第9話 【神官メイナード視点2】
聖女様を乗せた馬車は、聖堂手前から減速し、ちょうど私達の待つところで停止した。
馬車の中からは全身武装のアルベラン様が、彼に手を支えられ聖女クリスティアナ様が降りてくる。
「ようこそいらっしゃいました、聖女様」
「わたしは先日、聖女の位を降ろされましたよ?」
「何を仰いますか。誰が何と言おうと、貴女様は聖女様で間違いありません」
正式に降ろされたわけでもなく、今後大聖堂がなんと言おうと、私達が翻意する気はさらさら無い。
「クリスティアナの荷物も追って持ってこさせます。それではよろしくお願いします」
「任されました」
アルベラン様に了承の意を返し、神官見習いたちに指示を出す。
「クリスティアナ、何かあれば呼ぶんだぞ」
領主様と同じく、アルベラン様にとってはただの妹に過ぎないのだろう。
多少過保護のきらいはあるが、お菓子をあげると言われれば誰某構わずついていきそうな聖女様、気持ちはわかる。
「お兄様は、勇者の再来と呼ばれていたのでしたね?」
「うん? まだ疑っているのか? 本当だぞ?」
馬車の中でアルベラン様の話をしていたのだろうか。
聖女様はアルベラン様を軽視する傾向があるが、アルベラン様はまさしく勇者の器だ。
命を救われた領民は数限りなく、英雄譚には事欠かない。
正直擁護したいが、しかし兄妹の会話。割って入るのは憚られる。
「剣を貸してください。それと、ちょっと膝立ちになってください」
アルベラン様は、疑問に思いながらも、剣を聖女様に差し出す。
聖女様はそれを受け取り、剣身に手を添える。
そして、奇跡が起きた。
アルベラン様の剣から、天上の光が迸る。
「なっ!? こ、これは……?」
「ちょっと黙っててください」
「な、なにを……」
ついで、驚きに固まっているアルベラン様に膝をつかせ、額に接吻する。
あの夜、天上の星という星のきらめきが全て落ちてきたかのような光の洪水が、今また、眼前で繰り広げられている。
勇者アストリアに祝福を授ける聖女オリアナも、このようにして行ったのだろうと思わせる、英雄譚の一幕。
知らず識らず、膝が折れ、手が地につき、頭が垂れる。
「貴族の一人息子が死んだら大事だと習いましたので、ちょっとしたおまじないです」
「あ、ああ……」
私達は只々畏れ多く、地にひれ伏す。
「では神官様。よろしくお願いします……神官さま?」
遥か高く、天から私達を祝福する声が聞こえる。
「神官殿、頼む!」
その一喝で、私は意識を取り戻した。
『崇拝してはならん、神聖視してはならん、年端の行かない娘として扱え』
何を無茶な、と思う。
この御方を崇拝せずに、何を崇拝するのか。何を神聖視するのか。
しかし彼がいなければ、私達はずっと跪いたままで、聖女様を困らせていたことだろう。
「ほ、ほらお前たち! 聖女様を案内して差し上げなさい」
聖女様の荷物を運び込むように指示する。
他の見習いには、そこかしこで跪く領民を立たせに行かせる。
敬うべくを妨げるなど、やっていることはまるで邪教の徒である。
私達が罪深さに怯える一方、聖女様は、むしろいつもの態度を崩さないように踏ん張る私達に気を良くする素振りさえ見せた。
「クリスティアナ! 元気が出たよ! ありがとう!!」
「怪我しないようにしてくださいね」
聖堂へ赴く聖女様へ、アルベラン様が声をかけた。
奇跡の一幕の直後に日常会話など、アルベラン様の豪胆さには全く畏れ入る。
「それでは神官様、よろしくお願いしますね」
聖女様に様付けで呼ばれる事に耐え、お礼を言われ、頭まで下げられることに耐えることの何と苦痛なことか。
ただただ平伏したい思いを追いやる。
「構いませんとも。何か不都合があれば、何でも仰ってください」
応え、微笑む。
自然に笑えていると良いが。
「私は聖堂にずっと居るので、食事とかも結構です」
……何と応えようか、言いよどむ。
それはもはや人の範疇ではない。
私はここに来て、やっと領主様の気持ちが少し分かった気がした。
しかし結局、
「畏まりました」
聖女様の意に沿うようにする。
「来客があったら取り次ぐだけで十分ですよ」
どうやら外部との接触を完全に断つ、と言うわけでは無いようである。
「ではそのように……。私達がお伺いするのは構いませんか?」
「ええ、何か用事があればいつでも来てください」
間借りしている身ですしね、と応える。
聖女様に拝謁をねだるなど不遜な行いであるとは思ったが、食事をしないなど心配になる。
だから、様子見が出来ると聞いて安心した。
「さて、では始めますか」
そして聖女様はそう呟き、アストリアで永遠に語り継がれる事になるであろう、奇跡がはじまった。