19.誘うって、こんなに難しい
テレビから、夏の風物詩らしい賑やかな音が流れていた。
『今週末、○○市では恒例の花火大会が開催されます〜!今年は四年ぶりに規模拡大!』
「うおっ、やばっ、これ絶対人混みすごいやつじゃん」
ソファの上で胡坐をかいた蓮がそう言うと、隣でクッションを抱えた芽衣がぱっと顔を上げた。
「これ!これ行こ!来週の日曜でしょ?ちょうど夏休み後半の一発目って感じ!」
「……うーん、混んでるとこって正直疲れるし」
「はい出た!陰の者発言!」
「否定はしないけどな……」
そこに台所から麦茶の入ったグラスを持った紗耶が加わる。
「花火かぁ……浴衣、持ってないな」
「それなら買いに行こうよ!紗耶ねえの浴衣姿、めっちゃ似合いそうだし!」
「そ、そう?でも、高いんじゃない……?」
「今の時代、通販とかセットで安いものもあるよ!」
「お前はどこでその情報仕入れてんだよ……」
蓮が突っ込むと、芽衣は得意げにスマホを掲げた。
女子チームのテンションは一気に高まっていて、気づけば「じゃあ柚月ちゃんにも連絡しとくね〜」という言葉まで飛び出していた。
流れで行くことになりそうだな……と、蓮は半ば諦めたようにため息をついた。
しかし、不思議と以前よりも不快に思っていない自分がいた。
夕方、蓮は近所のスーパーへ食材を買いに出かけた。
道すがら、本屋にも立ち寄った。試験勉強モードは過ぎたが、参考書売り場の前に立つのはもう習慣になっていた。
数冊を手に取って眺めていると、ふいに聞き慣れた声が背後から響いた。
「あ……あの、風間さん?」
振り向くと、三好がいた。
相変わらず地味めな格好だが、髪は少し結ばれていて、眼鏡越しに見える目がほんのり驚いていた。
「三好? 奇遇だな」
「はい……! 気分で、普段来ない書店まで足を運んでみました。」
「そうだったんだ。あ、この前の参考書、すごく良かったよ。ありがとう」
「う、うん。それならよかったです」
三好は軽く会釈してから、手にしていた小さな紙袋を抱え直した。
中身はたぶん文庫か、何かのノートだろう。
少しの沈黙が流れたあと、壁に張られたポスターを見た三好がぽつりとつぶやいた。
「……花火、今年も、行かないつもりで」
「ん?」
「その、ああいうの、ちょっと人多いですし……浴衣もないですし……」
蓮は返事に迷った。
誘っていいのかどうか――その言葉を出しかけて、飲み込んだ。
タイミングを測るうちに、三好は「あ、じゃあ私これで」と軽く頭を下げて去っていった。
蓮はその小さな背中を見送りながら、もやもやした思いを抱えたまま、参考書を持ってレジへ向かった。
夜。夕食を終えて、芽衣とリビングでアイスを食べていたときのこと。
「お兄ちゃん、夏期講習の子に会ったって?」
「……ああ、三好な。たまたま会ったよ」
「花火の話、出た?」
「まあ……行かないって言ってたけど」
蓮はアイスの棒をくわえながら、少しだけ目を伏せた。
「誘ってみたら? 三好さんも」
「え?」
「話聞いた感じ、花火自体は嫌いじゃなさそうだし。人多い方が楽しいもん」
言い終えたあと、芽衣はすぐテレビの方を向いた。
まるで、今の発言が特別な意味を持たないかのように。
蓮はその横顔を横目に見ながら、手の中のアイスの棒を無意識に折った。
部屋に戻っても、蓮の頭の中には芽衣の言葉が残っていた。
『誘ってみたら? 三好さんも』
簡単に言うけど、ああいうのは難しい。
“女の子を花火に誘う”って、たぶん当人が受け取るよりもずっと、俺にとって特別な行為だ。
三好との関係は、まだほんの数回、話しただけだ。
問題集のことで少し会話して、偶然ばったり会って、ちょっと気まずい空気が流れた程度。
それでも。
『その、ああいうの、ちょっと人多いですし……浴衣もないですし……』
少し遠慮がちに、かつ寂しそうにそう言った彼女を、蓮は放っておけなかった。
お節介で、踏み込みすぎかもしれない。でも、何もせずにはいられなかった。
これは、彼のわがままだった。
蓮はスマホを手に取った。
画面の中の連絡先リストをゆっくりとスクロールして、そこにある「三好 奈々」の名前で指を止める。
(……無理にとは言わない。けど、よかったら――)
送信ボタンにかけた親指を止めたまま、蓮はしばらく画面を見つめていた。
そして、軽く息を吐いてから、そのままスマホを伏せた。
「もうちょっとだけ、考えよう」
その声は誰に聞かせるでもなく、静かに夜に溶けていった。