兆し
事件、と言うわけではないが動いたのは深夜になってからのことだ。
ふと目を醒ました。
意識がおぼろげで、身体も思うように動かないがおそらく頭だけ起きているのだろうと理解はできる。
最近いろいろなことが重なって疲れが蓄積していったのが原因かもしれない、金縛りの原因がそういったものだということはどこかで聞いた覚えがある。
それに昔から金縛りになりやすい体質だったらしく、とある施術で改善されたはずなのだけど。
まぁ、そのうち解放されるに違いないと変わることのない視界をボーっと眺めることにした。
こういったときは怖い幻覚を見やすいのだが、無駄に壮絶な生活を送ってきたからか度胸だけは多少身についたらしい。あまり動揺しなくなった。
とはいえ、この動けない時間がもどかしく、不安にさせるものだというのは変わらない。
早く終わってくれと願っていると、突如自体が変化した。
変わらないと思っていた視界が急に、ひとりでに動き始めたのだ。
だというのに、身体の自由は依然としてきかないまま。果てどういうことかと首をかしげていると、一つだけ思い当たる節があった。
-あこれまだ夢の中だわ-
きっとそうだ、そうに違いない。
なら早く目醒めないとなぁ、でもどうやって起きるんだろうか。こういうのは気づいたときには『明晰夢』とやらになって体の自由どころか夢の世界も思いのままになるというが…デマだったのだろうか。
少し残念に思いながらも、移り変わる視界をただぼーっと眺めるしかない。
しかも、目の前に広がるのが見慣れた自分の部屋だから真新しい発見もないし、退屈だった。
そんなとき、視界の外からガタッと物音がする。
その音につられて視界が動くとそこには寝間着姿のルーの姿が、ただ少し様子がおかしい。
何故か俺のほうをみて警戒しているように見える。いくら夢の中でも落ち込んでしまう、特殊な性癖など持っていないし。
気まずい雰囲気のまましばし見つめ合っていると、突如ルーが口を開いた。
まるで何かを確認するかのように慎重に、ゆっくりと。
「貴方は、いったい誰ですか?」
―――――――――――
チュンチュン
雀の鳴き声が朝の始まりを告げる。
普段なら、晴れ晴れとした気持ちで新しい一日を迎えるところを今日はそういうわけにもいかなかった。
目が覚めた途端にガバッと布団から起き上がり強かに頭をぶつける、やや窮屈な押入れの中でなりふり構わず身を起こした結果である。
しかしぶつけた痛みを無視する勢いで勢いよく引き戸開ける。
朝っぱらから物騒な音をたてて光のある世界へと目を向けると、いつもと変わらない風景が俺を出迎えていた。
「あ、お早うございますツナギさん。…あの、どうかなさいました?」
相変わらず丁寧口調で挨拶をするルー。
その返事をしないまま、押し倒さんばかりの勢いで彼女の肩を掴んだ。
「俺のこと覚えてるよな!?記憶喪失と叶ってないよな!?」
「え、あの、本当にどうしたんですか!?ひとまず落ち着いてください~!」
その後、落ち着くの半刻の時を浪費するのは、まぁ目をつむってもらいたい。
「いやほんとゴメン。やけにリアルで嫌な夢を見たもんだからさ…」
「はぁ…そうなんですか。いったいどういう夢を見たんですか?」
「真夜中に起きてゲーセンをはしごする夢、だったかな。いや、一度も行ったことないんだけどたぶんそんな感じだよ。
「そのげーせん、と言うのはあまり行きたくない場所だったんですか?」
「そんなことはない。うるさかったけど面白そうな雰囲気が伝わったし。」
何なら、いつかルーを連れて行ってみたいと思うくらいだ。
少し話がそれたのを自覚したところで、何故こんな嫌な思いをしているのかの箇所を思い起こそうとするのだけど、どういうわけかその部分だけ霞がかったように思い出せない。
まぁ、夢の内容なんて起きたらその大半が忘れてしまうというし。そこまで気にしなくてもいいか。
「あー、そんな気にしなくてもいいよ、ルー。どうせ夢なんだしな。」
「そう…ですね。」
本当に気にしていないと身振りで分かるように軽く手を振ると、彼女はすこし表情を曇らせて相槌を打つ。
その様子が不可解ではあったが平日の朝と言うこともあって、その話は此処でお開きとなった。
そして夕刻まで時間が過ぎる。
「あ゛ー疲れた。…てかなんでこんな疲労たまってんだ?」
今日はまだ学校が始まって最初の頃の授業、と言うことで余り難しくない内容のものしかなかったはずだ。中には授業の前に受講生の自己紹介やレクリェーションを始める教師もいたから、疲れがたまるようなことはしていないはずなのに。
これは今日は早く休んだ方がいいな、等とひとりごちているうちにようやく自宅前に到着する。
中の明かりがついていることから、既にルーは帰宅していることがうかがえた。
余りカッコ悪いところを見せたくない一心で、中に入る前にさっと身だしなみを整える。余計な心配をさせないためでもあった。
「ただいま、ルー。」
「あ、お帰りなさい。丁度夕飯の支度が出来たところなんです。一緒に食べませんか?」
「ああ、そうだな。いや本当に助かるよ。まだ料理だけは上達する兆しが見れないからさ…」
「アハハ、コツさえわかればすぐですよ。そんなことより、早く食べましょう?」
「そうだな、せっかくの料理が冷めると悪いし、それじゃ。」
「「いただきます」」
二人一緒に手を合わせて箸を手に取る。
最初はいつものようにルーが作ってくれた美味しい料理に舌鼓を打っていたのだが、腹が満たされるにつれ眠気が増していき、途中でうつらうつらしてしまう。
「あの、大丈夫ですか?どこか具合が悪いとか…」
「え!?ああそんな気にしなくてもいいよ。一寸寝不足なだけだから!」
「…なら、今日は早めに寝ましょう。睡眠不足と侮ってけがや病気の元になることもありますから」
「え、だから問題ないって。たしかに少し早めに寝るつもりだったけど。まだやりたいことがあるしさ」
主に明日の予習とか、スケジュールの確認とか。
だが、ルーが何故か執拗に休むよう言ってくるものだから、必要最低限のモノだけしてそのまま就寝することになった。
で、最終的には九時に床につくという小学生のような就寝時間。さすがに早すぎないかと控えめに抗議はしたが、有無を言わさない雰囲気で結局折れるのだった。
寝不足とはいえ、いくらなんでもこの時間に寝れるものかと思ってはいたけど、存外に疲労がたまっていたらしく布団に入ってすぐに睡魔が襲ってくる。
これは、確かに、ルーの言う通りに、してよか-
◆
この部屋の主が寝静まってすぐに、居候の少女は行動を開始した。
ここで一つ、先にいっておくが家主と言うのが仲秋常義で、居候の少女と言うのは言わずもがなルーエ・アルル・ブランのことである。
少女は半ば無理やりに家主を寝かしつけ、自らは何やら裏で行動を起こすという一歩間違えれば疑われてもおかしくない行為を犯しているのだが、それもこれも友達でお世話になっている人のためと彼女は奮起した。
彼女はまず家主が床についた押入れの前に面妖な意匠の小さな木像を置くと何事かを呟く。
すると木像が緑色の淡い燐光を放ち、やがてその光が押入れ全体を包んだ。
そのことに満足すると今度は玄関まで足早に移動する。
先程と同じような木像とまた別の木札をいくつか側に置き、今度はさらに鍵や縄を使って侵入を赦さない、否。誰も出る事が出来ないように厳重に閉ざされていった。
そんな作業の最中だ。
突如そんな彼女の後方から鈍い音が響き渡る。
まるでなかなか開かない扉を無理やりこじ開けようとするかのような物騒な音だ。
それが連続的に聞こえてきたかと思うと、突然止まって一呼吸の後により大きな轟音が響き渡った。今度は扉が無残に敗れ去ったような音。それを聞いて彼女は身を固くする。
そしてバッと勢いよく振り返ると、そこにはこの家の家主である青年の姿があった。
ただ、様子が可笑しい。
普段なら見せることの内容な鬼の形相をして、少女を睨み付けている。
そしてその口から漏れ出た声も、平時のそれとは比べ物にならないほど低く不気味だった。
『謀ったな小娘…、あのような珍妙な妖術で我を閉じ込めようとするとは…!貴様、南蛮の祓魔師の類か!!』
「貴方の言っている『フツマシ』と言うのは私にはよくわかりません。ですが友達に、ツナギさんに迷惑をかけるなのだとしたら放っておくわけにはいきません」
青年が放った言霊は聞いてしまった人に恐怖を与え、最悪気絶してもおかしくないくらいの殺気と威圧が込められている。
しかし居候の少女は怯みはしたものの、凛とした態度で対応してみせた。
その対応を見て、一先ず対話をするくらいならいいだろうと青年は言葉を紡ぐ。
『迷惑とは?』
「ツナギさんの体を使って夜中に抜け出すことです。このままだと寝不足で倒れてしまいます」
『ふん、そんなのこの体が貧弱なだけだろう。小僧一人がくたばろうと我には関係のないことだ。』
「本当ですか?ツナギさんが死んでしまえば貴方にも不都合が生じるんじゃないですか?」
『…何故、そう思った。』
「貴方が先程言った言葉の意味も、貴方自身がどう言った存在なのかも私には分かりません。ですが、ツナギさんの身体を間借りしている状況で、彼の身に何かあったらあなたにもなにかしらの被害が被るんじゃないですか?」
『先にも言ったがこの体がどうなろうと、まして小僧が死んでしまおうと我には関係ないことだ。痛くもかゆくもないわ』
「ですが以前、最初に会ったときあなたはいってましたよね『また逆戻りか』と。ツナギさんが死んでしまったらあなたはまた別の場所に呼び戻されてしまうのではないですか。それも帰りたくない場所に。」
『へぇ、覚えていやがったか。しかしまるで我のことを全部知っているみてぇな口調だな?なんだ、自分の境遇にでも重ねたか?』
「-そんなことはどうでもいいんです。私が言いたいのは、貴方のためにもツナギさんのためにも休みをとっていただきたい。ただそれだけなんです。」
少女が自らの主張を言い切ると青年、正確に言うと青年の姿を借りた何者かは固まり、何か琴線に触れたのか、殊更邪悪な笑みで高笑いを始める。
そして少女を面白い玩具をみるように睨め付けた。
『我がこうしてこやつの体を借りるのは同意の上なのだぞ?それを部外者の貴様が口出しするというのか』
こんどは彼女を試すかのような凄味のました声音を使う。まるで悪の大魔王だと心の奥底で少女は思っていた。
それでも-
「-ええ。させて、いただきます。だって、初めての友達の一大事なんですから」
彼女は噛みしめるように言葉をひねり出す。余りの重圧に立っているのが精一杯と言う体ではあるが、その瞳には不屈の精神が輝きを放ちながら。
-対して、青年のほうはと言うと。
『…そうかいそうかい。アー、なんだか無性にだれてきやがった…。』
先程の仰々しい口調を止めて、投げやりに言い放つ。
どこかダウナーな様相を醸し出しているのは、少女の出した答えのせいか。それともおかげと言ったほうがいいのか。
とにもかくにも先程の剣呑な雰囲気は霧散してなくなってしまった。
その突然の変化に、少女が気づかないはずもなく
「あの、どうなされましたか?」
と少し心配気味に聞き返すほどだ。
『この身体の持ち主だけじゃなく、我まで気遣うその心意気はなかなか奇特な女子だなオイ。心の機微には疎いみたいだが』
「ハイ?」
『-今宵は興が冷めたと言った。我はもう寝る。…それと、夜遊びもほどほどにするさ。テメェの言い分も一理あるからな。』
今度は青年の方が言いたい事だけまくしたてくるりと反転してきた道を辿っていく。
何か小言をつぶやいてるがそれは少女にはうまく聞こえなかった。
そして、ごそごそと物音が鳴ったと思うとそれ以降何も動く気配がなくなる。
同時に玄関の前に立っていた少女の限界が訪れたらしい。
倒れるように背中を扉に押し付けると、そのままズルズルと腰を鎮めていく。
如何やら青年がこれ以上ことを興す気がないと知れた時点で緊張の糸が途切れ、既に気を失っていたようだった。
ただ、その顔にはやり遂げたという達成感をにじませた笑顔が張り付いていた。
――――――――――
チュンチュン
雀の鳴き声が朝の始まりを告げる。
普段なら、晴れ晴れとした気持ちで新しい一日を迎えるところを今日はそういうわけにもいかなかった。
「え、何これどういうこと?」
家主の青年が朝起きて開口一番のセリフがこれである。
そんな彼がいったい何に口を閉口しているのかと言うと。
「襖が物の見事に壊れてらっしゃる…てかなんだこの破片?変な紋様とかついているけど…」
昨日寝る前の自室から著しくかけ離れた光景。凄惨たるその様相かおもわずそんな言葉出てきたのだった。
「あんまり考えたくはないんだけど、いきなり寝相が悪くなったのか…?いやそれよりルーエは-」
思わず思考放棄してしまいそうになる一歩手前で、居候の少女がいなくなっていることに気付く。
慌てて探しに行くと、夜の攻防のまま玄関前で寝入っていたその人を見つけた。
それがかえって、青年の疑問に拍車をかけてしまったようで朝のうちから何度も首をかしげつつ、寝入った少女の介抱をするという奇妙な体験をすることなるのだが。
-その青年の疑問が解消されるのはもう少し先のこと-