43.衣替えっていいよな
10月に入り、朝の空気がほんの少しだけ冷たい。
登校の途中、ふと顔を上げると、学校のグラウンドでは体育科の教師たちがパイロンやラインテープを手に動いていた。
「……ああ、そろそろか」
月末にある体育祭の準備が始まりつつあるらしい。去年は見てるだけだったけど、今年は学年競技にも出なきゃいけない。運動は苦手じゃないが、正直あまり乗り気ではない。
「蓮くん、ダルそうな顔してるけど、体育祭、頑張ろうね!」
後ろから現れたのは、紗耶。今日は薄手のカーディガンに衣替えした制服姿で、襟元のリボンを直しながら歩いてくる。
「急にやる気満々だな。珍しいじゃん、そういうの」
「ふふん。女子のリレーで目立ちたいんだ。ほら、やっぱり、最後の体育祭だし」
「まだ来年あるけど」
「いや、気持ちの問題! “思い出”って、意識しないとできないんだから」
自信満々に胸を張る紗耶。少し肌寒くなってきたせいか、胸元のラインが……いや、何を考えてるんだ俺は。
「……ジロジロ見すぎ」
「いや、今のは……」
「ふふ。見たな?」
片眉を上げて笑う紗耶に、思わず視線を逸らす。
それから教室に入ると、クラスは体育祭の話題でざわざわしていた。どうやら競技の選抜や係分担などの紙が配られたらしい。
「おー、蓮。昼、メシ一緒しよーぜ」
声をかけてきたのは、同じクラスの友人・高橋。昼休みに屋上で集まるメンバーで、今日は芽衣も弁当を持ってきていると言っていた。
昼休み。屋上に向かうと、すでに芽衣が制服の上にカーディガンを羽織って待っていた。
「おにー……じゃなかった、蓮くん、おそい」
「おにー、でいいんじゃないの?」
「学校ではちがうし……」
照れくさそうに俯く芽衣。その手には、見慣れたキャラのランチボックス。
「ほら、今日はからあげ入ってるんだよ」
「お、やるじゃん。芽衣のからあげ、けっこううまいんだよな」
「……べつに、蓮くんのためじゃないけど」
「はいはい、わかってますよー」
そんなやりとりをしていると、高橋ともう一人、クラスメイトの岸本がやってきた。皆で屋上のベンチに腰掛けて弁当を広げる。
「そういや蓮、体育祭のリレー、出ることになってたぞ」
「は? いや、俺、立候補してないけど……」
「多数決だってさ。あと、女子のリレーは紗耶が出るらしい。しかもアンカー」
「なんでアンカー?」
「なんか、“大事な人の前ではカッコよくいたいし”って言ってた」
その“大事な人”って、もしかして俺のことなのか……と考えかけたところで、芽衣が不意に口を開いた。
「……ふーん」
「な、なんだよ、その“ふーん”って」
「べつに。そっちばっかり見てるんだなって」
と、小さく呟いた芽衣の顔は、少しだけ不機嫌そうだった。
放課後、机を片付けていたら、ふと背後から誰かの気配。
「ねえねえ、蓮くん、ちょっといい?」
振り返ると、そこには、柚月。
制服のスカートをひらりと揺らしながら近づいてくる彼女の手には、なぜか体操着が。
「これ、芽衣ちゃんのだと思うんだけど……落ちてた」
「ああ、ありがとう。あとで渡しとくよ」
何気なく受け取った体操着。だが、柚月の視線がそれをじーっと見つめていることに気づく。
「……で?」
「いや、なんとなく。男子が女子の体操着持ってるって、そういうの、ちょっとえっちじゃない?」
「お前が言うな」
「えへへ、うそうそ。でも、芽衣ちゃんの匂い、気になるでしょ?」
「嗅がねーよ!」
その瞬間、後ろの方から視線を感じて、振り返ると――三好が廊下の向こうからこちらを見ていた。
「……なんか、邪魔しちゃったみたいで、ごめんなさい」
と言って去っていく三好。
「ち、違う、今のは誤解だって!」
だが時すでに遅し。彼女は軽く会釈だけして、教室から離れていってしまった。
「……あーあ。柚月、責任取ってくれよ」
「ふふふ、冗談だったんだけどなぁ。まあ、がんばれ、モテ男子?」
「どこがモテてるんだよ……」
頭をかきながら、蓮はため息をついた。
体育祭の空気が近づくにつれ、どうも俺の周りも騒がしくなってきた気がする。
夕暮れが教室の窓から差し込むころ。俺は鞄に教科書をしまいながら、ふと三好のことを思い出していた。
(さっきの、ちゃんと誤解、解けたかな……)
最近、少しずつ三好と話す機会も増えてきた。でも、あの子は意外と繊細というか、自分の感情を表に出すのが苦手なタイプだ。あんな風に気まずいままで帰らせたのは、なんだか引っかかる。
迷った末、蓮はスマホを取り出し、彼女とのトーク画面を開いた。
【さっきの、ごめん。柚月の悪ノリだっただけで、変な意味はなかったから】
メッセージを打って、送るか迷う。けれど、何もしないよりはマシだと思って、思い切って送信した。
数分後、ぽん、と通知音が鳴る。
【気にしてません。……でも、ちょっとだけ、びっくりしました】
続いてもう一通。
【蓮くんって、女の子にからかわれやすいタイプなんですね】
「……なんだよそれ」
思わず苦笑いする。けど、絵文字もない淡々とした文面の中に、少しだけ安心したような雰囲気があった。
そのとき、廊下からひょいと顔をのぞかせる影がひとつ。
「蓮くんー、帰んないの? 夕飯までに帰るって約束でしょ」
紗耶だった。制服の上にパーカーを羽織り、髪を後ろでまとめて、いつものお姉さんモードとは少し違う雰囲気。
「はいはい、今行くって」
立ち上がって、スマホをポケットにしまう。
秋の夕暮れ。日が沈むのが少しずつ早くなってきた。
俺の周りも、少しずつ――でも確かに、変わってきている気がする。




