2.義兄妹、洗濯と湯気と距離感
二日目の朝。風間蓮は寝癖のついた髪を手でぐしゃっと押さえながら、階段をのろのろと降りた。今日は祝日で学校はないが、なんとなく目が覚めてしまった。頭はまだ半分眠っているが、昨日のあの微妙な空気はよく覚えている。
白石姉妹――紗耶と芽衣。突然できた義姉妹。初日はお互い気を遣ってほぼ無言だったが、それも長くは続かなかった。
「おはよ、蓮くん!」
明るい声が飛んできた。台所から顔を出したのは、パジャマ姿の芽衣だった。昨日とは打って変わって、なんだか妙にテンションが高い。
「お、おう……おはよう」
「あれ? 寝癖すごいよ? ほらほら、しゃがんでしゃがんで~」
「いや、自分でやるって」
が、言うが早いか、芽衣はタオル片手に蓮の頭をわしわしとこすり始めた。
「子犬みたいでかわいー!」
「やめろ、近いって!」
昨日はあんなに遠慮してたくせに、今日はなんだこの距離の詰めっぷり。まるで慣れた幼なじみか何かみたいだ。
リビングに行くと、紗耶がすでに朝食を作っていた。黒髪を後ろでひとつにまとめ、エプロン姿でフライパンを扱う姿は、どこか母親みたいに落ち着いている。
「……うるさい。朝から騒がないで」
「うるさくしてんのは芽衣だろ」
「ふたりとも静かに食べて。味噌汁冷めるから」
完全に主婦のテンションである。
朝食の後、芽衣と蓮は洗濯を任されることになった。風呂場で回っていた洗濯機が止まると、芽衣がタオルを抱えてベランダに出た。蓮もついていくと、思わぬ罠が待っていた。
「ふふ、じゃーん、これ私のパンツ」
「ちょ、やめろぉぉぉ!!」
蓮が持っていた洗濯バサミが、スローモーションで床に落ちる。
「昨日は遠慮してたけど、今日からは“家族”だから、恥ずかしくないよね?」
「恥ずかしいに決まってるだろ! 家族だって限度がある!」
「えー、紗耶ねえにも見せたのに~」
「姉妹だからだろ!? 俺は“他人から義理になっただけ”の兄だぞ!!」
ガラッ、とベランダの窓が開き、紗耶が顔を出した。
「芽衣。調子に乗るの、そこまでにして」
「へい、姉さん……」
夕方、蓮が自室でスマホをいじっていると、コンコンとノックの音がした。
「はい?」
ドアを開けると、芽衣が顔をのぞかせていた。
「ねえねえ、一緒にドラマ見よ?」
「……なんで俺と?」
「だって、紗耶ねえは宿題って言って部屋こもっちゃったし、ひとりで見るの寂しいもん」
妹系後輩モード全開の笑顔でそう言われると、断る理由が見つからない。
「まあ、別にいいけど……」
リビングのテレビを占拠して、二人並んで恋愛ドラマを観ることになった。内容はよくある学園ラブストーリー。男主人公が鈍感で、女の子たちに振り回されている。
「うわ、こいつほんと鈍いなぁ……ほらほら、今のセリフで気づかないと!」
芽衣は感情移入しながら、ソファでぴょんぴょん跳ねる。横でおとなしく見ていた蓮も、次第にツッコミを入れるようになっていた。
「ていうか、こんな都合よく女の子ばっかり寄ってくるかよ……」
「フィクションだもん。……でも、現実でも、たまにはあるんじゃない?」
芽衣がちらりと蓮を見上げる。
「な、何が?」
「例えば、急に義兄妹になった人が、案外優しかったとか」
そう言って笑う彼女の顔に、悪意はまったくない。むしろ、純粋に“嬉しい”という気持ちが透けて見えた。
……やばい、正面からそんな顔向けられると、ドキッとする。
「――芽衣、うるさい。テレビの音聞こえない」
そのタイミングで、背後から冷たい声が降ってきた。振り返ると、湯上がりの紗耶が髪をタオルで拭きながら立っていた。
「わっ、紗耶ねえ、もうお風呂出たの?」
「うん。次、蓮くん入っていいよ」
「……あ、ああ。ありがと」
その一言すらも緊張してしまうのは、自分でも情けないと思う。でも、今までとは違う関係になった以上、そう簡単には割り切れない。
バスルームへ向かう途中、ふと視線を感じて振り返ると、紗耶がまだタオルを片手に、こちらを見ていた。
表情は読み取れなかった。ただ、わずかにまつ毛が伏せられていたのが印象的だった。
(……もしかして、何か思ってる?)
蓮は湯気の立ち込める浴室のドアを開けながら、小さくため息をついた。
家族になったっていうけど、それだけじゃ割り切れない感情が、確実に芽を出し始めている気がした。