5.義兄妹って、どういう距離?
翌朝、登校して教室のドアを開けた瞬間、蓮は昨日とは違う視線を感じた。
軽く会釈してくるクラスメイト。妙に静かになって、こちらの様子をうかがう女子たち。
白石姉妹と義兄妹になったという話は、どうやらクラス中に知れ渡ってしまったらしい。
席についた瞬間、背後から軽く肘でつつかれる。
「おい蓮、お前マジで紗耶たんと一緒に住んでんの? しかも妹まで?」
声をひそめてきたのは、真後ろの席の男子・木下だ。
「……まあ、そういうことになってる」
「うわマジかよ。白石姉妹ってさ、男子の中で憧れトップ2だぞ? それが一気に家族って、お前どんなラブコメ展開だよ」
「いやラブもコメもないから」
苦笑で返す蓮に、木下はふーんと呟いてから、興味津々な目を向けてきた。
「で? 家じゃどうなんだ?」
「……勉強と飯と風呂と睡眠で終わる。以上」
「夢がねぇ!」
そのやりとりを聞いていた前の席の女子たちが、小声でひそひそと何か話している。
その中の一人がふと顔を上げて、蓮と目が合った。
「あ……あの、白石芽衣ちゃんって、風間くんと仲いいんだよね? なんか優しそうって言ってたけど、実際どうなの?」
なぜか本人に聞かず、義兄に聞いてくる不思議な構図に蓮が言葉を詰まらせていると、芽衣が教室のドアからひょこっと顔を出した。
「お兄ちゃーん、ノート忘れてない? 机の上にあったよー」
「うわっ……お前、それ言うなって……」
芽衣はにこにこと蓮の席まで歩いてきて、ノートを差し出す。教室の空気が一瞬静まり返るのを、蓮は確かに感じた。
「ありがとな……」
「ふふっ。じゃ、またあとで〜」
芽衣が去ったあと、女子のひとりがぽつりと呟く。
「なんか、あの子の方が兄妹っぽくない?」
「……だな」
蓮は思わずため息をついた。
放課後。教室を出ようとすると、紗耶が廊下で待っていた。
「蓮くん、ちょっと屋上寄っていかない?」
問いに特別な意味は感じさせなかったが、昨日の屋上のやりとりが思い出されて、蓮は少しだけ気恥ずかしくなった。
「まあ……いいけど」
屋上は、ちょうど夕日が校舎を照らす時間帯だった。
柵に背をあずけて、紗耶は風に髪を揺らしている。
「今日は……なんか色々騒がしくて、ごめんね」
「別に気にしてねーよ。俺も慣れてきたし」
それでも、と言いかけた紗耶は、ふいに視線をそらした。
「……義理とはいえ、わたしたち兄妹でしょ? でも、蓮くんがいて、ちょっと助かってるのも事実だから。……ありがと」
夕日で赤く染まった彼女の横顔に、蓮は返す言葉を少し迷った。
「俺も……お前らがいて、助かってる。たぶん」
「……ふふっ、なんか照れる」
二人の間に、しばらくの沈黙が落ちた。けれど、それは決して重くはなかった。
屋上での会話のあと、二人は少しだけ気まずさを残しながらも、並んで階段を下りた。
家に帰りつくと、玄関には母親からのメモが貼られていた。
「芽衣へ:夜勤入ったからごはんは温めて食べてね。蓮くんと紗耶も一緒にどうぞ。—母より」
「また夜勤か……ほんと、最近多いね」
芽衣が台所から顔を出し、エプロン姿で手を拭きながら言った。
「冷蔵庫にカレーあるよ。昨日の残り。温めなおそっか」
「俺やるよ。芽衣は先に座ってて」
蓮は自分から鍋を火にかけ、盛り付けまでこなした。紗耶は少し驚いた顔で、それでも黙って座る。食卓には、自然と三人分の皿が並ぶ。
食事が始まると、いつものように芽衣が一番よく喋った。
「ねぇねぇ、学校でさ、○○先生がすっごい早口で喋るんだよー」
「それ、昨日も言ってたぞ」
「え? そうだっけ? でも今日のはもっと速かったんだってば!」
芽衣の話に相槌を打ちながらも、蓮の視線は時折、無言でカレーを食べる紗耶に向いていた。昨日までと何かが違う気がしてならない。
食後、蓮が食器を片付けていると、紗耶がふと隣に立った。
「……洗い物、交代する。わたしもやる」
「別にいいって」
「いいの。……今日は、わたしがしたいだけ」
そう言って、スポンジを取る紗耶。蓮は少し戸惑いながらも、静かに身を引いた。
リビングでは、芽衣がソファでくつろぎながらテレビを観ている。アイスを食べながら笑っている姿は、どこか年相応で、眩しくも見えた。
ふと、背後から紗耶の声がした。
「……今日さ。クラスの子に言われたんだ。“大丈夫?”って。わたしが、蓮くんと同居してて、ストレス感じてるんじゃないかって」
「は?」
「変な噂が立ってるみたい。“風間くん、すごい気を遣ってるらしいよ”って」
蓮は軽く眉をひそめた。
「それって……俺のせいか?」
「さあ。でも、もしそうなら……今夜ちょっと、話さない?」
「話す?」
「うん。ちゃんと、“兄妹”として、ルールとか、距離感とか。……なんか、今のままだと、いろいろ誤解も生まれそうで」
蓮は頷いた。たしかに、それは必要かもしれない。
「じゃ、芽衣が寝たあとにな」
「……うん、わかった」
こうして、三人の夕食は終わった。
それぞれが、少しずつ、気持ちに変化を抱えながら——夜は、静かに更けていく。