出会いと桜
「―――あのー、降りないんですかー?」
「え?」
ふと自分に向けられたその声で我に返ると、目の前には一人の少女がいた。
「えーと。その制服、たしか私と同じ桜南高校のものだと思うんだけど・・・。降りる駅、ここじゃないですか?」
「・・・・・・・・・・・・あっ・・・!」
何やらいぶかしがる彼女の口から出てきた「桜南」という高校名と、彼女が身にまとう制服が私の着ているものと同じデザインであることにふと感づくと同時に、乗っていた電車がとある駅に停車していることに気づく。
そして我に返った私は即座に、開いている乗降ドアの隙間から見える駅名標を確認する。
そこに表記されている駅名は「平川」。そう、私が今日入学式に出席する高校、「桜南高校」の最寄り駅である。
物思いにふけていたうちに、いつの間にか目的の駅に到着していたらしい。
「よし、一緒に降りよう!」
「う、うん・・・・・・!」
元気よく健気に差し出された彼女の右手は、少し頼りなさそうに見えるほどに小さくて繊細。
それでも、衝動的にその手に自分の左手を預けると、私自身の身体を力強く駅のホームに導いてくれた。
「よっと!」
「・・・・・・・・・」
降り立ったプラットホームを見渡すと、私や彼女と同じ制服に身を包む学生が周りに多くいた。
それから少しして、乗っていた客車の乗降ドアが閉じ、そのまま駅を出て行く。
どうやら私と同じように新入生が数多く乗車していたこともあり、運良く降車に時間がかかっていたためなんとか無事に降りることができたようだ。
「あ、あの、すみませんっ。つい、考え事をしてたら降りるべき駅に到着してたことに気づかなくて・・・・・・」
「ぜんぜん平気平気! それよりも、あなたがそのまま電車に連れて行かれて入学式に出られなくなっちゃった、みたいな感じにならなくて良かったよ~!」
自分の不手際にたいへん申し訳なさを感じたが、彼女は一切の憂いを顔に表すことはなかった。
むしろ、一層に輝きを増した満面の笑みを私に向けてくれている。
「ねぇねぇ! 良ければ一緒に話しながら学校に行かない?! これも何かの縁だよ!」
通学カバンを持たずに空いている私の左手を無邪気に両手で覆いながら、上半身をのめらせてキラキラした目を向けてくる彼女。
その前面的な勢いに気押され、思わず身体を引いてしまう。
「・・・・・・・・・はい」
「やったーッ!!」
とはいえ、彼女の提案を受け入れない理由は全くなく、むしろこうして仲を深める機会を勧めてきてくれたことは有り難いことに間違いないため、声量は抑えながらも了承する。
「じゃあ行こー!」
元気そうに声を上げる彼女の隣に沿いながら、すでに前を行く他の学生たちの流れの最後方に加わって改札に向かう。
「えへへ・・・!」
横目で見る彼女の表情は、まさに嬉しさを具現化したようなものだった。
やがてこの駅の改札が見えてくると、前を行く学生たちがポケットやカバンから通学用定期券を取り出し、読み取り機にタップして駅構内から出ていく様子が目に入る。
見たところこの駅は無人駅で、ドア付きの自動改札機も設置されていないためか、学生たちは自らの定期券をタップしてスムーズに改札を通り抜けていた。
隣の彼女も、一時は腰やカバンのポケットを探しても定期券が見つからないと少し慌てながらも、改札を通る直前には無事にゴムストラップでカバンに結ばれた通学用定期券を見つけたようだ。
そんな私も、自宅の最寄り駅からこの駅までの電車利用に使用した特急券等を含む切符一式を胸ポケットから取り出し、隣の彼女が改札機に定期券をタップするうちに、読み取り機に付属している運賃箱の中に全て入れる。
「ん??」と、通学用定期券で無いことに加え、同じ路線内での乗車であればあり得ないような切符の多さに、彼女は腑に落ちない表情をする。
こぢんまりとした設備の改札を抜けて駅舎の外に出ると、春の艶やかな日照りがふと差し込んでくる。
家を出てから数時間ぶりの直日光に少し目を細め、学校までの道のりを他の学生たちの集団の背中を追いかけながら歩く。
「ねぇねぇ、どうしてあんなにたくさん切符持ってたの~?」
「えっ? あ、実は私今日、宮崎県から特急の電車に乗ってきたんだ・・・」
「ッええ?! わざわざ宮崎から?!」
「う、うん・・・」
「も、もしかしてあなた・・・・・・これから毎朝宮崎から通学するの?」
「ち、違うよ! 今日からは鹿児島にいる親の知り合いの人のお家に泊めてもらう予定で・・・! 今朝は、学校の入学式が始まるのが昼前で、朝に家を出ても間に合う時間だったからつい・・・・・・」
「あははははっ、だよね~! 毎朝宮崎から通学だと定期代だけで毎月すごい値段かかっちゃうし、何より毎朝電車に長い時間乗って疲れそうだし!」
納得した笑みで隣を歩く彼女に、私も少し頬を緩ませながら住宅の並ぶ通学路を進む。
「宮崎県かぁ~。隣の県だけど案外今まで行ったことは無いし、詳しくも無いなぁ~」
「で、でも。私の住んでた都城市は鹿児島県との県境に面してて、宮崎県でありながら鹿児島県でもあるような感じだよ。テレビも、鹿児島県の放送が見られるし・・・」
「え、そうなの?! 面白そう! 私も一度は行ってみたいな~」
会話を私なりに何とか少しずつ紡ぎながら、学校までの道のりを歩く時間を過ごす。
そして、「桜南高校」と大々的に記載された看板が見えたと同時に、歩いてきた歩道と車道を逸れて高校まで一直線に伸びる坂が、坂の先には校内への入口を示す校門が目に入る。
「いや~、やっぱりこの坂はキツいね~ッ。頑張ろう!」
坂を上り始めると、少し急な傾斜が長距離移動で凝り固まった脚に多少答えるが、隣を一緒に歩く彼女の励ましもあってか、着実に一歩ずつ目的地に近づく。
そして――
「綺麗だね~!」
「うん・・・・・・」
校門を過ぎた先にもまだ坂は続くものの、道沿いに咲く大きな桜の樹が私たちを出迎えてくれる。
前を歩く学生たちは、桜の樹を背景として認識しながらも、気に止めて立ち止まるような人は誰一人としていなかった。
そんな中、私と隣の彼女はお互いが歩みを止めて、今日のハイライトとして残るであろうその姿を目に落とす。
「・・・・・・・・・・・・ああッ!!」
藪から棒に発せられた隣の彼女の大きな声。
「出水桜!!」
「?!」
目線を桜の樹から外すやいなや、私に顔を大きく近づけて話しかけてくる彼女。
「だ~か~ら~! 出水桜だって!!」
「・・・・・・・・・・・・な、何?」
その言葉の意味を理解できていない私は、周りには誰もいないのものの、少し恥ずかしい状況に頬が熱を帯びる。
「私の名前だよ! よく考えたら私たち、お互いの名前紹介をすっ飛ばして世間話に花を咲かせちゃってたよ!」
「・・・・・・・・・あ、確かに・・・」
そう言って彼女は坂を少し駆け上り、目線を落とすようにして私に向け直す。
「私、出水 桜! 気軽に桜って呼んでね!」
高らかに、そして朗らかに名前表明をする出水さん。
そのバックには、散りゆく桜の花弁が舞い落ちながら、彼女の背後の風景を彩っている。
直感的ではあるが、とても綺麗で、とても美しい景色であると感じた。
「私、都城 彩芽。よ、よろしく。私の名前は都城で――」
「よろしくね、彩芽ちゃん!」
「え、あ・・・・・・うん・・・!」
年の等しい人に名前で呼ばれる経験が少なかった私は少し戸惑いながらも、何とか了承の言葉を紡ぐ。
しかし、名前で呼んでくれた出水さんの勢いと顔前面に押し出された満天の笑みにたじろんでしまった形ではあったが、不思議と悪い気はしなかった。
むしろ、「彩芽ちゃん」という言葉を頭の中で反芻させながら、少しこそばゆいような、少し嬉しいような気持ちが、私の顔の力をやんわりと緩ませる。
「・・・・・・って!? ゆっくりお話ししてたらもう他の皆んな学校に行っちゃたよ!」
坂の上の方を見ると、確かに先ほどまで先行していた学生たちの後ろ姿はすでに見られず、校舎へと向かう坂道には私と出水さんだけしかいなかった。
「さぁ行こう! 一緒に!」
そう差し伸べられた彼女の右手は、先ほどと同じように健気で、でもまっすぐに私に向けられていた。
「・・・・・・うん!」
その手を再び握り、私たちは学び舎への坂を駆け上った。
心に抱いた、ほんの小さな高揚感とともに。