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冷たいです。

いつものカフェまで病院から10分、結季は走ってきたせいで乱れる息を整える間もなく奥のボックス席に春希の姿を見つけて駆け寄った。


「鷹見さん!」

「晴海、お前…!!」


飛びつくように走り寄った結季を見て春希の目が丸く見開かれる。


次の瞬間、なぜか春希の目が鋭く眇められたのを見て、結季は事情を説明しようと言いかけた言葉を飲み込んでしまった。


「あ…の、鷹見さ…。」

「ちょっと来い。」


カフェの店員に千円札を叩きつけるように渡して結季の腕を引いてカフェから連れ出す。連れて行かれた先は近くのコインパーキングだった。

シルバーグレーの国産車のキーを解除すると結季を助手席に放り込む。


「え、あの、鷹見さん!?」

「……。」


様子のおかしい春希に結季が声をかけるが返事がない。そのまま運転席に乗り込んだ春希が車を発車させながらどこかに電話をかけ始めた。


「もしもし、ああ、俺だ。今からそっちに行く。禊ぎの準備をしておいてくれ。」

「ミソギ…?」


聞きなれない単語に結季が戸惑いの声を上げる。

春希はいまだ不機嫌な様子を隠すことなくそれでも、結季の質問に答える程度には落ち着いたようだ。

運転中なので結季の方を見ることはしないまま話し始める。


「お前、穢れが憑いてる。それを落として清める儀式が『禊ぎ』だ。…何があった?」

「あの、私のことより、呪いにかかってる先輩たちを助けてほしいんですが。」

「わかってる。今から行くところがその専門家のところだ。お前の禊ぎをやってから当事者のところへ行く。」

「え、でも…。」


自分は平気だから先輩たちを先に、という結季の提案は無言で却下されているらしい。結季はなぜ春希がこんなに怒っているのか分からず助手席で途方に暮れる。


「あの、私に穢れが憑いてるってどういうことですか?」

「……穢れは呪詛の残滓だ。お前に呪いをかけようとした奴がいる。」

「………。」

「理由や詳しい経緯は俺にはわからん。だがお前をそのままにはしておけない。」


春希の表情から想像するに、自分に憑いた穢れとやらはかなりひどい状態なのだろうか。

結季は自分の体を見下ろしてみるが、おかしなところは何もない。

体調も悪くはなっていない。


「あの、それでしたらやっぱり私の禊ぎは後回しで構わないので、先輩たちを…。」

「どちらにせよアイツを迎えに行かなきゃならん。お前が禊ぎを受けてる間に必要なものを準備するから、とりあえずお前は禊ぎを受けろ。」


問答無用といった様子の春季に連れられて来たのは、背後に深い森の茂る山を背負った古い神社だった。


階段を上がり鳥居をくぐったところで巫女装束の少女が二人を出迎えた。


「鷹見様ですね、権禰宜がお待ちです。」


社の奥の、一般の参拝客は立ち入りできないであろう区域に案内され、結季は緊張に震える。思わず先に立って歩く春季のスーツの裾をつまんでしまった。


驚いたように振り返った春季を見て結季は子供みたいな己の行動を恥じ、あわてて手を離した。


「あ、ご、ごめんなさい。」

「いや、この道はかなり入り組んでいるから掴んでおけ。はぐれると困る。」


真面目に許可を出されるのもそれはそれで恥ずかしい。結季はいたたまれなくて真っ赤になって俯いた。


そのまま立ち止ってしまいそうな様子の結季に、春希がそっと手を掴んで歩き出す。


「…行くぞ。」

「……はい…。」


恥ずかしさに俯いたまま結季は歩いた。握られた手から、熱が伝わってくる。顔からは火が出そうだった。




「こちらで権禰宜がお待ちです。」


案内されたのは本殿の裏手、森の入り口に立てられた古い社殿だった。中に案内され、最奥の部屋へ通される。

10畳ほどの和室には長持や衝立のほかは調度がほとんどない。神職の控室のようだった。


「いらっしゃい、春希。顔が赤いけどどうかしたの?」

「喧しい。権禰宜っつーから嫌な予感がしてたんだが、何でお前がいる?」


その部屋の中央に正座して二人を出迎えた人間がいた。

すっと伸びた背筋、腰のあたりまで緩く波打つ黒髪は艶やかで、背中でひもで一つに括っている。きめ細やかな白磁の肌にたれ気味の眼を縁取る長いまつげが影を落とす。咲き初めの桜のような唇に柔らかな笑みをたたえている。

この世のものとは思えない美人がそこにいた。


「あら、用件はおじい様から聞いたけど、アタシじゃご不満?」


口元は微笑んで見えたのだが、口調はどうやら怒っているようだ。上目遣いにちょっと口をとがらせるしぐさも美人がやると様になるんだなと、結季はぼんやり思った。


「俺は爺の方に電話したはずだぞ。」

「おじい様は今日は別の仕事で出てるわよ。父さんは表の拝殿で仕事してるし、急なスケジュールだったからお前やっとけって電話があったわよ。なんかすごい剣幕だったから、ついでに春希の頭も冷やしてやれって。…受けてく?禊ぎ。」

「くそ爺め。俺はいい。こいつの禊ぎの間に、祓いの準備整えてくるから頼む。」

「一応祓いの道具は一通り調えてもらってるわよ。そ・れ・よ・り~」


二人のやり取りについていけず、ぼうっとしていた結季を美人が間近から覗き込んできた。好奇心で目を輝かせている。


「この子が例の身代わりちゃん?かっわいいわぁ~~~!!いくつ?高校生?お人形さんみたいね~~!!お肌すべすべ羨ましいわ~~!」

「えっ?あの??えっと…??!」

「晴海が怯えるから離れろ、カマ禰宜。」

「………え?!」


結季に抱きつかんばかりの美人を力づくで引きはがした春希の言葉に結季が硬直する。いま、春希は、何と、言った…?!


「ひっど~~いい~~オカマじゃありませ~~~ん。ちょっと言葉遣いに癖があって女子力高めなだけだもん!!」

「男が自分で女子力とかもんとか言うな!気色悪い!!」

「………おとこ…の…ひと…?」


よく見れば立ち上がったその身長は春希よりは少し低いものの、女性にしては高く、肩幅や全体の骨格も男性のそれだ。来ている着物と袴もここまで案内してくれた巫女さんのものと違い、男性用だった。


「自己紹介が遅れてごめんなさい。アタシ、この水森神社の権禰宜で狩野屋 橘(かのや たちばな)よ。」

「あ、あの、晴海結季です。よろしくお願いします。」


結季はあわててぺこりと頭を下げる。


「ええ、よろしく。それじゃあ早速だけど、そこの行李に入れてる単衣に着替えて来てくれる?隣の部屋使っていいから。」


促されるままに隣の部屋に案内され、白い着物を渡された。


「着方、わかるかしら?」

「あ、はい、一人で大丈夫です。」


結季は祖母に着物の着付けは仕込まれているので、単衣くらいは簡単に着ることができる。


「そう。あ、水に入るから、下着も外しておいた方がいいわよ。」


そう言って橘は部屋を出ていった。


着替えが終わって、元の部屋に戻ると、橘に案内され、外に出た。細く整えられた道を進むと、川が流れる場所に出た。


「ここは…?」


川岸に木で造られた桟橋のようなものがかかっている。水は驚くほど透明で、空気も澄みきっている。


「奥宮の前にしつらえた禊ぎ場よ。そこに立ってね。」


桟橋の中央に立たされ、正面に橘が立っている。外に出た時から春希の姿がなく、結季はどうしようもなく不安になった。


「さて、今からちょっと冷たい水を被ってもらうけど、我慢してね。途中で話しかけても駄目だから、じっとしていてちょうだい。」

「…はい。」

「途中で川の中まで潜ってもらうから、ちゃんと支えるから、暴れちゃだめよ。」

「……はい。」


結季は覚悟を決めてそっと目を伏せる。橘は結季の準備が整ったのを見て、すっと深呼吸をした。


「高天の原に神留坐す。皇御親の……」


朗々と祓詞が紡がれる。橘は詞を紡ぎながら、川の水を掬い、結季の頭から注ぎかけていく。

水は凍るように冷たく、結季は声を上げそうになるのを必死でこらえた。

全身がずぶ濡れになった頃、橘が結季の手をそっと引いた。桟橋から、川に入るための階段を下りる。

腰ほどまである水に浸かり、肩を押された。


「(潜れってことかな…?)」


冷たい水に震えながらも、思い切って頭まで潜る。水の中は透明で、清浄な世界だった。

緩い流れが結季を包み、何かを拭い去っていくのを感じた。


暫く息を止め、じっとしていると、橘が引き上げてくれた。


「終わったわよ。お疲れ様。」


そう言って再び結季の手をとって桟橋の上まで連れて行ってくれた。


「どう?気持は?」

「……冷たいです。」


とりあえずガタガタ震える体で、一番に浮かんだことを言ってみる。


「お山からの湧水だからね。神様の神気をたっぷり含んだ御神水よ。魂の穢れを洗い流してくれるのよ。」

「確かに、なんだかすっきりした気もします。」


さっきまで胸にあった焦りや不安が薄れている。強制的に頭を冷やされただけとも思えるが。


「こうして清めてみると、結季ちゃんは綺麗な魂をしてるのね。あれだけの穢れを受けても、無事だったのは魂の守護力が高いからだわ。」

「魂の…守護…?…くしゅっ!」


橘の言葉に聞き返そうとした結季の口から出たのはくしゃみだった。


「あらあら、このままじゃ風邪ひいちゃうわね。禊ぎも無事終わったから中で着替えましょう。このままじゃ目の毒だしね。」


橘に苦笑気味に言われて結季は己の状態を顧みた。

白の単衣一枚の姿で水に沈んだのだ、当然のことながら、透けている。


「きゃ…っ!?」


慌てて逃げようと体を反転させたところで、大きな乾いた感触に包まれた。

顔を上げると春希が特大のバスタオルで結季を包み込んでいた。


「やだ、春希ったら覗いてたの?ス・ケ・ベ!」

「覗くかアホ!お前こそいつまでもジロジロ見てんじゃねえ!」

「男の嫉妬は醜いわよ。」

「やかましい!」


結季はタオルの温かさと、ひとまず体を隠せたことにホッとしつつ、春希を見た。


「(み、見られたかな…?)」


そう思っていると、不意に春希が振り返り、目があった。しかし次の瞬間首が折れそうな勢いで逸らされた。その首筋まで真っ赤に染まっているのを見て、結季は確信する。


「(絶対、絶対見られた…。)」


泣きそうな気分でタオルの中に顔を伏せる。


「さ、それじゃあ戻って着替えたら、もうひとつのお祓いに行きましょう。」


橘は真っ赤な顔をそむけあっている二人をしばらく眺めた後、ぱん、と手を打って建物へ促した。

その言葉に結季もはっとした。


「そうでした!鷹見さん、急ぎましょう!」

「あ、おい、焦ると転ぶぞ!」


体に巻いたタオルを翻すように建物へ駆けだした結季を春希は慌てて追いかけた。


着替え、道具を積み込んだ春希の車で再び病院へと向かう。後部座席に座った結季の濡れた髪を隣に座った橘がコードレスのドライヤーで乾かしてくれている。


「結季ちゃんの髪ほんと綺麗ね~。」

「あの…狩野屋さん、自分でできます…。」

「あら、これはアタシがやりたくてやってるんですもの。髪は霊力が宿ってるんだから、大切に扱わないとね。」


結季としては先ほどから後ろが気になるのか、春希がバックミラー越しにちらちらこちらを見ながら眉間にしわを寄せているので、ハンドル操作を誤ったりはしないかと気が気ではない。


「おい。カマ禰宜、いい加減にしねえとお前だけ振り落とすぞ。」

「お、落としちゃだめですよ!」

「そーよそーよ。春希ったら心が狭いわよ!」


橘の揶揄する声音に春希がビキビキと顔を引き攣らせるのがミラー越しに見えて、結季はとにかく話題を変えることにした。


「あの!今回のことなんですけど、私、今気になってることがあって…。」

オカマキャラ、好きなんです。

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