23.家族旅行編①
車が走り出してしばらく、リビングの余韻のまま、車内は妙に静かだった。
蓮はミニバンの三列目シートで、窓の外に流れる景色をぼんやりと眺めていた。
一つ前の席では芽衣がイヤホンを片耳にだけ装着して、スマホの画面をいじっている。
「……お兄ちゃん、酔わない?」
「後ろの席だし、景色見てるから大丈夫」
「ふーん……。あ、昨日の写真、送っといたから」
「ん、ありがと」
芽衣はうなずいて、またスマホの画面に視線を戻した。
紗耶は芽衣の隣で、窓の外を見ていた。
黒のカーディガンを羽織って、どこか遠出慣れした大人びた雰囲気だ。
蓮はその背中をちらりと見ながら、なんとなく問いかけてみる。
「花火、楽しかったな」
「うん。……ああいうイベント、ひさしぶりだったかも」
「三好も、すごくうれしそうだったよな」
そう口にした瞬間、芽衣の手がぴたりと止まったのを、蓮は気づいた。
だが、特に何を言うでもなく、そのままイヤホンをはずす。
紗耶は軽く笑った。
「三好さん、礼儀正しいし、素直な子だよね。蓮くん、わりとタイプ?」
「いじってんだろ、それ」
「んー、半分くらい?」
隣で芽衣が小さく咳払いをする。
それ以上、三好の話題は出なかった。
数時間の移動の末、京都府海沿いの温泉街にある小さな旅館へと到着した。
どこか懐かしいような、木の香りがする建物だった。
「ようこそお越しくださいました」
笑顔の仲居さんが案内してくれたロビーで、母がチェックインを済ませていると、父が蓮たち三人に言った。
「今回は四部屋取ってあるから、蓮たちはそれぞれ一人部屋な」
「えっ?」
芽衣が驚きの声を上げる。
「一人部屋!? みんなで泊まるんじゃないの?」
「旅行っていっても、合宿じゃないしね。たまには気を使わず、好きに過ごしていいんじゃない?」
母の言葉に、紗耶はふっと微笑んだ。
「いいね、それ」
「温泉もあるし、のんびりできそうだな」
蓮が言うと、芽衣がふくれっ面になる。
「ちょっとだけ、さみしいかも……」
「夜になったら廊下で怪談でもしに来いよ」
「なにそれ怖い」
チェックインを終え、それぞれの部屋に荷物を置くと、母から「夕食は18時、ロビー集合」との指示が届いた。
その連絡と同時に、芽衣から兄妹のグループにLINEが飛んでくる。
「芽衣:浴衣に着替えるの、誰が一番早いか勝負しよ!」
「紗耶:そのノリには付き合わないけど、まあ行く」
「蓮:俺、部屋で静かにしてるのが一番好きなんだけど」
「芽衣:それが一番つまんない~~」
思わず苦笑しながら、蓮は甚平の帯を手に取った。
甚平を着るのは初めてだ。どっちが前かすらわからない。
何度もスマホで調べながら、ようやくそれらしい格好に仕上げた。
18時前、甚平姿のままロビーに降りると、すでに蓮以外が揃っていた。
芽衣は薄い桜色の浴衣に、紗耶は紺地に白の波模様のようなデザイン。
二人とも、髪は旅館のヘアアクセでまとめていて、ちょっとした“非日常”を楽しんでいるようだった。
「お、ちゃんと着れたじゃん」
「これでも俺、できる男なんで」
「お兄ちゃんにしては上出来」
「……言い方考えろ」
そのやり取りを見ながら、紗耶が笑った。
「旅行っぽくなってきたね、やっと」
「なんか、夏休みって感じするよな」
その言葉に、芽衣も「うん」とうなずいた。
父と母は一連のやり取りを微笑ましく感じていた。
急な再婚の上に、中々団欒の時間を設けられないことを懸念していたのだろう。
そこへ仲居さんが声をかけてくる。
「お食事のご用意ができております。どうぞ、こちらへ」
蓮たちは連れられて、館内奥の個室の食事処へと向かった。
座卓には、すでに見たこともないほど豪華な夕食がずらりと並んでいる。
「うわ……なにこれ、すごい!」
芽衣が目を丸くして立ち尽くす。
刺身に焼き魚、天ぷら、小鉢に並んだ季節の惣菜、さらには土鍋の炊き込みご飯まで――まさに旅館の懐石料理だった。
「どうぞ、こちらへ」
仲居さんに促され、蓮たち三人と、父、母も席についた。
「まさかこんな豪華だとはね。ちょっと見直したわよ、パパ」
「俺が選んだんじゃなくて、会社の人におすすめ聞いただけだけどな」
父が照れくさそうに言うと、母がくすりと笑った。
「でも、いいお宿ね。お料理も美味しそうだし、静かで」
紗耶は落ち着いた調子で頷きつつ、天ぷらをつつく。
「旅館って、料理出るタイミングがいいよね。ひとつずつ来る感じが落ち着く」
「家でもこういうの出してよ、ママ」
「はいはい、言うのは自由よ」
芽衣の無茶振りに、母が笑って返す。
蓮は刺身に箸を伸ばしながら、ちらりと隣を見る。
紗耶が丁寧に盛りつけられた前菜を、ひとつひとつ味わうように口に運んでいるのが見えた。
一方、芽衣は目移りしているらしく、箸を握ったまま「どれから食べればいいのか悩む……」と唸っている。
父は熱燗をちびちびとやりつつ、母と小声でなにやら会話をしていた。
普段の食卓とは違う。だが、それでも本物の「家族」としての空気が、ここには確かにあった。
「……あー、これはうまい」
思わず蓮がつぶやくと、芽衣が「どれどれ」と覗き込んでくる。
「お兄ちゃん、それなに食べてんの?」
「鰆の西京焼き。これ、やばい」
「え、それそんな美味しいの? お兄ちゃんのやつちょっとちょうだい」
「いや、お前にも同じのあるだろ」
「でもお兄ちゃんの、なんか焼き加減ちょうどよさそうだし……!」
「理由が雑だな……はい、少しだけな」
芽衣が嬉しそうにひと口もらい、「んー、やっぱりうまい」とご満悦。
その様子に、紗耶が小さく笑う。
「……なんか、ほんとに家族みたいだね」
「家族じゃなかったか?」
「ん、そうなんだけどさ」
その言葉に、ほんの少しだけ温かい空気が流れた。
食後、デザートの水まんじゅうを食べ終えた頃、父が言った。
「今日は早く休んで、明日は海に行くぞ」
「やったー!」
芽衣が素直に喜ぶ。
そんな妹を見ながら、蓮もこっそり心の中で思う。
――突然義兄妹になって迎えた、最初の家族旅行。
まだ不思議な気持ちはあるけど、少しずつ“それっぽさ”は増してきている気がする。
旅館の廊下に出ると、窓の向こうに夜の海がうっすらと見えた。
波の音が、ほんの少しだけ心を静かにしてくれる。
これ書いてたらお腹空いてきました。




