食文化とこれから
「グハァ!」
「おい、大丈夫か!しっかりしろ!」
そう言って唯一の友に駆け寄る。
軽く見ただけでも彼の容体が手遅れに近い、いや、そう断言してもいいものであることが分かる。それでもおれは、彼を励ますのだ。
「大丈夫だ!すぐに直してやる」
しかし彼はそれを止めるように言葉をかぶせる。
「バカヤロウ、この傷が治らないくらい自分でもわかってるさ。だからそんなもんただの金の無駄遣いさ」
確かに、いくら払おうと彼を直すことは難しいだろう。それに時間にも見放されているのが追い打ちをかける。
「でも!約束したじゃないか。一緒にエロサレムを巡ろうって!」
「へ、そんなもんさっきの衝撃で忘れちまったぜ。ゴッフ!」
「もういい、もう喋るな!後に響く!」
彼からだんだんと力が抜けて言っているのを肌で感じてしまう。
もう、見ていられなかった
「いいやこれが最後だ、だから…あばよ。先にヴァルハラで待ってるぜ、相…棒。」
それを最後に、彼は二度と起きることはなかった…。
「マイパソー!!…てあれ?」
「ふみゃ!?」
気がつくとそこは最近になっていつもよく見るようになった自室の中だった。
そして見慣れない髪質の子が隣で勢いよく飛び上っている。…?
「嗚呼。そっか、あの後限界がきてそのまま倒れて寝たんだっけ。」
「び、吃驚しました、いきなり倒れたと思ったら、今度は大声で叫んで起き上がるものですから。」
そう言って彼女―ルーエは手で胸を押さえ深く息を吐いている。昨日のことからも彼女が気が小さいことが分かっていたから、少しばつが悪くなった。
「ゴメンな。昨日仕事の帰りで体力が持たなかったんだ。」
バイト、とは言わず仕事と言い換える。森育ちの彼女には分からない言葉である可能性もあるからだ。
すると彼女も納得してくれたのか、「そうですか」と一言だけを残し安心した様子を見せた。
「大事なくてよかったです。あ、でも先程叫んでいた『まいぱそ』というのはどういう意味ですか。」
「ああ、それ…は」
そこまで言って気づいた
気づいてしまった。昨日の大惨事を
それはもう酷い惨状だったことを。
「あ、アア、あゝアア嗚呼あ…」
人前であることも忘れて、ドサリ、と崩れ落ちる。気のせいか視界もにじんでいるようだ。
「だ、大丈夫ですか。どうしたんですか?」
そういう彼女に先程の答えとして、かろうじて動く右手で見るも無残な姿になった彼の亡き骸を指さした。
数舜遅れて彼女も理解したのか先程の倍近く慌てている。
「もも、もしかして…ごめんなさいゴメンナサイ!」
「い。いや、いいんだ。今回のこれは全面的に俺が悪いし、授業料が高くついたと思えば…」
そうは言いつつも声音はどこか震えているし、というか体全体が生まれたての小鹿の様にぷるぷる震えているのが自分でもわかる。
ローンのことはもちろん、他の電子機器に影響がないかが心配だったので一寸待ってもらい周りの機器を簡単な点検をしてみた。どうやら異常はないことがわかったので一息つく。
彼女は心配になったのか、引き戸のほうからこちらを見つめていた。
「ああ、心配ないよ。ほかは壊れてなさそうだ。」
「そ、そうですか。良かった。」
とりあえず二人とも一息ついたということで、距離はないに等しいものの居間まで先導して昨日は出せなかった茶菓子や茶を用意しようとして、思いとどまる。
先にご飯を食べるべきか、いまだ、腹の音はならないが、そろそろ限界も近いだろう。昨日の夜は何も食べてないし、そう思い簡単な手料理をふるまうことにした。
それに、いったん落ち着いて話をするには、お茶をすすりながらゆっくりと考えたほうがいいに決まってる。そこまで考えて彼女は緑茶を飲むだろうか、なんて疑問が浮かんだわけだが、まあいいかと考えるのをやめた。
聞くのには少し遅かったというのもあるけど、知らなかった、もしくは飲めなかった時の彼女の反応も見てみたい、と思ったからだ。さぞかし面白いリアクションを返してくれるだろう。ちょっとした茶目っ気だった。無理ならすぐに下げればいいわけだし。どうせなら…
―先程のうろたえっぷりは何だったのかと思うほどの落ち着きを取り戻したが、単に思考停止しているだけで、まあ被害も少ないし大丈夫か、と思うだけにとどまった。…人、これを現実逃避という。
「お待たせ、大したもの出せないけど、よかったら食べて行ってくれ」
「いえそんな、逆に申し訳ないくらいです」
これも昨日のやり取りでわかったことだが、彼女はどうも自分のことを他より下に見ているようでへりくだった態度をとるのが常だった。サラリーマンのそれ、もしくはそれ以上かもしれない。
「お腹すかせるのも悪いし、ほら食って食って。あ、あとこれお茶ね。」
「あ、ありがとうございます…?あの、このお茶、緑がかってるんですけど」
「まぁいいから呑んでみなよ」
薦められるままに彼女はのどに通したのだが、突然むせ返す。
「な、なんですかこれ、すごく渋いんですけど。」
「クク、ああ、ごめんごめん。やっぱ無理だったか、ほら、代わりのお茶」
「い、いえ、大丈夫です。これくらいなら飲めます」
「そんな無理しなくても、あまりものだから別に構わないよ?」
「ほ、本当に大丈夫です。」
更にひとつ、彼女の性格を付け加えるとするなら、負けず嫌いといったところか。今なお渋い顔をして出されたお茶―濃い目の抹茶を一息に飲み干そうとしている。
こんなことで嫌いになってもらうのも忍びないので、機会があれば本場のモノを食べさせてあげようか、なんて考えた。
このままだと時間がかかるので冷蔵庫から牛乳を取り出して自分の抹茶の分に注ぎ、彼女にも試してみるか尋ねる。
最初は訝しんでいたものの、こちらが躊躇なく飲んだのを見て意を決したようにコップを仰ぐ。
「あ、おいしい。」
そういってかわいらしくコクコクと飲む彼女を見て、どうやらお気に召したようだというのが分かった。お茶とミルクの相性は抜群だ。
「ご飯まで頂けるなんて、本当にありがとうございます。」
「お粗末さま。気にしないでいいよ」
食べれないものは無かったらしく、彼女の箸は思った以上にすすんだ。…作っといてなんだけど、そこまで上手いわけじゃないんだけど、それほどお腹を空かせていたんだろうか。
今はそれよりも、これからのことが大事だと考えを改める。
話を切り替えるために「それじゃあ」と言葉を続ける。
「これからの話をしようか、いろいろとわからないことも多いけど、やるべきことは先に決めておいたほうがいい」
「そう…ですね。でもいったい何をすればいいのでしょうか」
今ここに集まったメンツと言えば、会話が通じるものの、言語も人種も、出身も違う烏合の衆と言っても過言ではない。
そこで一番重要なもの、そう、目標だ。
「とりあえず、何とか君を親元まで送り返せればいいんだが…どうしたものか」
電話ができればよかったものの連絡の通じない森の中では意味がない。もう一つは直接出向くこと。しかしこれには多大な出費が必要になる。もちろんそんなお金はない。
最終手段で警察に頼る、というのもある。でもこれは本当に最後の手段だ。事情を説明したところで信じてくれるか心配だというのもあるが、出来れば身内で肩をつけたい、というのもあった。
思考の海におぼれていたため気づくのが遅れたが、ルーエはどこか鎮痛な面持ちでこちらを見ていた。
「こ、故郷には、帰りたくありません。いえ、おそらく帰れないと思います。」
「どういうこと?」
「それは…」
彼女はただ、簡潔にその村の人々に嫌われているから、と答えた。
醜いとか、そういうたぐいのものではないことは、彼女の容姿を鑑みればよくわかる。前髪を伸ばしていてその全容はまだわからないが、スタイルもいいし、普通に小顔に見えるためだ。
森の、民族出身といったか、きっといまだに古いしきたりやらなんやらにとらわれてるところなんだろうか、うちの田舎町もいまだにそういった謂れや都市伝説に近いなにかが残ってるから、ありえなくはない話だ。
しかし、困った。
「うーん、そうなると。これから本当にどうする。いや一応国のほうには連絡は入れるつもりだけど」
「国に連絡入れても、たぶん意味がないと思います。存在自体ないものとされてますから。」
国単位で信じられる迷信て、何それひくわー。言葉に出さなかったが少し態度に出てしまった。でも仕方ない、現代日本において、ただの言い伝え程度と考えらえるからだ。
彼女が気分を害したようなので、一応の弁明をした後軽く咳ばらいをした。
「と、とにかく、元から下書き状態だった計画が完全に白紙に戻ったわけだ…けど、どうしたい?」
「で、できれば、このまま匿っていただけると助かります。頼るところがありませんから。」
匿うとは、やけに大仰な言い方をする。まるで誰かに狙われているかのようだ。語彙力のなさからか、それとも本当のことなのか。
まぁ今の日本でそんな大それたことは起こりえない、そう判断した。
「まぁ、そこら辺は保留にしようか、こっちにも負い目があるんだし、当分の間は面倒見るよ。」
「本当ですか!?ありがとうございます!」
大家さんに見つかるまでは、と付け足そうとしたところで勢いよく彼女の言葉がかぶさる。言い出すタイミングを逸してしまったが、まあ、何とかなるだろうと楽観的に見ていた。