47.前日
体育祭まで、残すところあと一日。
教室の空気は、少しずつ緊張感を帯びてきていた。準備期間も大詰めを迎え、競技の練習や応援の練習に加え、装飾や当日の役割の最終確認などで、皆が自然と口数も多くなる。
「よし、じゃあ最後にもう一回だけ確認しよっか。神林、風間、二人三脚、いける?」
「うん、問題ないよ。神林も?」
「うん、大丈夫。……もう転ばないし」
笑顔で頷く神林に、蓮も軽く頷き返す。何度かの練習で、最初はぎこちなかった息も今ではすっかり合ってきた。
「最後の直線、ペース上げてくるクラス多いと思うから、私たちもそこで合わせよう」
「了解。合わせるよ、神林に」
「ふふ、なんか告白みたいじゃない?」
「言ってから自分でも思った」
軽口を叩き合っていると、横でじっと見ていた紗耶が、小さく咳払いした。
「……ずいぶん仲良さそう」
「え、あ、ごめん……」
神林がちょっと焦って蓮と距離を取る。紗耶の言葉にとげがあったかというと、そうでもない。ただ、なんとなく視線が鋭いというか……。
「別にいいよ? 練習なんだし」
「うん、そりゃそうだよな」
そのまま紗耶は別の係の作業に戻っていったが、なんとなく、蓮の背中にはしばらく針のような視線が突き刺さっていた。
午後、クラス全員でリレーのバトンパスを確認したり、当日のスケジュール表を黒板に張ったりと、目まぐるしく時間が過ぎていく。
「ねえ蓮くん、明日、お弁当どうする?」
昼休み、紗耶がそんなことを聞いてくる。ちょっと意外だった。
「どうって……俺は普通にコンビニで買っていくか、自分で適当に包むかって思ってたけど」
「じゃあ、私作ろうか?」
「え? いいの?」
「べ、別に蓮くんのためだけじゃないし。芽衣の分もついでにってだけだから」
ツンデレ成分が強めな一言に、俺は思わず笑ってしまった。
「……でも、ありがとう」
「うん」
そのまま紗耶は少し照れたように視線を外して、お弁当の内容をぶつぶつ呟きはじめた。「唐揚げ? うーん、卵焼きは入れるとして……」と、割と真剣に考えている。そんな姿を見ると、改めて“家族”って、こういう時間もあるんだなと思わされた。
放課後、練習と準備を終え、すっかり夕焼け色に染まった教室には、数人だけが残っていた。
蓮は窓際の席で、ぼんやりと校庭を眺めていた。グラウンドには白線が引かれ、テントが設営され、いよいよ本番が近いということを感じさせていた。
「風間くん、明日……本気で勝ちにいこうね」
隣に座った神林が、少し真剣な表情で言った。
「うん。俺も、手を抜くつもりはないよ」
「よかった。風間くんってさ、ちょっと斜に構えてるように見えるから、心配だった」
「……そんな風に見えてたのか。気をつけよう」
俺が苦笑すると、神林も笑う。
「でも最近は、前より楽しそうに見えるよ」
「そっか。……いろいろ、あったからな」
義兄妹になったこと、クラスの人間関係、文化祭、家族旅行、そして三好や柚月、水原との距離の変化。振り返ってみると、意外といろいろ経験してきた気がする。
「じゃあ、明日はがんばろうね。応援してる」
「おう。神林も、よろしくな」
その言葉を最後に、神林は教室を出ていった。
教室にはもう俺一人だけ。静まり返った空間に、夕日だけが差し込んでいた。
──明日、全力で走れるだろうか。
この体育祭というイベントが、ただの学校行事じゃなくて、誰かとの距離を縮めるための舞台になるような、そんな気がしていた。
教室を出ようとしたとき、ちょうどドアの前ですれ違った。
「……お疲れ、蓮くん」
振り返ると、そこには紗耶が立っていた。すぐ後ろには芽衣の姿も見える。
「二人とも、まだ残ってたんだ?」
「うん、芽衣が体育祭用のゼッケン忘れてさ。職員室に取りにいってたの」
「ごめんね、お兄ちゃん。先に帰っててって言ったのに」
「別にいいよ。俺もちょうど帰るとこだったし」
教室の前で立ち止まったまま、しばしの沈黙が流れる。芽衣が気を利かせたように「じゃあ、私先に昇降口で待ってるね」と手を振って去っていくと、残された蓮と紗耶は少しだけ、視線を合わせた。
「……ね、蓮くん。今日、日向と仲よさそうだったね」
言葉とは裏腹に、紗耶の声はどこか寂しそうだった。
「まあ、練習だし」
「……うん、そうだよね。わかってる。……でもさ」
紗耶は言葉を切り、ちょっとだけ目を伏せた。
「蓮くんのこと、ちゃんと見てる人が増えてるんだなって思った」
「……どういう意味?」
「そのままの意味。クラス以外でも、いろんな女の子が蓮くんのこと見るようになってる。日向も、水原ちゃんも、三好ちゃんだって……」
「……紗耶」
「わたし、ただの“義妹”だよねって、ふと思っちゃった」
その一言が、胸に小さく突き刺さる。
「……違うよ。俺にとって、紗耶はそれだけじゃない」
目を見てそう言うと、紗耶の表情がふっとほどける。けれど、安心したようでいて、どこか少し切なげでもあった。
「……ありがと。明日、楽しみだね」
「うん。お弁当、期待してるよ」
「ふふ、任せて。……蓮くんの好きなやつ、たくさん入れるから」
そう言って、紗耶は軽く手を振り、昇降口へと向かっていった。
──体育祭前夜。
高鳴る気持ちと、少しの緊張と、言葉にできない感情を胸に抱えながら、俺は校舎をあとにした。




