく頼むよ」
「…一緒にいることは、出来ないんでしょうか。」
先程から悲痛な面持ちで俯かせながら彼女は問い直してきた。
その姿は、とても痛ましくて見る者の心をえぐるかのようだ。
―いや、俺も離れたくないと思っているのだろう―
だからこそ、自分のためにも彼女のためにもはっきりと言わなければならない。
「本当にゴメン、ルーエとは生きる世界が、ちがうんだ。だから」
その先は、言えなかった。自分の弱さを痛感する。
それでも彼女は何を言おうと理解した。そのうえで無理に笑って見せる。
「そうですか、ならしかたありませんね、…いままで楽しい時間を、ありがとうございました。」
「ルーエ…」
「話はすんだかい?」
そう尋ねる先生に、何も言えず黙って首を縦に振る。
「そう、それじゃあルーエ君とやら、どこにいるのかわからないけど、一緒に行こうか。」
それだけを残し、先生は自宅を去っていく。それに追随してルーエも家から出る。
ドアが閉まる音がした。
―なんてことはない、いつも通りのさえない現実が戻って来ただけだ。―
そう、考えることにする。
気のせいか、最初にこのアパートに移り住んでからよりも広く感じるようになった。
SF作品なのにファンタジーなのに、いまだにバトルとは無縁の小説を書いている、作者です。
割と日常パートのほうが書きやすい上に、会話が長くなってしまうものだからなかなか進みません。
これからも精進していきたいと思います。