31.君の仮面を、少しだけ剥がせたなら
文化祭まであと3日。
放課後の体育館は、まるで本番のように熱気に包まれていた。
「よーし、次は探偵と怪盗の対決シーン、いくぞー!」
演出担当の高橋の掛け声に、俺と紗耶はそれぞれ立ち位置へ向かう。
「……準備はいい?」
斜め前に立った紗耶が、小さな声で尋ねてきた。仮面を手にしたその表情は、どこか緊張しているようで、でもどこか楽しそうだった。
「ああ、なんとか」
俺も帽子を深くかぶり、探偵らしいポーズを意識する。正直なところ、演技経験なんてほぼゼロ。週末に芽衣相手に練習してみたものの、照れが先に立ってどうにもぎこちない。
「じゃあ――始めます!」
高橋の合図と同時に、照明が当たった。
舞台の中央、怪盗役の紗耶が登場する。黒いマントがひるがえり、仮面の下の目元が妖しく光る。
……見慣れた顔のはずなのに、演技に入った途端、別人のような雰囲気を纏うのが少し悔しい。
「ようこそ、名探偵くん。今日もまた、間に合わなかったね?」
「……お前の狙いは、いったい何なんなんだ……!」
噛んだ。盛大に噛んだ。
「なんなんだ」が「なんなんなんだ」になって、クラスメイトからクスクスと笑い声が上がる。
「ちょっとー! そこの名探偵、カミカミじゃん!」
「これじゃ事件も解決できねーなー!」
高橋たちが笑いながらヤジを飛ばすなか、紗耶がふぅとため息をついた。
「……真面目にやりなさい。犯人、逃げちゃうわよ?」
それだけ言って、紗耶はマントを翻し、颯爽と舞台袖へ去っていった。
ああ、なんか妙にかっこよくて腹立つ。
「はいはーい、次は衣装合わせ行くよー!」
今度は衣装係の女子が仕切り出して、俺と紗耶はそれぞれ指定された衣装に着替えることになった。
「……なにそれ」
更衣室から出た俺を見た紗耶が、呆れたような顔で言った。
「え、似合ってない?」
「探偵っていうより……昭和の刑事って感じ。あと、帽子のサイズ合ってない」
「そんなこと言うなら、お前だって」
言いかけて、言葉が詰まった。
紗耶は仮面と黒のロングマント、そしてぴったりとした黒いドレスを身につけていた。
いつもは制服か部屋着しか見ていないせいか、やたらと大人っぽく見えて、目のやり場に困る。
「……なによ」
「……いや、似合ってるなって」
俺がぼそりと漏らすと、紗耶は少しだけ頬を赤らめて、仮面の奥で視線をそらした。
「当然でしょ。衣装合わせ、何度もしたんだから」
あれ、ちょっと照れてる? いや、気のせいか。
家に帰ると、蓮は芽衣からセリフ練習に付き合ってやると言われ、半ば強制的にやらされた。
一段落して、芽衣が満足げに帰っていったのは、もう22時を回ったころだった。
ふぅ、と長いため息をついてベッドに寝転がった俺のもとに、今度は控えめなノック音が響いた。
「……入るよ」
ドアが静かに開いて、部屋に入ってきたのは紗耶だった。パジャマ姿で、手にはカップに入った紅茶を持っている。
「芽衣に付き合ってたんでしょ。お疲れさま」
「……ああ。もう完全に役者気取りだよ、あいつ」
「ふふ、楽しそうだったもの」
そう言って、紗耶は俺のデスクの椅子に腰を下ろした。静かな夜の空気に、ほんのり紅茶の香りが漂う。
「でも、蓮くんもだいぶセリフ上手くなってきたじゃない。最初の頃なんて、セリフ読んでるんじゃなくて、呪文唱えてるみたいだったもの」
「どんな言い方だよ……でもまあ、自覚はある」
「やっと、形になってきたって感じだね」
窓の外からは、かすかに虫の声。
こうして話していると、学校で演技をしていた彼女と、今目の前にいる紗耶が、まるで別人のようにも思えてくる。
「……仮面つけてる方が、自然に振る舞えるんだよね」
「え?」
不意に、ぽつりと彼女が言った。俺が眉をひそめると、紗耶はちょっと困ったように微笑んだ。
「演技してるときのほうが、本当の自分に近いような気がするときがあるの。気を張らなくていいというか……」
「へえ、意外だな。てっきり、クールに構えてるのが素なんだと思ってた」
「……違うよ。わたしだって、けっこうドキドキしてるんだから」
その言葉に、少しだけ息を呑む。
「じゃあ……文化祭、楽しみにしてるってことか?」
「もちろん。……でも」
紗耶は少しだけ視線を落とし、それから俺の方を見た。
「演技とはいえ、ちゃんと“怪盗を捕まえて”くれないと困るからね。探偵くん」
「……了解。全力で捕まえに行くよ、怪盗さん」
しばらく沈黙が続いたあと、紗耶は立ち上がって、持ってきたカップを俺の机に置いた。
「冷めないうちに飲みなよ」
「サンキュ」
部屋を出ていく紗耶の後ろ姿を見送りながら、なんだか胸の奥が、ほんの少しだけ温かくなるのを感じた。
仮面の下の表情は、まだ全部はわからない。
でも、少しずつでも。俺なりに、知っていけたらいいと思った。




