8 お別れ
びーびーびーびー
耳障りな警報音に俺は眉をしかめた。同時に、
「はっ!」
意識が戻った。管制室だ。俺が意識を失ったのはほんの数分ほどだろう。気がつけば警報音はなかった。フーユがヘルメットに流した音だろう。
隣のシートでは日菜子が意識を失ったままだった。
「日菜子!」
肩を揺さぶり、艦長席に向かう。マモルも意識を失っている。
「マモル!」
揺すると呻いた。ほっと安心する。
日菜子の席に戻って肩を揺すると日菜子も目を覚ました。
『ああ、隼人くんがいる。ここは地獄か……』
「目覚めて早々失礼な冗談を言うな」
俺は日菜子のヘルメットを真上から平手で叩いた。
『あいた』
「フーユ、状況は?」
『ランディングは成功です。損傷は軽微。奇跡です」
「この船で着陸して軽微なのか。奇跡だな」
『ホントだね! すごい奇跡だよ!』
『うん、これは奇跡だ』
俺たちは笑った。
笑っていると地表にいた他のクラスメイトたちも、それぞれのバイアクヘーで帰ってきた。俺たちはラウンジに集まった。
「あーあ、俺たちは死ぬまでこの宇宙船に缶詰か」
「もう帰るところもないんだね」
「このでっかい棺桶で暮らすのかぁ」
ラウンジにはどんよりとした空気が垂れこめている。この星の大気では俺たちは呼吸できない。この宇宙船の中以外では船外スーツを着用して活動するしかないのだ。落ちこむのも無理はない。
「お前たち、なにか忘れてないか?」
太くて低いがよく通る声がラウンジに響いた。
「俺たちは惑星開拓科の生徒だろう。この星を改造すればいいじゃないか」
杉浦一樹。宇宙ベースボール部のエースで四番。身長一九〇センチにちょい足らない大男だ。
「そんなこと、俺たちが生きてる間に出来るわけないだろう」
男子が言った。
惑星開拓は短くて数十年、長くて百年単位のスパンで行う大事業だ。俺たちの寿命では大気成分の地球化までもっていけるかどうか。
「どうせ戻るところはないんだからさ、もう一回寝ちゃったって問題ないじゃない」
そう言って笑うのは坂下桃子、通称桃ちゃんだ。
快活な人柄の大型女子で、この時代にしては自分で料理を作ることが趣味という変わった子だ。
桃ちゃんを含め俺たちがあまり動揺していないのは、スーツから精神安定薬を注入されたからだろう。危険認識能力が下がる場合があるのであまり多用はされないが、今回の場合は仕方がないのかもしれない。
「なるほど。このまま缶詰になるよりはましか」
「ピクニックができるね!」
「したことないなあ」
「よし! ピクニックのために惑星開拓をしよう!」
クラスメイトたちが、俄然やる気を出してきた。地球では森林地域はほとんど立ち入りが規制されている。俺たちの中で本物のピクニックなどした者はいないだろう。
もっとも、ピクニックが最終目標などではない。当面の気分を盛り上げるためにそう言っているのだ。だよな?
「よし! どうやって改造を進めるか相談しよう!」
みんなが頭を付き合わせて話し合いをはじめた。一段落ついたころ、
「なあ、船員たちの確認をしておかなくていいのか?」
そう言ったのは高木直人。細くてモニター用眼鏡をかけたインテリ然とした男だ。
『他の乗員の死亡は間違いありません』
フーユがの声が室内に響いた。
実際そうなのだろうが、ひょっとしたらセンサーの故障の可能性もある。それに、フーユの言動はなんだか怪しい。
「お別れをするためだ。人間の風習だよ」
俺はそう言うとヘルメットを持った。他にも何人かが同じように準備をする。
『わかりました』
有志何人かでラウンジを出る。別のコールドスリープ区画を目指した。
俺の目の前のコールドスリープ装置の中には、担任の百合子先生が横たわっていた。しかし、美しかったその顔の面影はほとんど残っていない。百合子先生はミイラになっていたからだ。
「……先生」
俺の双眸から流れ落ちた涙を、ヘルメット内の小型マニピュレータが拭いさる。鼻の頭が痒くなった時にも活躍してくれる便利装置だ。
「この人はいつもこんな目に遭うね」
君崎夏美が言った。長い黒髪の醤油顔美人で、どこかお嬢様然とした、宮野葵の親友だ。
「どういう意味だ、夏美!」
「え、あ、いや、なんかそんな気がしただけ」
「いい加減なことを言うな!」
思わず夏美に掴みかかろうとした俺を、高木が押さえた。俺の涙を忙しく小型アームが拭う。
「落ち着け、隼人! なにも君崎だって悪気があったわけじゃない!」
「ご、ごめん、うっかり」
夏美は肩をすくめた。
「わかってくれればいいんだ。俺の方こそ悪かった」
「よし、次のお別れだ」
高木が言って俺たちは他のコールドスリープ装置を見て回った。どれも百合子先生と同じような状況だ。中には内部が血まみれのものもあった。
「どういうことだ?」
俺はその血まみれの装置を覗きこんだ。見るんじゃなかった。
「多分冷却装置が故障して、逆に高温になったんじゃないかな。それで膨張して――」
「もういい、高木。戻ろう」
俺たちはラウンジへ戻った。
「どうだった?」
マモルが聞いてきた。
「思ったよりもひどい有り様だった」
俺はテーブルについてヘルメットをとった。
「そっか」
「で、段取りは決まったのか?」
「うん、だいたいね。隼人には地形データ収集用のドローンを撒いてもらおうと思うけど、いいかい?」
「もちろんだ。すぐ行こう」
俺が立ち上がると、
「もう外は夕暮れだよ。明日からでいいよ」
とマモルが笑った。
「ありゃ、そうなの?」
俺はテーブルに座り直した。この星は地球に似ているとのことだ。夜も昼もあるのだろう。
「おーあ、なんでこんなことに」
そう言いながら俺の腕にお尻で挨拶し、隣に食事のトレイを持って下着姿で座ったのは、肩より少し長い黒髪の清水蛍だった。顔立ちは可愛いのだが思ったことをずばずば言うタイプ。白くて細い脚、なだらかなお腹、そこそこ盛り上がった胸に、もうスーツを脱いだのかと驚いただけだった。
「もうスーツを脱いで晩メシか」
「そうよ! 悪い!?」
蛍はいつもこんな調子で見ていて面白い。
「目が覚めたら千年経ってるなんて! だいたいここはどこなのよ、フーユ!」
蛍が叫ぶと立体宇宙マップが宙空に現れた。蛍はカレーライスを口に運びながら、左手を宙にさまよわせるようにして操作する。どうやら亜光速で千年ほど地球から移動したくらいの場所だ。
「やっぱり千年経ってるんだ!」
「蛍はカレーライスか。俺もそれにしようかな」
「真似しないでよ!」
「ダメなのか?」
「いいけど!」
俺はフードマシンに行くと、カツカレーを注文した。戻る。
「あ! カツカレーじゃない!」
「ああ、ちょっとね」
「ねえ!」
「なんだ」
「普通にしゃべっていい? 疲れちゃった」
「いいぞ」
俺は笑った。
「カツカレーも考えたんだけど、ちょっと重すぎるのよね」
「ひと切れかふた切れやろう」
「あざっす!」
「蛍はなにをするんだ?」
一番大きなカツをとって頬が膨らんでいる蛍は、口をもぐもぐさせてしゃべれないので少し待った。ごくんと蛍の喉が鳴る。
「わたしは海の調査よ」
「潜るのか?」
「殺す気? ドローンでサンプルを採集するのよ。何カ所も」
「なるほどね。俺は地形データ取りだ」
「聞いてないけど?」
「聞けよ」
「隼人くんは?」
「もう言った」
俺たちは笑った。なにが可笑しいのかわからない。
そんなこんなで夜は更けていった。