霊感少女などという名前ではないのですが
「あなたが霊感少女?」
昼休みの廊下、ひとり食堂へ向かっていた結季はなんだかデジャヴを感じるなぁ、と思いながら振り返った。
いつもなら手製の弁当を持参しているのだが、あいにく今日はいつもより寝坊して作る暇がなかったのだ。
上の階からの階段を降りながら近づいてくる2年生はやはり見覚えのない相手だった。
真っ黒な髪を前下がりのボブカットにし、細めの黒縁の眼鏡をかけている。美人なのだが頬のあたりが心なしかやつれ、目の下にもクマが出ている。
全体的に神経質で病的な印象の少女だった。
「霊感少女などという名前ではないのですが、ご相談とかでしたらWEBの方にお願いします。」
「…あのサイトね、入りづらいのよね。幼稚園のお遊戯室みたいで。」
昨日よりさらにひどい評価をされた。さすがにそこまで子供っぽくはないですと心の中だけで弁護する。
「ね、あなた呪いを解いたりはできるの?」
最近高校生の間では呪いがブームなのだろうか?結季はちょっと遠くを見てしまう。
「空中にに何か浮遊霊でもいるの?」
「いえ……えっと、呪いをかけたり解いたりはできません。」
嘘ではない。本当は霊感もないのだがそれは言わないでおく。
「そうなの?噂では旧校舎に巣食った悪霊を打ち祓い、何匹もの式神を使役して百鬼夜行と夜な夜な対決してるって聞いたけど。」
「そんな恥ずかしい設定が追加されてるんですか?!」
何時の間にそんな中二設定を付与されてしまっていたのだろう。どうにか払拭するすべはないものかと結季は頭を抱えた。
「委員会の後輩が言っていたのだけど、確かにあの子ちょっと妄想癖があるから信じてはいなかったのよね。」
「信じないで下さってありがとうございます。」
思わず感謝の言葉が口を衝いて出る。
「それより先輩は何か呪いについて相談があったのですか?」
「別に、ちょっと気になっただけよ。邪魔したわね。」
それだけ言って彼女は踵を返し元来た階段をのぼりはじめた。
「あの、せんぱ…!?」
何となく気になって追いかけようとした結季の視線の先で彼女が突然何かに押されたように後ろへ倒れてきた。
結季はとっさにその背中を抱きとめて、そのまま尻もちをつく羽目になった。
「っ・・・!」」
ぶつけた腰が痛い。それに彼女を受け止めた瞬間、ピリピリと静電気が走ったような痺れを感じた。
「…先輩、大丈夫ですか?!え?気を失ってる??!」
「……」
抱え込んだその上級生はぐったりとしていて眼を開けない。
結季が受け止めたので頭は打ってはいない。貧血で気を失って倒れたのだろうか。それにしては倒れ方がおかしかったように気がする。
細く華奢な身体だが、結季よりも身長があるので、結季一人では運べそうもない。
周りを見回すが、運悪く助けてくれそうな人が見当たらない。
「どうしよう…。」
「あれ~結季ちゃんだ。そんなところでどうしたの~?」
そこへ天の助けとばかりに聞き覚えのある声がして、見上げると上階から藤堂祐也が降りてきた。
床に座り込んでいる結季とその腕の中でぐったりしている2年生を見て目を丸くしている。
「誰かと思ったら繭子じゃん。どうかしたの?」
「お知り合いですか?」
「うん、元カノ。」
あの「呪ってやる」宣言の彼女か、と今度は結季が目を丸くする番だった。
「気絶しちゃってるの?重くない?」
「女性に対して重いとか言っちゃ失礼ですよ。貧血でも起こしたみたいです。藤堂先輩、すみませんが運ぶのを手伝ってもらえませんか?」
このままでは身動きが取れない。
「いいけど、俺に助けられたって知ったらこいつ怒るんじゃないかな~。」
「内緒にしておきますから。」
「なるほど~俺と結季ちゃんの二人の秘密ってやつだね。いい響きだな。」
「……。」
軽口を叩きながら結季の傍らに屈んだ祐也は繭子と呼んだ少女を軽々と横抱きにして立ちあがった。
「結季ちゃんは大丈夫?怪我とかしてない?あとでさすってあげようか?」
「藤堂先輩、セクハラです。」
結季は立ちあがって軽く埃を払うと心持ち祐也から距離をとって保健室へと向かったのだった。
保健室で校医に事情を説明し、祐也の名は伏せてもらうようお願いした後、結季と祐也は教室へ戻る廊下を歩いていた。
「そう言えば、藤堂先輩は体調不良はその後どうですか?」
「相変わらずって感じかな。心配してくれるの?結季ちゃんはやっさしーね。どう?俺たち付き合っちゃおうか??」
「お元気そうで何よりでした。それでは私は失礼します。」
半眼になって踵を返そうとした結季を祐也があわてて引きとめる。
「待って待って、せっかくだからお昼ごはん一緒に食べない?食堂行くところだったんでしょ?」
「……。」
確かにその通りだったので、断る理由も見つからず、結季は祐也に先導されるように食堂へ向かうことになった。
「繭子はさ、あ、さっきの元カノ、不破繭子って言うんだけど、あの通り美人で優等生なんだけどさ、オカルトとかホラーとかがやたらと好きなんだ。」
食堂への道すがら、祐也は先刻の元恋人のことを話し始めた。
「黒魔術の本とか集めてて、サバトに行ってみたいって言われた時は流石にちょっと引いちゃったな~。」
「黒魔術…ですか。」
結季の中でとんがり帽子に黒マントで紫色の鍋をかき回す繭子の姿が浮かぶ。
雰囲気が似合いすぎてて怖い。
「その頃から段々距離が空いてきて、俺の方から別れようって言ったら『呪ってやる』って言われたんだよね~。」
「不破先輩は別れるつもりがなかったということですか?」
「ん~、でもこう言うのって片方が冷めちゃったらもう続かないよ。繭子のこと、嫌いになったわけじゃないけど、彼女としてはもう見れないかなって。」
結季は恋愛方面には疎い自覚があるので、そのあたりのことは何とも云えなかった。
「そういえば、先ほど倒れた時、様子がおかしかったのですが、以前から急に倒れたりすることってあったんですか?」
結季は尋常でない繭子のことが気になって、尋ねてみる。
「もともと体は強い方じゃないみたいだね。でも付き合いの終わりくらいから段々精神的に不安定になってきてる様子ではあったんだ。」
祐也は眉根を寄せながら答える。
「心配だと思う一方で付いていけないって思うこともあって、最後には別れることにしたんだけど。」
苦笑気味に語る祐也の顔色は繭子同様青白い。体調が悪いというのは嘘ではなさそうだ。
「藤堂先輩は本当に呪われたと思っていますか?」
もし本当に呪われて体調が悪くなっているというのなら、はやめに対処した方がいいのではないだろうか。
「あの、私は呪いについては専門外なのですが、知り合いにそう言ったモノを祓う専門職の方がいるそうなの…いますので、お祓い、受けて見ますか?」
結季は一応有料だが、と前置きして勧めてみた。
「そうだね。考えておくよ。でもその前にちゃんと繭子と話してみるよ。」
「不破先輩と?」
「うん。もし本当にあいつが呪いをかけたんなら、取り消しもできるかもしれないし。それでだめだったら結季ちゃんにお願いするよ。」
「はい。わかりました。」
二人の間で解決が図れるならそれに越したことはない。結季も笑顔でうなずいた。
祐也との昼食を終え、教室に戻るとクラスメートの佐原各務と美月奈美が飛びついて来た。
「晴海ちゃん!廊下で倒れて2年の先輩にお姫様だっこで運ばれたって本当!?」
「その後二人で仲睦まじくご飯食べてたって聞いたんだけど。」
微妙に歪んで伝わっている噂のスピードだけは評価したい。結季は軽くこめかみを押さえつつ、ため息をついた。
「運ばれてません。運ばれたのは運んだ方の元彼女さんで、食事はご一緒しましたけど、睦まじくと言われるほどの知り合いではないです。」
「そうなの?!よかったぁ。」
「結季に限ってそんなことはないとは思ったけど、安心したわ。」
結季が否定すると二人はホッとした顔をする。
各務と奈美は中学生の頃から結季と親しくしてくれている友人で、結季に霊感がないことも、今現在身代わりで霊の力者のふりをしていることも話している。
色白でひょろりと長身な各務と、ダークブラウンのふわりとしたボブカットの奈美はクラス内でも目立つ美男と美女だ。
「2年の藤堂祐也先輩って、女の子に人気があるんだけど、よくない噂も聞くから心配だったんだ。」
「よくない噂、ですか?」
各務によると、入学当時からその容姿と人当たりの良さから人気はあったのだが、その分トラブルも多く、彼をめぐって女生徒同士が掴み合いの喧嘩になっただの陰湿ないじめが横行しただのということがあったらしい。
「それにね、藤堂先輩と付き合ったことのある女の子で入院しちゃった子もいるって。」
「入院?喧嘩かいじめで怪我なさったとか?」
穏やかでない言葉に結季はぎょっとする。
「ん~、なんか原因不明の病気だって聞いたけど。」
「佐原君は入学前のことなのに詳しいんですね。」
「僕が入ってる図書委員会の先輩が学園内の噂話集めるの好きな人でさ、教えてくれた。」
そう言って笑う各務自身、噂話が好きで、よくいろんな話を集めてきては結季や奈美に教えてくれている。
「不破先輩と付き合いだしてからはトラブルの話を聞かなくなったって言ってたけど、別れたんだ。」
「トラブルがなくなった?」
「うん、不破先輩は優等生で美人だから他の女の子も認めざるを得なかったんじゃないかって言われてるけど。別れちゃったんだったらまた争奪戦かも。晴海ちゃんは巻き込まれないように気をつけてね。」
各務が心配する声をかけてきているが結季は別のことが気にかかっていた。
「(不破先輩と付き合いだしてからトラブルがなくなって、別れたら藤堂先輩の体調が悪くなり始めた…。)」
もし繭子が祐也と付き合う前から呪いで恋敵を陥れていたとしたら―。
「(もし不破先輩に本当に人を呪う力があるとしたら…。)」
「結季、また浮遊霊見てるわよ。」
奈美に肩をたたかれて結季ははっと我に返った。どうやらまた空中をじっと見つめてしまっていたらしい。
結季が何も見てはいないことを知りつつ、奈美はこうして噂を助長するような物言いをする。
理由は、面白いから、だそうだ。
「今日はなんの霊が視えたのかしら?」
奈美の言葉が聴こえる範囲にいたクラスメイトが数人ぎょっとして結季が視ていたらしい辺りの空間を見て、距離をとる。
「……いえ。なにも。」
「まあ、藤堂先輩がらみで上級生のお姉さまに絡まれちゃったら年上サラリーマンとお付き合いしてるから高校生のガキには興味ありませんって言えばいいのよ。」
結季の考えごとをどう誤解したのか、奈美はにやにや笑いながらそんなことを言ってくる。
思いもよらない発言に、結季は先刻までの考えごとが吹っ飛んでしまった。
「鷹見さんはそいうのじゃありませんよ!?」
「そうだよ、美月ちゃん!あの人は晴海ちゃんのバイトの雇い主なだけだよ!!」
「何で各務までむきになるのよ。違ってもそう言うことにしておけばいいじゃない。」
奈美はけろっとしている。
「藤堂先輩のことは何とも思ってないって分かりやすく示すために全然タイプの違う人を盾にしたらいいのよ。各務じゃキャラ被ってるから効果薄そうだし。」
「被ってないよ!!」
各務の悲鳴に近い突っ込みを完全にスルーして奈美がなおも言い募ろうとしたところでチャイムが鳴り、結季は混乱する頭を抱えながら席へと着いた。
「(鷹見さんと藤堂先輩は確かにタイプが真逆だけど、そんな勝手にお名前を使うわけには。いや問題はそこではなく、私はただの身代わりで…。)」
「晴海、授業中に経文唱えるのは怖いからやめなさい。」
教師のあきれ声で我にかえるまで、しばらく結季は悶々と悩み続けたのだった。