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不在主人公  作者: 俺は犬!
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777777777777歩才


野暮用があって、俺は人里離れた山の奥地へ踏み入れていた。

まあ、正確には山の中ですらない…この話はいいか。


「見ろよ、この結晶花の輝きを。摘みたての鮮やかさを」

「それ貴重な資源だよな…無駄遣いされると妙に腹がたつけど」


相手に指先で摘んで見せた水晶の内部には、紅蓮の光がちろちろと仄めいている。

精霊達の丹精の甲斐あり、幻の紅の霊結晶花が咲き乱れ、月光を蓄えて銀色に輝く清らな川の流れる幽邃境。

そんな地には不相応と思えるような、漆黒の大樹の幹の上で寛ぎながら…俺は乙夜の空を見上げた。


今にも宵の闇に溶けて消えそうな儚さの美少年である俺の隣には、一人の青年が不貞腐れた様子で座っている。

享楽の都を統治する“守護者“の態度としては些か頂けないんじゃないか。


「ねえドブネズミくん、僕にもう役目が無いのなら帰らせてくれない?いちいち言わなくても分かって欲しいもんだけど、僕には予定があるんだよ。この僕の仕事が絶える日は一日たりとも存在しない」

「今から俺とこの場所で一晩過ごすという予定に変更しないか。それも一つの手だ」

「ならないね。たとえ僕が死ぬとしても」


肩を竦め、薄色のサングラス越しに目を細めてこちらを見下すその男。

仕草はなかなかに憎らしいが見栄えもする。

しかし…この絶景と、このイケメンな俺を見て少しも心が動かない?

感性が壊れてるな。


「気になったことが一つある。ドブネズミってなんだよ。俺のことを言いたいのなら【灰鼠】でいいだろ。お前達の二つ名と比べれば無名にしても、ここらでの通り名だし」

「まあ、君にゃドブネズミが似合ってるからね…ドブネズミくんが僕の二つ名【白天の守護者】と、センスの無い君の通称を同列に考えるほど馬鹿じゃなくてよかったよ。それで、再度聞くけど帰らせてくれる?」

「あー、いいぜ。解散するか」

「はあ…そんなに軽いならどうして今まで待たされたんだ。じゃあ成丈早くして!ほら」


寝転ぶ俺の片足を手で掴み、ゆさゆさと揺らして急かす彼。

スキンシップをするにあたっての躊躇が無い。

お前、そんなんだから『家族』に避けられんだろ。

俺は笑顔で上体を起こし、彼の頭を掴んで地面に押しつけた。

その小洒落た真白い衣服が若干汚れたのを見ると良い…そう、良い気分だ。


「ちょっと、理不尽だよ」


彼は前髪についた土を払ったあと、微笑みつつ鋭い眼差しをこちらに向けてきた。

正直怖くはない。寧ろ…

よし。

余計な考えを振り払い、出口を呼び出す。


「怒るなって。早く商談相手だか彼女だかにお前の可愛らしい顔面見せてこいよ。ああそうだ、そこに咲いてる白い花はお前によく似合いそうだな。ぶち抜いて髪に刺せば更に可愛らしく」

「可愛いとか可愛らしいとか何度も言うなよこの俗物のクソガキ」

「口が悪いな」


彼は笑顔のまま一頻り俺に対する謂れのない暴言を吐いた後、空間を繋ぐ門を足速に潜り抜けていった。

俺はボリボリと石のように硬い花を食いながら、何の気配もなくなった虚空を眺めていた。







おはよう世界。



どのようにしても、思う壺。

全ては終焉を創生するために形成され、確かにその役を演じている。


ただ、俺は割りかし自由で…

囚われていることを探す方が難しい。

それでも否定できないのは、過去から逃れられないということ。


「あの日食った肉の味が忘れられない」

「ふーん」


俺は至極大事そうな顔でそう言ったのだが、背後からは生返事のみが返される。

さあ今日も今日とて、寝坊してもいないのに遅刻しつつあるわけだが…

俺は何故か寮の前にある自販機の前で、悠長にリジと絡んでいた。

おー、本当こいつ不真面目だな。俺を見習え。


「ホロに味の良し悪しとか分かるのか?」


リジは紅茶の入ったボトルを両手で持ったまま首を傾げる。可愛らしいな。

可愛らしいが、今彼の放った言葉のお陰であまり興奮出来ない。


「リジ?なんだと思ってんだよ。俺のこと」

「言ったらお前が傷つくからやめとく」


そうきたか…まあ知ってはいたぜ?

優しくて賢く非の打ち所がない俺を悪し様に言うことなんて、この世の誰にも出来ないということを。

とはいえ、俺を傷つけたくないというその心には価値があるだろう。


「んで、その肉ってどんなだ?」

「海龍の肉」

「お前なんか騙されてるよ。どんな舐めた値段で買わされたの」


食い気味に発せられた言葉に傷ついた。俺の心が。

確かにこれまでににも、幻羊の角で作ったペンという名前の鉛筆や、太古の沈没船から回収された置物という名前の生鮭を買わされたことはあるが。

しかし、リジは真剣な顔でこちらに迫っている。

全く騙された覚えはないが、それは衷心から此方を心配しているような表情であると読み解けた。そうだから、俺も彼の誠意を尊重する。

俺はリジの肩に手を置き、真っ直ぐに目を見て、言った。


「心配されることなんてない。俺は体を売り、その対価として価値のあるものを貰っただけだ……なんだその目。そのやけに憐憫を孕んだ目…いや、熱っぽい目か?俺をやらしい目で見て…いやらしめの目つきで女々しい俺を辱めようと面と向かってジャッジメント」

「見てねえよ、めーめーうるせえな。俺の気も知らずに…」


リジは面倒臭そうに俺の手を払い飛ばした。

そして紅茶を一気飲みして一息ついた後、缶をゴミ箱へと突っ込む。


「お前がそれを買った相手とはまだ連絡つくか?」

「ああ。いつでも」

「俺も会いに行っていい?食ってみてえし、その海龍の肉とやら」


先ほどまで懐疑的だったくせに随分と早い心変わりだ。

ははは、理解できなくもない。最近は専ら学園で話題になっている“海龍“に関することだからな。

そうして次の休みの予定にはリジとのデートが組み込まれた。


その後、リジと一緒にだるまさんが転んだをして校舎へ向かおうとしたのだが、彼はゴールを決めると言ってそのまま校舎まで歩いて行った。

そして姿が見えなくなって以降、ずっと音沙汰は無く…


二時間ほど待ち、そこで俺は諦めて教室へと向かった。

まあ、リジも俺とのデートが楽しみすぎて遊びのことが頭から消えてしまったのだろう。

鳥頭なところあるんだよな〜、リジ。ああ見えて。

毎日が充実していることに気持ちを綻ばせながらも、俺はようやっと教室の扉に手をかけ…


扉を開けるなり担任に出席簿で頭を叩かれた。


「遅刻するにしても連絡入れろ!もう昼だろうが!」


体罰はいけないな。誰も来ないような場所にある密室でなら幾らでも付き合えるが。

内心そんなことを思いつつ自身の席に向かう途中、昨日俺の超絶エレガントな腹筋を殴ってきた銀髪野郎と目が合った。

バチコンと俺の美しい瞳でウィンクを飛ばしてやると死んだ目をして中指を立ててきた。


「他人を揶揄うな!」


今度は担任のチョークが頭に当たったので大人しく席に座った。



そして少しすれば昼休みの時間になった。

俺は背後に振り向いてクロの机に包装された菓子を置いた。

炭酸飴二つ。これでお前の時間を買わせてくれ。


「安い」

「どんくらい足りない?」

「もう一つだ」


俺はクロの筆箱に飴を一つ投げ入れてから語り出す。


「俺は少し前、机の中から或るプリントを取り出した。難しい字が多すぎて、一度俺は読むことを諦めた。しかし、皆が知っていることを俺だけが知らないだろうかという不安や緊張から俺の交感神経は急激に活発化し、3000Lほど発汗したんだ…その結果、汗によって書かれた文字は滲んで幾ら読もうと思えど判読不能になった挙句、プリントにいきなり足が生えて逃げ出した。今や俺は八方塞がりの状態というわけでな」

「お前が幻視と妄言をするのはいつものことだが…それにしても、どうしてそんな急に活字嫌いを発症するんだ?」

「だからクロ。お前のプリントを見せてくれ。あと俺が読めなかった部分に印をつけるから、そこを読んでほしい」

「まあ、いいだろう」


俺はクロの鞄からプリントを勝手に取り出し、鉛筆で一文字ずつ字を囲う。

クロは素直にそれを音読してくれた。


「…あ…い、して…る……何を言わせるんだお前は」

「これ委員会委員募集の知らせだよな。お前どこか入んの?」

「何処にも入る気はない」


じゃあ俺もいいや。

そういえば、図書館で借りた本を昨晩に読過したんだった。

俺は自分の鞄に手を突っ込んで手に当たった本らしきものを引っ張り出した。


『ぬとねの区別の付け方』


違う。これじゃない。

俺が欲しいのは薬草学の本なんだな。


『この本を読んだ人以外全員バカアホマヌケ』


どうにも欲しいものが出てこないので俺はカバンの中を机にぶちまけた。

個包装された菓子中心に、雑多なものがバラバラと散らばる。


「相変わらず学生の鞄ではないな…」

「学生じゃなくて超優秀な学生だからな」

「他者からの期待を裏切る、という期待を裏切らない。そう言った意味では優秀だろうな」

「うっせえ、ややこしいこと言うな!」


俺はクロの口に包装されたままの飴玉を無理やり突っ込んで教室を出た。

当然、片手には図書館に返却するための本を持っている。

少し振り返ると、俺が少し離れた瞬間にクロの側へ女子どもが集い始めた様子が窺えた。

休みが終わるまでは向こうで過ごすか。

そう心に決めて廊下を歩いていると、不意に背後から右肩を掴まれた。


「どうした?銀髪男」

「なんだその呼び方は」

「じゃあ銀髪美少年。月も花も涙する美しさの権化、ホロ•ディベーレに何か用か」


銀髪美少年の瞳孔が一瞬開いていたような気がしたが、多分気のせいだ。

彼は制服のポケットに乱雑に手を突っ込み、手のひらに乗る大きさの箱を取り出すと、それを俺に押し付けてきた。


「僕は他人から物を押し付けられるのが嫌いだ。返す」

「そういうお前も他人に物を押し付けてるぞ。これは…俺が昨日授業の途中で渡したやつ?お前好きだろこういうの」

「自身の好みについては否定しないがな。貴様のように隅々から卑しい平民の香りがする凡愚に施されたくないんだよ」

「ふーん?」


俺は銀髪美少年から箱を受け取り、その中身を手に出した。

海龍をモチーフにしためちゃ可愛いマスコットキャラクターの【シオン】がしつらわれたネクタイピンだ。


「何故その“特注品“をお前が持っているのかは知らないが、何を用意しようが僕を懐柔できると思うなよ」

「それで他に用はないか?例えば今日の魚骨占いの結果」

「聞きたくない」


淡白な返事をして躊躇わずに去ってゆく銀髪美少年。

まあ、それぞれ大切なもんを守りたいのは当然だろうからな。

今回は見逃してやろう。




「ストーカーか?」


図書館で再び銀髪美少年と鉢合わせる俺。

後退りをする彼に向け、空の星が目眩を起こして落ちてくるほどに慈愛に満ちた笑みを浮かべた俺はこう言った。


「何を怖がってるんだ?魅力…引力を持つもの同士は引かれ合うのが当然…そう、運命ってことだ」

「チッ…」

「ときめきの音がしたな。とにかく、俺は本をあるべき場所へ戻しに来ただけだ」


銀髪美少年を素通りして本を返した後、特に当てもなく本棚を眺めて歩く。

俺は何故かトンデモ系の書帙ばかりを携える変人だと思われているが、基本的に此処で出会った書籍以外を知らない。

図書館にそんなトンデモ呼ばわりされる奇天烈なものを置くだろうか?無いとも言い切れないが。


ともかく、これ以上友人たちに勘違いされないように意識して無難なものを選ぼう。

例えばこのサイケデリックな色合いの背表紙の本。

『催眠術で蟻をワンと鳴かせよう』だとか…


それで棚に近づこうとすると、目の前へ誰かが身を挟み込んできた。

真っ赤な長い髪と、蛍光青緑の眼鏡の少女。

目が痛くなるような組み合わせの色だ。


「失礼」


彼女はその幻覚的な表紙の本を手に取ると、会釈をしてその場を離れた。

残念だ。だが俺はその隣にあったタイトルにも興味があったんだ。

『トマトの種に催眠術!三秒後に資産1983039倍〜』

お前は俺と共に来い。

俺が微笑みながらそれを手に取ろうとすると、再び横から手が伸びてきた。


「すみません、これも頂きますね」


なんだ。彼女と俺は趣味が合うのかもしれない。

…学年内でこれほどに派手な赤髪を見たことがないので、他学年の生徒だろうか。

少しばかり話しかけてみようかと思い、彼女の後ろ姿を目で追っていた。

その時、背後からちょいちょいと肩をつつかれた。


「あの人に手を出すのはやめといた方が良いですよ、後輩くん」


振り返ると、見覚えのある青髪の男が此方を見上げていた。

…明るい場所で見ても童顔だ。


「この間の迷子じゃないか」

「おっと、いきなり馬鹿にしてるんですか?僕は君より年上の先輩なのですよ。まあ、ヨホ先輩と呼んでくれも良いですけど〜?」

「分かった青髪先輩」

「ぎっ……それで…貴方はフレア先輩に興味があるんでしょ?迂闊に声を掛けない方が良いです!彼女は凄く怖い人たちに目をつけられてるんですよ」


ヒソヒソと俺の耳元に顔を寄せて話してくる青髪先輩。

生暖かい呼気が微かに肌を掠めてきて話を聞くどころじゃない。

近くで見れば見るほど愛らしい顔をしているな。


「3年B組の人たちで…あ、あそこは僕の素敵な兄さんもいるんですけどね、えへへ…へへ…って、聞いてます?」

「青髪先輩、顔可愛いっすね」

「え?わ、わあああああぎええええええ!!!」

「お前ら静かに…何してるんだ!」


俺が青髪先輩の頬を掴んで顔を近づけようとしていると、銀髪美少年が俺の制服の襟を掴んで無理やり引き剥がしてきた。


「ひ、ひいいい…親切にしたらみんな優しくなるってじいちゃん言ってたのにい…」

「お前、何してんだよっ…平民以前の問題だこの外道が!」

「どうした?俺は愛されるべき者に対して然るべき愛の支給を行おうとしただけだ」

「気が狂っている…」


銀髪美少年が愕然とした顔で俺を見つめていた。

だが別段おかしなことを言った覚えはない。


「俺の出身国においては普通の挨拶だ。そこまで過剰に反応することはない」

「そこまで国に文化差ねえよ!」

「ふ…案ずるな銀髪美少年。俺はお前の気持ちを理解している」


俺は銀髪美少年に近づき、彼の後頭部を掴んで噛み付くようなキスをした。

うーん、美少年同士の戯れは絵に残したいほどに良い景色だろう。

青髪先輩も顔を青だの赤だの様々な色にして楽しんでいるみたいだし。


「お、おおおお……まだ婚約者ともしてないのに庶民とこんな…神よ…」


銀髪美少年は地面に伏せて神に懺悔を始めた。

まあ、太陽と月の仲を絶たせたという逸話が残るほどの美しさの俺とキスをしてしまったからな。

誰に非難されずとも罪悪感はあるのだろう。


「それでなんだったか…青髪先輩」

「え?あ、キスやめてくださいね?」


俺は青髪先輩と一緒にしゃがむと、茫然自失になって地面に横たわっている銀髪美少年を眺めながら話をした。


彼の話を要約するとこうだ。

この学園の3年生は基本的に優秀で善良な生徒が多いが、3年B組には素行不良であったり不審な行動をする生徒が集中している。

その不良連中たちはを組んで学園内外で不正や闇取引を行い、いずれは学園中に侵食して悪影響を齎すと見込まれる。


「学園の卒業生で構成される風紀委員会の人たちも、この件に関しては無視を決め込んでいます。つまり、彼らに目をつけられても学校側は手を差し伸べないということなんですよ」

「へえ」

「ああ、僕の兄さんも3年B組ですが、あの人は関係ないですよ!善良も善良で格好良くて賢くてぇ…」


身振り手振りヘドバンをしながら興奮気味に兄語りを始めるブラコン青髪先輩。

俺は彼がブンブン振り回している髪の束を掴み、手綱のように引っ張った。


「痛い!ちょっと酷いですよ!」

「ブラコン青髪先輩はその連中らと接触したことはないんすか?」

「呼び方が悪い方に進化してる!僕は兄さんに会いに行く時に彼らの頭領みたいな人に会うことはありますけど…まあ多分相手にされてないです」

「へえ、先輩のその髪からして期待されそうなのに」


流水のように揺れ動く、少し透けた不思議な性質の髪。

正式な名称だのは忘れたが、あれは精霊からの寵愛を受けた者の持つ特徴。

総じて常人の幾倍もの魔力を持ち、魔法を発動する際の詠唱や魔力消費の効率を大幅に削減される。

更に妖精との親和性が高いものは魔力の流れを制御することも叶うという、まあ大した存在だ。


「ん〜…いや、僕は沢山の魔力も持っていないし、魔法も全然ダメなんですよねえ…そもそも記憶を無くしてて日常生活からダメダメで」

「へえ?そりゃ幸いなことだな」

「はあ?全然幸いじゃないです〜…たまにいじめられるんですよ。お前の本当の力を見せろ、とか本気を出せとか言って部屋に閉じ込められることもありました」

「誰に?」

「不良の連中らですよ。兄さんや家の人たちはそんな酷いことしません。はあ、お陰で勉強も魔法も嫌いになりましたよー。今日は朝まで計算問題を解かされましたよう」

「いや、そいつらに目つけられてんじゃねえかよ。1+1は?」

「0.3」


まあ余計な身の上話もしてくれたが、とにかく赤髪少女に関わるべきでない理由は理解した。それだけ関わると不利益になる可能性があるのなら、関わらないわけにはいかない。

さて、そろそろ休み時間も終わる頃だ。

俺は銀髪美少年の胸に拳を、心の赴くまま叩きつけて優しく起こしてやる。


「ゲホッ、おえ、ごほ……貴様……」

「そろそろ休みも終わりだ。手を繋いで帰ろうぜ」


俺が差し伸べた手を胡乱に見つめた後、彼はこちらの顔に視線を向けて睨みつけてきた。

ついでに青髪ブラコン先輩にも鋭い視線を一瞬向けていたが、彼がすぐに涙目になったのでスッと目線を逸らしていた。


「……誰にも言うなよ」

「何をだ」

「接吻についてだ!既にお前の将来は潰えたと思え、このクズ庶民!俺が当主になったら覚えておけよ!」


ああ、彼も大変だな。きっと家庭では俺の知らない複雑な事情に日々苛まれているのだろう。多少気性が荒くなるのも仕方がない。

お前を受け止める覚悟などとっくに出来ている。

いつでも俺を頼ってほしい。


「何を誇らしげな顔してるんですか?というかあなたも犯罪者みたいなもんですよね……」

「先輩は変なことを言いますね。あんたに飴ちゃんをあげる優しい俺が犯罪者?」

「あめちゃん大好きです!あなたはいい人!」


俺はブラコン青髪先輩のベルトに菓子を挟み込んだ。




「さて、珍しく今日の授業の復習でもしてみようか」


俺は寮の自室へ戻ってくると、机に一旦鞄の中身をぶちまけた。

板書のメモをした紙は…おや、何故だろうか。

元の大きさの8分の1程度にまでぐしゃりと圧縮されている。

これは怪事件だが、俺にはこの珍現象の謎を解明するより先にすべきことがある。

俺は教本を開いて脳内で解説を再現した。


今日の講義で取り扱ったのは強化魔法。

強化や治癒系などの肉体に直接干渉する魔法は、『真名』を基底にして構成する。

これは自身の“名“を用いて魔力から複製された使い魔もまた強化魔法の対象とすることが出来るため、習得するにあたっての優先度は高いだろう。

ちなみに。

自身の“名“を知ることは容易だが、他者の真名の観測は“禁術“の領域だ。

他者の身体に干渉する魔法の行使は実質不可能ってことだな。


うむ、これ以上にないほど完璧な記憶である。

それでは魔法式を確認しよう。

基礎式。覚えた。

付加刻印。覚えた。

高度構造式。覚えた。


では、先ず初めに綺麗な正円を描こう。

…手が震える。15cmの幅を手が1秒に10度反復で往来している。10Hz。

ああああ無理無理無理描けないルーローの三角形になりゅうう♡

待て、落ち着け。別にフリーハンドで描く必要なんてない。

発動するにあたっては脳内で再現できれば良いのだ。


というわけでいきなり実践してみよう。

当然そんな適当な魔法、自身の体で試す筈はない。


「【召喚】」



妙に不貞腐れた様子の灰色の栗鼠が机の上にちまっと乗っかっている。


「なんでありますか」

「なんてことはない。強化魔法の練習をしたいと思っただけだ」

「えー?強化魔法って失敗したら痛いじゃないですか。自分でやってくださいよ」


灰栗鼠が帰ろうとするのを無理やり掴んで阻止した。

これからやっていく仲じゃないか。

信頼は形から。初めての共同作業だぜ。


「絶対成功するからさ。【強靭】」

「いってええええ!!!だああ!思っくそ失敗!!」


机の上を転げ回る灰栗鼠。

しかし教科書通りの式は描いたはずだ。

一体何が悪かったというのか?


「少しばかり気持ちこめて【強靭】」

「ぐうううう!!内臓を抉られたかのよう!!脳に響く衝撃!」

「うーん、少し修正して【強靭】」

「これはこれで悪くないッ!!」


彼は転げに転げた末、机の上から落ちた。

見事地面に投げ捨ててあった俺のコートに着地し、それを巻き込みながら転げていく。


「おいおい、俺のコートに毛がつくだろ」

「ゼエ、ハア…使い魔よりコートの心配っすか!?名前もつけられてないし、今後愛される気がしない…」


俺はコートをつまみ上げて揺さぶり、その灰色の毛玉を床に落とした。

すると、同時にひらりと一枚の紙片が床に落ちる。

俺はその内容を確認し、拾い上げながら灰栗鼠にこう告げた。


「まあ、自分の魔法が完璧ということも証明できたし帰っていいぞ。ありがとうな灰栗鼠」

「もう実験台にしないでください。召喚バックれますよ」


不満げに訴えてきた彼を手で鷲掴みにして持ち上げ、指でぐっと押す。

どうだ気持ち良いだろ。この間読んだ『全長2kmの人喰いアリクイを手懐ける方法〜ツボ押し編〜』で動物の扱い方は心得たのだ。


「ああああ!!次も!!次も来ます!!!!ゆ゛るぢでええ!死ぬでありますうう!!!」





拾った紙にはこう書かれていた。


『ドブネズミ ド、ドブネズミ ドブネズミ』


これは酷い川柳だ。こういった言葉遊びが大好きな芸術家の知り合いに見せれば、多分全身から血を噴き出して死ぬだろう。

こんな素晴らしいサプライズの為だけに俺の服に紙を差し込んだとすれば、あの生意気な男の自慢の衣装を全て墨に浸さなければならない。

とするとこれは…ああ、紙に不完全な魔法式が織り込まれている。


「俺に機密情報寄越すわけねえしな。迂遠なことばかりして、俺の顔を見て話すのが恥ずかしいのか?」


そう呟きながら、紙に埋め込まれた式を軽く読み解いた。

魔法を発動すると、じわりと文字が紙の空白に浮かび上がってくる。


『hi、ドブネズミ。

最近王都で大層・とても・非常に話題の“ 文昌商会“が、僕らに開発最中の製品の試作を渡してきたんだ。

どんなものかは、流石に言わなくてもわかるね。超絶有名で世界で流行りまくってる例のアレ。分からないとは言わせないよ。

沢山余っているから、お前が欲しかったらこっちの事務所まで勝手に取りに来て。まあ要らないわけないだろうけど』


文昌商会が何なのかも知らないし、アレとか言われても何もピンと来ない。

分からないのは俺が時代に取り残されているのが悪いってのか。

ハァ!!毎日新聞読んでるが!?

ま、タダで貰えるんなら行くけど。






彼は知っているのだろうか。

過去に縋ることがいかに非生産的であるかを。

そういう俺も、理解しているとは言えないが。


「【白星】の奴、自分が探しているものが何かも分かっていない。まあ仕方ない。人生は結局自分に酔うことが目的なんだ」


俺によく似た性格の学者がそうぼやいた。

性格は確かに似ているが、俺は非常に…

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