39.“気になる人”の隣、って案外あったかい
昼休み。食べ終わった弁当箱を片付けていると、教室の入り口で視線を感じた。
ちら、と目をやると、水原がこっちを見ている。目が合った瞬間、彼女は小さく会釈をして、控えめに手を上げた。
「蓮先輩……今、少しお時間いいですか?」
すぐに周囲がざわつき始める。そりゃそうだ。階の違う1年女子が、2年の教室までやってきて、蓮を名指しで呼び出したのだから。
「お、おう。……廊下、行こうか」
気まずい空気の中、蓮は水原と一緒に廊下へ出た。窓際に並んで立つ。微妙に視線が合わず、蓮たちはなんともぎこちない距離感を保った。
「あの、先輩。前に……スタンプを送ってもらったじゃないですか」
「あ、うん。覚えてるよ」
「そのとき、ちゃんとお礼言えなかったなって思ってて。それで……今日、ちゃんと挨拶したくて」
「そんな、別に気にしなくてよかったのに」
「でも……先輩が、演劇でかっこよかったから。いえ、ちがっ……! その、勢いで話しかけてしまって、でもそれだけで終わるのがイヤで……!」
水原が目を丸くして言葉を詰まらせる。耳まで赤い。正直、俺には慣れない状況だ。
「……ありがとう。でも、水原さんが思ってるほど、俺はすごくないから」
「……謙遜ですか?」
「いや、割とマジで」
そんなやり取りに、彼女の口元が少しだけ緩んだ。
「先輩って……なんだか不思議な人ですね。静かで、でもちゃんと人のこと見てて、演技のときは……別人みたいに表情豊かで」
「……よく見てるな」
彼女の視線がまっすぐで、少し居心地が悪い。けれど、それを無碍にするほど俺は冷たくもなれない。
「……じゃあ、この前のお礼、何か奢らせてください!」
「え、いや、いいよ……ほんとに」
「いいえ、聞いてませんっ」
ぴしっと指を立てて主張する水原に、思わず苦笑が漏れる。
「じゃあ、放課後、購買で何か買ってきて一緒に食べましょ? それなら、お互いあんまり気を遣わなくてすむし……」
「……うん、わかった。それなら」
「やったっ!」
水原の顔がぱっと明るくなった。その瞬間、なんだかすこしだけ、この流れに巻き込まれてみるのも悪くないかもしれない、なんて思ってしまった自分がいた。
(あー……紗耶と芽衣、知ったらなんか言いそうだな)
すこしだけ、胃のあたりがざわつく感覚。けれどそれを、どこかくすぐったく思っている自分もいるのだった。
放課後。
蓮は教室を出たあと、昇降口近くの自販機横で水原と合流した。彼女は紙袋を片手に、そわそわとした様子で待っていた。
「先輩っ、買ってきましたよ」
「えっと……これ、全部?」
「はい。選びきれなかったので……」
そう言って差し出された袋の中には、紙パックのミルクティーとレモンティー、あとチョコ系とクッキー系の菓子パンがいくつか。明らかに2人分を超えている。
「いやいや、水原……この量、遠足じゃん」
「い、一応選択肢がある方がいいかと思って……」
両手で袋を押し返されそうになりつつも、彼女はにこっと笑った。
それがなんというか、思った以上に可愛いから困る。
「じゃあ、食べよっか。中庭、空いてるかも」
日が傾き始めた中庭は、部活帰りの生徒が通るくらいで、ベンチには誰もいなかった。蓮たちは並んで腰掛けて、パンの袋を開けた。
「これ、甘すぎません?」
「うん、たぶんカロリー爆弾」
チョコパンを一口食べて、苦笑がもれた。隣では水原がミルクティーを飲みながら、蓮の方をちらちら見ている。
「……先輩って、やっぱり普段は無口ですよね」
「まあ、よく言われる」
「でも、それが落ち着くというか……。なんか、喋らなくても大丈夫な感じがします」
「……俺も、わりとそういうの嫌いじゃない」
水原は目を丸くして、それから、ふっと笑った。
「えっ、それって、つまり……私と一緒にいても大丈夫ってことですか?」
「いや、まあ、うん。別に嫌ってわけじゃ……ないよ」
「ふふっ、先輩って、言い回しが回りくどいですね」
にやにや笑いながら言うその顔は、最初の印象とは違って、わりとお茶目だ。
「それにしても……ほんとに演技のときの先輩、かっこよかったですよ」
「またそれか」
「本当ですって。最後の告白シーン、めちゃくちゃ真に迫ってて……あれ、アドリブですよね?」
その話題を振られると、俺はつい視線をそらした。
「あれは……台本の流れから少しだけ変えた。相手が紗耶だったし、たぶん通じると思って」
「……やっぱり、そうなんですね」
水原の声がほんの少しだけ沈む。
しまった、と内心思ったときにはもう遅かった。
「義理の兄妹……なんですよね? 蓮先輩とあの紗耶さんって」
「うん、一応、名字は違うけど、家族だよ」
「でも……仲良さそうに見えました。あの演技、ぜんぶ演技だって思えなかった」
彼女の横顔には、笑顔と微かな寂しさが混ざっていた。
「……ごめんなさい、変なこと言いました」
「いや、別に……。でも、たしかにあれは“演技”だったけど、気持ちがゼロってわけじゃない。あいつは、家族としても、大事な存在だから」
その言葉に、水原はしばらく黙っていたが、やがてゆっくりと笑った。
「……やっぱり、ズルいです。先輩って」
「え?」
「優しくて、かっこよくて、ちょっと鈍くて、でもちゃんと真面目。そりゃあ、みんな気になるはずですよ」
「な、なんかハードル上がってない?」
「ふふ。そんな先輩と、こうしてお菓子食べながら話してる私、けっこうすごくないですか?」
「……確かに」
素直にそう思ってしまったのが、少しだけ悔しい。
「じゃあ、また学校でも話しかけてもいいですか?」
「もちろん。遠慮しないで」
「やった、約束ですよ?」
そう言って、水原は小指を立ててくる。冗談だろ、と思いつつ、俺もつられて指を伸ばす。
小指が触れた瞬間、彼女の笑顔がふわりと広がった。
──これが、少しだけ特別な何かの始まりかもしれない、なんて。
……そう思ってしまうのは、ちょっと早計すぎるだろうか。




