42.学校サボって義妹たちと過ごす
──翌朝、目覚ましが鳴るより早く、蓮は目を覚ました。
カーテンの隙間から、やけに明るい光が差し込んでいる。昨日の夜が遅かったせいか、頭はまだ少しぼんやりしていたけれど、心の中はどこか落ち着いていた。
昨日の芽衣の姿が、脳裏に焼きついている。
あの涙も、言葉も、少し震えた声も。
全部が、俺の中にずっしりと残っていた。
そして──
「……学校、行く気しないな」
思わずそう呟いた瞬間、部屋のドアがノックされた。
「蓮くん、起きてる?」
紗耶の声だった。寝起きにしては妙に落ち着いたトーンだった。
「ああ。そっちも?」
「うん……ちょっと、相談っていうか……今、リビング来られる?」
蓮はうなずいて立ち上がり、軽く顔を洗ってからリビングへ向かった。
すでにソファに座っていたのは紗耶と──
「……芽衣」
昨夜あんなことがあったにもかかわらず、芽衣はいつもの制服姿で、きちんとした髪型をしていた。でも、どこかぎこちなくて、目も少し赤かった。
「ごめん……起きてすぐ、制服着ちゃったんだけど……」
芽衣が俯きがちに言った。
「いや、別に。でも……今日、行く?」
蓮が問いかけると、芽衣はきゅっと唇をかんで、紗耶の方を見た。
「……実はね」
紗耶がゆっくり話し出した。
「今朝、お母さんと連絡取れたの。今日は夜勤明けで昼まで寝るらしいんだけど、ちょっとだけ相談したんだ。そしたら……“たまには学校サボってもいいんじゃない?”って。特別な日だって」
蓮と芽衣は、ほぼ同時に目を丸くした。
紗耶が軽く笑う。
「もちろん、よくあることじゃないよ? でも……昨日の芽衣のこともあるし。たぶん、お母さんも察してたんだと思う。だから、“三人で出かけてきたら?”って」
芽衣の目がまた少し潤んで、蓮の方をちらりと見た。
「いいの……? ほんとに?」
小さな声で問う芽衣に、俺は少しだけ肩をすくめて見せた。
「まぁ、そう言われたんなら、逆らえないよな。俺も正直……今日は授業、頭に入る気がしないし」
芽衣が、紗耶の方を見て、今度はちゃんと笑った。
「……ありがとう、姉さん」
「もう、“姉さん”とか言わなくていいってば」
そう言いながらも、紗耶の頬もゆるんでいた。
そして、三人で決めた──
今日は、学校をサボって、三人だけの“特別な日”にすることに。
電車に揺られて向かった先は、少し遠くの海辺の町だった。
平日ということもあって、駅前も観光地も人は少なく、夏の終わりの空気がどこかもの寂しげで心地よかった。
「……あー、風が気持ちいい……!」
駅を出てすぐに広がる海の匂いに、紗耶が両手を広げる。
「ほんと。こうしてると、昨日のことがちょっと嘘みたい」
芽衣も、制服ではなくカジュアルな服に着替えていた。明るい色のワンピースに薄手のカーディガン、リュックを背負ったその姿は、いつもの“妹”というより、年相応の高校生に見えた。
もちろん、俺も私服に着替えている。道中は少し気まずくなるかなと思ったけれど、案外、三人でいる空気は自然だった。
「さて、まずは何する? 朝ご飯、食べてないよね?」
「海のそばだし、海鮮丼とか食べたい!」
「芽衣のその元気が戻ってきてる感じ、いいな」
「う、うるさいっ……!」
芽衣が少し照れたように笑いながら、手で蓮の肩を軽く叩いた。
そのやり取りを、紗耶がどこか複雑な笑顔で見つめていることに、俺は気づかなかったふりをした。
(──今日は、三人で楽しもう)
そう心の中で呟いて、俺は芽衣と紗耶の二人と並んで歩き出した。
蓮たちは、駅前の小さな食堂に入った。店先にあった「新鮮!海の幸」という派手なのぼりとは裏腹に、店内は落ち着いた雰囲気で、地元の人しか知らなそうな空気を漂わせていた。
「すみません、海鮮丼三つ」
注文を終えたあと、紗耶がぼそっと呟く。
「……こういう日、いつぶりだろ」
「サボるのが?」
「それもあるけど、三人で、特に理由もなくどこか行くのってさ」
たしかに、最近は何かしらイベント絡みだった。夏祭り然り、文化祭然り。芽衣が悩んでいたこともあって、こうして“ただ時間を共有する”だけの日は、随分と久しぶりだったのかもしれない。
「ちょっと贅沢だよね、こういう日って」
芽衣が、膝の上で手を組みながら言う。
「普通に学校行ってたら、絶対なかった」
「ま、悪いことってわけじゃないけどな。たまには、こういうのも必要だろ」
「うん……」
芽衣は小さくうなずいて、でもすぐに顔を上げた。
「ありがと、お兄ちゃん。……昨日の夜、探してくれて」
「そりゃ、放っておけないだろ。俺だって焦ったし」
言いながら、ちょっとだけ芽衣の横顔を見た。
海で反射する日光が届くせいか、彼女の表情は昨日よりずっと柔らかく見えた。
そして、料理が運ばれてきた。大ぶりのネタがどんとのった海鮮丼は見た目にも鮮やかで、自然と三人の会話も弾んでいく。
「うわーっ、波、近い!」
昼過ぎ、海辺の砂浜にやってきた蓮たちは、裸足になって波打ち際を歩いていた。
芽衣が波に足を取られてバランスを崩し、きゃっと叫ぶ。
「おいおい、大丈夫か」
「だ、だいじょぶ! ちょっと冷たかっただけ!」
ふわふわした白いワンピースのすそを片手で押さえながら、芽衣は頬を染めている。横で見ていた紗耶が、にやにやしながら俺に目配せしてきた。
「ねえ蓮くん」
「ん?」
「芽衣、元気になってる。……ほんとに、ありがと」
「いや、俺だけの力じゃないって」
「でも、あなたじゃなきゃダメだったと思う」
そんな真剣な声で言われると、どうにも視線が定まらなくなる。
「……俺も、救われたんだよ。昨日。あいつが泣いてるの見たら、なんか、自分のことも見えてきたっていうか……」
「……ふふ。真面目かな」
紗耶が笑った。
「でも、好きだよ。そういうとこ」
小さな声だったけど、海の音にかき消されず、しっかり蓮の耳に届いた。
何も言い返せずにいると、今度は芽衣が貝殻を拾いに戻ってきた。
「ねえ、これ、かわいくない?」
小さな白い巻き貝を掌に乗せて、俺に見せてくる。
「ああ、いい感じじゃん」
「思い出に持って帰っちゃおうかな」
砂浜を歩いているだけなのに、三人の心の距離は不思議と近く感じられた。
夕暮れが近づくにつれて、空の色も茜色に変わっていく。
「……ねぇ、またこういう日、作れるかな」
ぽつりと芽衣が言った。
「作ろうと思えば、いつだって作れるよ」
紗耶が自然にそう返す。
「でも……また、ちょっとだけ強くなったらにする」
「うん、それも悪くないな」
そんな約束めいた会話をして、蓮たちは駅の方へと戻ることにした。
帰りの電車は、少し混んでいた。
蓮と芽衣は横並びで座り、紗耶は向かいの席に座っていた。
車窓から流れていく景色は、いつもより遅くまで明るかった。夏の終わりが、まだどこかに粘っているような空気。
「蓮くん……」
芽衣が、小さな声で俺の名前を呼んだ。
「ん?」
「……私、告白してきた男子には、ちゃんと断る」
「……そっか」
「昨日は、よくわかんなくなってて……逃げようとしてたの。自分の気持ちからも、蓮くんからも」
「逃げたっていいよ。……誰だって迷う」
芽衣はうなずき、座席に深くもたれかかった。
「でも、今日こうやって出かけて、思った。私はやっぱり、蓮くんと……蓮くんたちと一緒にいるのが、一番好き」
それが“恋”であるかは、芽衣自身もまだ言葉にしていない。
でも、それでいい。今はそれでいい。
「また明日から、頑張ろうね」
「うん、頑張ろうな」
ゆっくりと、電車は最寄り駅に近づいていた。
季節的にはそろそろ秋に変わります。




