34.文化祭編②
文化祭二日目の朝。昇降口の前で芽衣と合流した蓮と紗耶は、クラスの出し物である演劇の簡単な準備を済ませると、出番までの時間を使って校内を見て回ることにした。
「お兄ちゃん、今日も演劇の時間、午後だよね?」
「そう。芽衣のクラスのシフトも午後からだっけ?」
「うん。今日は13時から。だから午前はヒマ」
芽衣は上機嫌で腕を組みながらそう言った。文化祭という非日常のせいか、普段よりテンションが高い。
「じゃあ、三好のクラス、行ってみる?」
「賛成。縁日って聞いてるし、芽衣、射的やりたーい!」
芽衣がはしゃぐ横で、紗耶も「行ってみよっか」と穏やかに笑った。
──三好のクラスは、教室全体を使った屋台風の縁日スペースになっていた。輪投げ、ヨーヨー釣り、くじ引きなど、教室のあちこちに模擬屋台が並ぶ。
「いらっしゃいませ〜……あっ」
三好が、受付で浴衣風の制服アレンジに身を包んでこちらに気づいた。少し驚いたあと、はにかむように笑う。
「風間さん……それに、紗耶さんと……妹さんも……」
「三好さん、雰囲気出てるね」
「かわいいー! 浴衣っぽいスカートって初めて見たかも!」
芽衣が素直に感想を言うと、三好は照れたように「ありがとうございます」と頭を下げた。
「この前は……花火大会、ご一緒できて楽しかったです。ありがとうございました」
「こちらこそ。来てくれて嬉しかったよ」
そう答えると、三好はほんの少し頬を染めた。蓮たちはそれぞれ、くじや輪投げを楽しむ。蓮はヨーヨー釣りで粘ったが、すぐに紙が破れて失敗。
「うわ、ダメだった……」
「お兄ちゃん、どんくさ!」
芽衣が笑い、三好が「もう一回どうですか?」と優しく声をかけてくれた。
十分に遊んだあと、俺たちは三好にお礼を言って、次の目的地へ向かった。
──柚月のクラスは、お化け屋敷。ただの脅かし系ではなく、謎解きミッション型だ。
「呪われた洋館から脱出せよ、か……凝ってんな」
受付にいたのは柚月本人で、黒っぽいドレスに猫耳カチューシャをつけていた。隣にはギャルっぽいクラスメイトも数人いて、にやにやしている。
「あっ、お義兄さん来たー! いらっしゃ〜い♡」
「お、ウワサの『妹2人持ち男子』じゃん。ほんとに実在したんだ!」
「で、どっち派? お姉ちゃん派? 妹派?」
「どっち派とかないからな」
蓮が苦笑すると、柚月が「もう、やめなって」と笑って蓮の腕を軽く引いた。
謎解きは意外と本格的で、教室内に仕掛けられたヒントを解きながら進む。芽衣は怖がりながらも謎を解こうと必死で、何度か蓮の腕を掴んだ。紗耶は落ち着いていたが、突然の音や光には少しだけ驚いていた。
「最後の謎は……これか。窓の外にヒントがあるってことは──」
「お兄ちゃん、そこ!」
芽衣の声を受けて、蓮が答えを解くと、ゴゴゴ……と音を立てて扉が開いた。
出口で待っていた柚月が「クリア、おめでと〜」と飴玉を三人に渡してくれる。
「すごーい、三人で全部解いたんだ」
「芽衣がけっこうひらめいてたよ」
「えへへ、ゲーム脳だからね!」
柚月が笑顔で手を振ってくれて、俺たちはお化け屋敷を後にした。
──廊下を歩いていると、見覚えのある二人がこちらに向かってくる。
「おっ、いたいた。蓮!」
声をかけてきたのは、俺の父親と、母親だった。平日はすれ違いばかりの二人だが、今日も休みを取って二人そろって文化祭に来てくれたらしい。
「昨日の演劇、面白かったぞ。二日目も観て帰ろうって話しててな」
「うんうん、紗耶のマントさばき、キレキレだったわよ〜」
俺たち三人は、親の前で少し照れながらも、どこか誇らしい気持ちで迎える。
すれ違う生徒たちが、ちらちらとこちらを見て、ひそひそと声を上げているのが耳に入る。
「今の人たちって……風間くんの親御さん?」
「え、じゃあ再婚ってほんとだったんだ……」
俺は聞こえないふりをした。だけど、それを否定したいとは思わない。ただの噂なんかじゃない。俺たちは、ちゃんと家族だ。
「それじゃ、わたしはそろそろ着替えてくるね」
芽衣が手を振って去っていく。今日の午後も、自分のクラスの出し物で店番に入る予定らしい。
残った俺と紗耶も、クラスに向かって歩き出す。
演劇二日目本番が近づいてきた。教室へ戻り、着替えや道具の確認を進めるなか、徐々に気持ちが切り替わっていく。
「……緊張する?」
「うん、ちょっとだけ。でも……蓮くんがいるし」
その小さな声に、俺は自然と背筋を伸ばした。
――そして、演劇の二日目が無事に終わった。
舞台裏はほっとした空気に包まれていた。拍手の余韻がまだ残っているようで、クラスメイトたちは興奮気味に感想を語り合っている。紗耶もマントを脱ぎながら、女子たちに囲まれていた。
蓮は少し離れたところで道具を片付けていた。ようやく肩の荷が下りて、軽く伸びをしたそのとき――
「よっ、探してたんだよ」
不意に背後から声をかけられた。
振り返ると、見知らぬ男子が立っていた。他校の制服で、少し年上に見える。整った顔立ちに自信ありげな表情を浮かべている。
「……誰?」
「やっぱ知らねーか。ま、そりゃそうか。中学は別だもんな」
男は勝手に頷きながら、視線を紗耶のほうに向けた。
「あいつと仲良いって聞いてさ。元カノの活躍、ちょっと見てみたくなったわけよ」
「――元カノ?」
「おう。中学のとき付き合ってた。佐伯って言うんだけど」
妙に馴れ馴れしい態度に、思わず眉がひそむ。
「で? 彼氏か、お前?」
言いながら、ニヤついた目で俺の顔を覗き込んでくる。
俺は、即答した。
「違う」
「ふーん? でも、なんかそれっぽく見えるけどなぁ。舞台の上でも、けっこう息合ってたし」
「ただの義兄妹だ。それ以上でも以下でもない」
はっきり言い切った俺の言葉に、佐伯は肩をすくめた。
「そっかそっか。そーいう設定もアリか」
そのとき、着替えを終えた紗耶がこっちに気づいて歩いてきた。
「……佐伯?」
「お、来た来た。ひさしぶり」
その軽いノリに、紗耶は目を細める。
「なにしに来たの?」
「見に来ただけ。劇、よかったよ。なんか、昔より楽しそうだったな」
「……そっか。ありがと。でも、もう過去の話だよね?」
紗耶はきっぱり言った。その声には揺らぎがなかった。
「今は、蓮くんや芽衣、みんなと一緒にいられるだけで、十分。そういうの、もういらないの」
佐伯は口元だけで笑い、頭をかいた。
「ま、そう言うと思った。そんじゃ、邪魔したな」
そう言って軽く手を振り、彼は踵を返した。
沈黙が落ちた。紗耶と並んで、その背中を見送る。
「なんだったんだ、あいつ……」
「さあ。でも、ちょっとスッキリしたかも」
紗耶が俺の方をちらりと見て、小さく笑う。
「……さっき、ありがと。ちゃんと否定してくれて」
「いや、当然だろ。なんか嫌だったし、勘違いされるのも」
「……うん。でも、“大切な人”って意味では、間違ってないから」
そう言って、紗耶は顔を少しだけ赤らめながら、また歩き出した。
俺も遅れてその背中を追いかける。
二日目の演劇が終わって、なにか一つ、少しだけ変わった気がした。