1 目覚め
冷凍睡眠装置の中は静かだった。
薄く眼を開けた俺が身じろぎすると、透明プラスチックのカバーが音もなく開いた。ゆっくり体を起こす。まだぼんやりする頭で辺りを見回すと、照明に照らされた広い部屋が見える。白と黒を基調にした清潔なコールドスリープルームだ。まぶしい。
コールドスリープルームには冷凍睡眠装置がコスモスの花びらのように並び、島をいくつも作っている。目覚めたクラスメイトたちがゆっくりと動き回っていた。
俺たち県立丸葉津高校の惑星開発科二年二組の生徒たちは、実習で巨大な惑星開発宇宙船スサノオ三号に搭乗し宇宙を航行中だ。地球からはるか遠くにある惑星を実際に開拓するスサノオ三号に間借りする形で、現地での作業に従事する。何パーセク離れた星だったかは頭がはっきりしないので思い出せない。
西暦二二〇八年七月に地球を立った。五ヶ月間の予定だ。
男子の今の格好は白いパンツ一枚で、女子は小さな白いパンツと白いスポーツブラみたいなものをつけている。男女入り混じってそんな格好で同じ部屋にいるが、特に誰も気にしていないし反応もない。
これは食事に含まれる抑制薬の効果だ。任務中に余計な感情は不要だ。惑星開発は過酷な仕事だ。異性のお尻に目を奪われる一瞬の気の緩みが、指を挟んだりすることになる。
俺は体を回して足を床に降ろした。ほんわりと暖かい。そのままよろよろとフードマシンに向かい、なにを食べるか迷った。目覚めたあとはすぐに食事を摂ることになっているが、メニューが多すぎるのだ。
「おはよう、隼人くん」
俺の名前は武田隼人。その名を呼ばれ顔を向けると隣のフードマシンに但馬琴子が立っていた。早速ポニーテールにした眼鏡っ娘。眼鏡はモニター用だろうが今かけるのはファッションなのだろう。知識試験では学年トップクラスだ。
シャープな整った顔立ちで、いつもジト目で人を見る。小柄で薄い体つきだが、肌は白いし出るところはそこそこ出ている。しかし俺はなにも感じないし、琴子もなんとも思っていないだろう。
「おはよう。琴子はなにを食べるんだ?」
「なに言ってるの。コールドスリープから目覚めたあとは、お目覚めセットを必ず摂るに決まってるでしょ」
琴子はあきれたようなジト目で俺を見る。
「そうだったっけ? とりあえずありがとう」
「早くしっかり目を覚まさないとね」
お目覚めセットのトレイを持った琴子はそう言うと、お尻を俺のお尻のちょっと下にぶつけてきた。お尻同士じゃないのは体の大きさが違うからだ。琴子のお尻は柔らかかったがもちろん俺はなんとも感じない。奇妙な挨拶だが両手が塞がっているときはやってくるクラスメイトは多い。
俺は埋め込み式のタッチパネルからお目覚めセットを探すとタップして注文を確定した。地球でなら席について注文できるしテーブルから料理がせり上がってくるのに、宇宙船ではなにかと制限が多い。面倒だ。
お目覚めセットはすぐに取り出しテーブルに出てきて、それを持って冷凍睡眠室と繋がったラウンジへ向かった。
ラウンジには正八角形のテーブルがたくさん置かれている。八人掛けだ。そのひとつにマモルを見つけた。
石坂守。クラスで最も仲のいい友達だ。知識試験は学年トップ。背は低い方で丸い眼鏡は伊達眼鏡だ。
テーブルにはふたりの女子がいて、ひとりは琴子だ。
「おはよう」
「おはよう、隼人」
「おはよ、隼人くん」
とあいさつをしてマモルの隣に腰を降ろした。お目覚めセットはどろりとしたスープのようなものと、コーヒーと、カップに入ったなにかだった。スープはお粥にクルトンのようなカリッと噛みつぶすものが入っていて、脳が刺激されて目が覚めるということなのだろう。実際、頭がしゃんとしてきた。
「しかし二週間とはいえなかなかぼんやりとするもんだな。これで何年も寝たら、頭がはっきりするのに何年かかることやら」
俺がそう言うとマモルが笑った。
「隼人はまだ目が覚めていないみたいだね」
「え?」
「そうねー。隼人くん、目覚めのあれこれは睡眠時間に関係ないのよ。ちゃんと勉強しないとね」
五ヶ月間の研修でなぜ二週間の冷凍睡眠をとったのかといえば、ずっと寝ないのは授業を受けるためで、一般の技術者は睡眠中だ。二週間の睡眠は冷凍睡眠を経験するためだが、この船の船長はもっと長く眠らせたかったらしい。色々資源が節約できるからだ。学校側はもっと短い時間でいいと主張したとかなんとか。
「なんならずっと寝ててもよかったんだけどな」
と言ってあくびをしたのはもうひとりの女子、紅林莉緒だった。
そこそこ美人で腰が細くそのくせ胸はでかい。当然それらにはなにも感じない。ブラの上からのぞく谷間にもだ。ちょっと性格に色々難がある女子だ。
「確かに」
と言った俺は、マモルに生温かい目で、琴子にジト目で見られて少し怯んだ。
なにはともあれ目は覚めた。コーヒーを半分ほど空けるとトレイに置いた。
「今がどの辺か確認しよう」
宇宙座標のどこにいるかということだ。目的地の半分ほどのところだろう。
「フーユ」
フーユはメインコンピュータの名前だ。使用権限は付与されているが、できることはあまりない。俺たち実習生には制限がかけられているからだ。
「座標確認にフーユを使うの?」
と琴子は苦笑いだ。
「いいじゃないか、これも研修の一環さ」
これは事実で将来本格任務に就いた際には使っていくAIなのだ。しかし、フーユからの反応はなかった。
俺たちは、というか、この船の乗員、もっといえば、人類は全員常にモニターされている。寝てる時だろうがお風呂だろうがトイレだろうがいつだって。そうでないとこのコンピュータ社会では不便過ぎる。
そこかしこにあるはずのセンサーで見られ、聞かれ、匂いを嗅がれているはずだ。
「フーユ」
なのになぜ、反応しない。
「変ね? フーユ!」
琴子が呼びかけても同じだった。
「おかしいぞ」
俺たちの様子にラウンジがざわめき始めた。あちこちで、フーユフーユと声が上がるがなんの反応もない。
「睡眠装置とフードマシンは稼働してるよな」
「ライトも点いてる」
「空調も効いてる」
「じゃあセンサー?」
「ウーラ」
俺はサブコンピュータを呼び出した。コンピュータがダウンすればこの船は全く制御できなくなる。手を洗うこともできなくなるのだ。だからいくつものコンピュータを搭載しているがウーラはそのひとつだ。
ポゥン、と音がして、
『はい、隼人』
女性的な機械音が答えた。
「フーユはどうした?」
漠然とした質問だがAIは優秀だ。
『しばらくお待ちを』
この〝しばらく〟は普段なら一瞬だ。しかし今回は時間がかかった。五秒後、
『反応がありません』
ウーラが帰ってきた。
「どういうことだ?」
マモルに言った。ウーラは俺の挙動をモニターしているので反応しない。
「落ちたのかな?」
マモルは事もなげに言った。
「ななななんだとっ!」
とラウンジのみんなはどよめいた。
メインコンピュータがダウンすれば、いくつかの機能が停止してしまう恐れがある。直接生命に影響がある装置には複数コンピュータによる安全対策が取られているが、船の姿勢制御を長時間怠ったら航行時間が大幅に変わってしまう。それは命に関わる時もあったりなかったりする。
「はは早くスイッチを入れないと!」
「コンセントも確認!」
「長押し!」
「パワーボタンはどこっ!?」
大昔のパソコンみたいに言うな!
『中央機械室最深部にあります』
パワーボタンが?
「大人に起きてもらおうよ!」
冷凍睡眠装置はここだけじゃない。乗務員は何千人もいるのだ。
「そうね。ウーラ、技師を起こすことはできる?」
琴子は他のみなよりいくらか冷静だ。
『しばらくお待ちを』
今度はもっと長かった。一分が経とうとするころにはみんなはざわめき始めた。
ポゥン
『技師を起こすことはできません』
ウーラが帰ってきた。
「他の人は? 例えば」
『できません』
琴子の言葉のあとを聞かずにウーラは答えた。感じ悪いぞ。
「どういうこと? なぜできないの?」
琴子も眉間にしわを寄せて、気分を害したようだ。
ウーラはしばし、間を置いて、
『みんな、死んでいます』
ラウンジは、しんと静まりかえった。