未知の教室と始まり①
「こ、これからこの1-2の担任を努めていく、ま、枕崎 真奈実、です。科目は、ち、地理を担当しています。不束者ですが、よ、よろしくお願いします!」
入学式が無事に終わり、各クラスでホームルームの時間。
少したどたどしさと緊張感を帯びた自己紹介とともに、勢いよく頭を下げる目の前の女性。
あまり大人らしくない健気な印象が抱かれるその女性が、私の新しいクラス、1-2の担任教師である。
「で、では今から! み、皆さんに、自己紹介をしていただきたいと、お、思います!」
ちなみに入学式での紹介によるところ、枕崎先生は今回の1-2担任が初任であるらしい。
見るからにやや小柄な背丈も相まってか、ちょっぴり心内で応援したくなるような先生である。
そして、他にも少し重大な出来事があって・・・・・・
「そ、それじゃあ! 出席番号1番の出水桜さんから、お、お願いします!」
「はい! ただいまご紹介に預かりました! 出席番号1番、出水桜です! 桜山中学校から来ました! 好きな食べ物は――」
勢いよく立ち上がり、すらすらと思いのままに自己紹介を続ける出水さん。
そう。今朝の出来事で知り合った彼女と、クラスメイトになれたということである。
表玄関前に張り出されたクラス割りでお互いの名前を1-2の名簿表に見つけたときは少し現実味が沸かなかったが、こうして彼女の自己紹介を同じ教室で直接聞いていると、その状況を少しずつ実感し始める。
それと微かに安心感も・・・・・。
「――クラス全員と仲良くなりたいと思ってます! よろしく!」
出水さんが自己紹介を笑顔で締めくくり着席したと同時に、教室内が大きな拍手で満たされる。
それから自己紹介は一人ずつ名簿順で行われ、先陣を切った出水さんの朗らかさが伝染したためか、順次和やかな雰囲気で各人が紹介を行っていった。
そして私も・・・・・・
「都城彩芽です。宮崎県から来ました。・・・・・・インドア派です。よろしくお願いします・・・」
緊張気味な姿勢を見せないうちに、何とか簡潔に必要な情報だけを伝えて着席する。
拍手は出水さんの時よりかは大きくないものの、耳に届く拍手の音は脈拍を落ち着かせ、一仕事を終えたように気持ちがほんのり安らぐ。
「――じ、自己紹介、ありがとうございました! い、以上でホームルームを終わります! 確認事項や今後の日程については、先ほどの説明に加えて配布書類の方にも記載されているので、か、各自で目を通しておいてください!」
そんなこんなで無事にホームルームは終了し、学生たちは少し早い放課後を迎える。
新入生で満たされている教室内は、自己紹介を踏まえて新たな友人を作ろうとする人、すでに形成されている内輪で会話を弾ませている人もいれば、すでに帰り支度を済ませて教室を後にしようとする人など様々である。
「いや~それにしても、二人とも同じクラスになれるなんてやっぱりすごいよ~!」
「う、うん・・・」
そんな私も、自らの席に座りながら出水さんと会話をしていた。
・・・・・・引っ越し先の人の家に早く行って荷ほどきしたいし、早く帰ろうかな。
「あ、あの私そろそろ――」
そう思って通学カバンを手に私も席を立とうとしたとき・・・
「ねぇ。あんた宮崎からこの学校に来たんだってマジ?」
「越境進学って超ウケるんだけど~(笑)」
突然声を掛けられて、ふと席に腰を戻す。
声の主の方を見ると、そこには二人の女子生徒が立っていた。
「確かー、市来さんと、串木野さん! ・・・・・・だったはず?」
自己紹介の時の記憶を頼りに二人の名前をひねり出したものの、いまいち確信のない出水さん。
「そーそー。 あーし市来 恵里。」
「ウチは串木野 真優ね。よろ~」
二人はフランクな口調が示すとおり、首元を緩めた制服にルーズソックス、ネイルやアイズを装った、いわゆる「ギャル風」な女子生徒である。
ちなみにこの人たちは確か、入学式開始の直前に過度なファッションを枕崎先生に慌てたように注意されていたはずだが、まぁ二人の見た目の現状と、この人たちと枕崎先生の性格の相性も推し量るに改善されなかったのだろう。
「よろしくね!」
「よ、よろしく」
二人の雰囲気の圧に、出水さんの陰に隠れながらも小声で挨拶する私。
「まぁ、なんか困ったことあったら遠慮せず言ってよ~」
「ウチらが何でも教えたげる~」
「・・・は、はい」
少し引き気味な私の様子を察したのか、市来さんと串木野さんは突き詰めることなく、そう言って笑顔で教室を後にしていく。
「またね~!」
健気に手を振る出水さんの仕草に、笑顔で手を振り返す二人の姿が、ドアのガラス越しに微かに見えた。
・・・誰とでも簡単に仲良く会話できるの、羨ましいなぁ・・・
そんな出水さんや市来さん、串木野さんたちへの憧れというか、自らへの憐れみを抱いてしまう私。
「ねぇねぇ彩芽ちゃん、この後どうする? 部活動勧誘のチラシもらいに行くー?」
「えーと、できれば早く帰って引っ越し先の荷ほどきを――」
「――み、都城さん!」
と、再び帰宅を催促しようとしたが、またもや声を掛けられてしまう。
今度の声の主は、おどおどした様子の枕崎先生であった。
「あ、あの。・・・都城さんは県外からの入学ですので、追加で必要書類を持ってきてもらっていると、お、思うのですが・・・・・・」
「・・・あ、そうでした!」
枕崎先生の言葉に、県外からの入学者が登校時に提出するべき書類があったことを思い出す。
「え、えぇと。提出書類を一通り不備がないか確認したいので、い、今から私と一緒に社会科準備室に来ていただいても大丈夫ですか? 私のデスクがあるので・・・」
「はい、大丈夫ですよ」
「じゃあ私、勧誘チラシ貰ってから彩芽ちゃんのところに向かおうかな~。面白そうな部活見つかるかな~!」
「う、うん。じゃあまた」
そう言って、荷物を持ち枕崎先生と教室を後にする私。
「・・・・・・」
「・・・・・・え~と。先生のデスクがあるの、職員室じゃなくて社会科準備室なんですね」
「は、はい! わ、私は社会科教員なので、授業準備がしやすいように社会科準備室にデスクがあるんです・・・。社会科の授業は他の科目より多くの資料を使うので・・・・・・」
入学式のため人通りの少ない自習室や多目的教室のある廊下を、枕崎先生の後ろ姿を甥ながら歩く。
少し気まずい雰囲気を打破しようと会話を切り出したものの、モジモジと緊張気味な様子に私までも落ち着きがなくなってしまう。
「・・・先生は、その、・・・・・・どうして地理の教員になろうと思ったんですか?」
「ど、どうして地理の教員に、ですか? そ、それは・・・・・・」
個人的にも唐突に感じてしまった質問に、枕崎先生は少し悩んだ様子を見せた。
「え~と・・・。地理は、一番『触ることができる』学問だから、でしょうか?」
「『触ることができる』?」
先生はふと立ち止まり、私も同じく誰もいない廊下の中央で足を止める。
視線を窓の外に広がる空に向け、先生は私に背を向けながら続けた。
「地形や気候も、食べ物に街も。地理で学ぶことの多くは、直接自分が目にして、体感して、経験することができるものばかりです。学生時代、歴史や英単語も、歴史的仮名遣いに二次方程式も。他の科目で習うことに今ひとつ現実性が沸かなかった中で、私はそんな地理の面白い側面の虜になってしまったんです」
「恋、ですかね?w」
そう言って振り返る先生の笑顔は、今日見た表情の中で一番純粋で、明るくて、輝いていた。
「だから都城さんも、別に学問に限定しなくても、この学校生活でたくさん知って、何かに興味を持って、恋に落ちてくださいね」
先ほどまで抱いていたイメージとは少し違った先生の言葉と仕草に、唖然とする私。
「・・・ッ?! す、すみません! なんか野暮ったいことを言ってしまって! 今言ったことのは聞かなかったことに・・・・・・」
「・・・・・・ふふっ」
急に我に返ったように頬を赤らめる先生に、思わず笑みがこぼれてしまう。
先ほどまでの淡々と悠然とした先生の振る舞いにあっけにとられていたが、その後の枕崎先生らしいあどけない姿に、何らか安堵じみたものを胸の内に抱いた。
「・・・・私も見つけたいです。大好きなことを、この学校で」
自分なりに初めて、これからの学校生活への希望じみた期待、を口にした瞬間。
「・・・ッ! はい! 私も担任として、全力で応援しますね!」
そう自信に満ちた様子の枕崎先生の姿は、少しだけたくましかった。
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――その後、社会科準備室にて――
「はわわわわわ、確か確認すべきことを今朝まとめたメモを机のどこかにいぃぃ・・・・・・(ゴソゴソ)はッ! 今日中に教頭先生に提出しないといけない書類があったこと忘れてましたぁぁぁ。あッ! このPTA関係の書類もまだ手をつけていませんでしたあぁぁ。どうしましょぉぉ~(涙)・・・・・・」
「あ、あはははははは・・・」
慌てふためく先生の様子に、少しだけ安心感を抱いた私だった。
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「す、すみません! 私の不手際で長時間付き合っていただき!」
数十分後の社会科準備室ドア付近。
「い、いいんですよ。無事に書類の確認ができて私も良かったですから」
実際時間自体は少々かかったものの、何とか書類の提出は終えることができ私個人としても安心していた。
「本当にありがとうございます、このご恩はいつか必ず・・・・・・(涙)」
「あはは。では、私はこれで失礼しますね」
涙ぐむ枕崎先生に会釈をしながら、私は社会科準備室を後にした。
「彩芽ちゃ~ん!」
ちょうどドアを閉めたと同時に、元気の良い大きな声が耳に届く。
声のした方を見ると、腕からこぼれるほどにたくさんのチラシを抱えた出水さんが、笑顔を携えてこちらに駆けて来ているところだった。
「見てみて~! こんなたくさん勧誘のチラシ貰っちゃった! サッカー部にバスケ部、バレー部に野球部、剣道部にバトミントン部に生物研究部に・・・」
と、再会するやいなや、まるで自分の宝物を紹介するかのように、抱える全ての勧誘チラシを一枚ずつ楽しそうに説明しだす出水さん。
走ってきたにもかかわらず、息を切らすどころか、出水さんの話す熱量やはますます増していくように感じてしまう。
「どの部活もすっごく魅力的で、とても迷っちゃうよ~!」
「出水さんの部活選びは、少し難航しそうね・・・」
とは言うものの、当人は好奇心旺盛ならではの悩みを笑顔ながらに語っているわけではあるが。
「彩芽ちゃんも~、私と一緒に部活選ぼうよ~!」
「わ、わたしはその、・・・・・・まずは学校生活に慣れてから、かな・・・?」
実際、部活に入ってしまえば日常生活への影響が少なからず出る訳ではあるが、春休み明けで新学期早々の生活リズムへの順応がまだできていない上に、引っ越し先のお家にすら顔を出していないのだ。
「・・・・・・」
ただ、胸の内の小さな隙間に、「できない理由」をどうにかして探そうとしている消極的な心的動機であると、疑っているモヤモヤがあった。
「えぇぇ~・・・・・・。まぁ、あわよくば彩芽ちゃんと同じ部活には入れたら、嬉しいかなぁ~!」
「う、うん。ありがとう」
それでも出水さんは、何一つ不穏な表情を見せることなく、明るい笑みを私に向けてくれた。
「う~ん・・・、やりたいことも終わったし、後はもうお家に帰るだけか~。何か入学初日にしてはインパクトが弱いような――」
「――なあなぁ~! 乗り放題きっぷの期限近いんだし、やっぱ週末は電車で遠出しようぜ~! 最近部活でどこにも行ってねぇしさ~!」
「だから、それはあなたが個人的に行きたいだけでしょ。あなたの電車趣味に、この私を巻き込まないで。それに、もし同好会活動の一環として行くとしても、しっかり目的や計画を前もって立てなければ・・・・・・」
「えええぇぇ~~」
そんなとき、言い合うような声が私たちの耳に届いた。
「「・・・・・・??」」
姿見えぬ人たちの声が聞こえたのは、廊下を挟んで社会科準備室とは反対側にある「社会科教室」という札が入口上部に掲げられた教室から。
またよく見ると、入口のドア横には「旅行研究同好会」と大々的に書かれた立て看板が置かれていた。
「旅行、研究、同好会・・・?」
聞き慣れた単語の聞き慣れない羅列の仕方に、口にしてもなかなか私の理解は追いつかない。
「へぇ~! ねぇねぇ! なんだか面白そうだよ、彩芽ちゃん!!」
それでも、突如として舞い込んできたイベント(?)に、出水さんは目をキラキラさせながらこちらを見てくる。
「・・・・・・・・・ちょっとだけ覗いて行く?」
「うん!」
出水さんの純粋な好奇心による押しに、私は耐えることができないらしい。
「「・・・・・・・・・」」
地理学教室のドア前に立ち止まる私たち。
斜め後ろ立つ私の目に映る出水さんの表情は、私の緊張した心持ちとは対照的な、憂いのない楽しそうなものだった。
「失礼しまーす!!」
そう言って、出水さんは目の前のドアを力強く開け放った。