左の景色を想像する
左に曲がれば、駅前に出るはずだ。
新しいマンションが建ち並び、カフェや美容室がガラス越しに光っている。
だが、唯野散太はそこをあまり歩いたことがない。知らない街ではない。けれど、慣れない街だった。
想像する。
左へ歩き出した自分。
ガラスに映る自分の姿に気づく。少し老けたように見える。
通り過ぎる人々はみな、何かを抱えていて、どこかへ向かっている。自分だけが、ただ歩いている。理由もなく。
やがて、知らないカフェの前で立ち止まる。
ランチメニューの黒板に「エビとブロッコリーのレモン風味パスタ」と書かれている。
それを見て、自分が今日の昼食をまだ摂っていなかったことを思い出す。
店に入るかどうか、迷う。
中からは心地よい音楽。空調の柔らかい音。若い女性の笑い声。
場違いな気がする。だが、誰も自分のことなど見ていない。
思い切ってドアを開ける――そこまで想像して、やめる。
左というのは、“今ではない場所”に繋がっている気がした。
未来と呼ぶには生ぬるく、他人の現在と呼ぶには生々しい。
もし今、自分がそちらへ行けば、自分も「こちら側の人間」になるのだろうか。
それとも、ただの異物としてすぐに弾かれるのか。
左には、まだ“手垢のついていない風景”がある。
それは新鮮で、しかし怖い。
知らないことは、希望でもあり、不安でもある。
散太の足が動かない理由は、そこにもあった。
ふと、信号が赤に変わった。
車が数台、前を横切る。その車のガラスに映る空は、自分の知っている空よりも、少し青かった気がした。
もしかして、左に行くことは、自分の知っている空からも遠ざかることなのかもしれない。
信号がまた青に変わった。
だが、散太はまだ、立っている。