第2話
神代の昔、この世界は邪神による瘴気の汚染を受け、私が自ら地上に降り浄化を行った。
昇天後は、定期的に瘴気に染まる大地へ、私の任じた者を派遣し、浄化の代行を行うようにした。
その土地の内の一つは、今生の郷里となったアストリア領である。
平時の瘴気の量であれば、地上代行者を立てることで解決できた。しかし約20年前に最大規模の汚染を予知してしまった。この解決に、私自ら、神聖値の高い血筋の子どもとして降臨することにした。
人として生活しながら肉体に神力を蓄え、それを解放することで浄化するという計画だ。
そのため、人の肉体に神の魂を入れるために大規模な奇跡を行使し、栄養を蓄えるためにアストリア領を祝福した。
この時の現象が権威を欲していた教会の目に留まり、聖女に列せられてしまった。
王室からは是非にと輿入れを希望され、辺境伯程度が断れるはずも無く、未来の妃として生きることになった。
それが、今、世界救済への最大の障壁へなろうとは、夢にも思わなかった。
「ルドルフ殿下、私は死ぬわけにはまいりません」
「フンッ、マリアンヌにあれだけのことをしておいて、よくそのような口が聞けるものよ」
ルドルフ殿下の腹はすでに決まっているようだが、受け入れるわけにはいかない。
「私にはすべきことがあるのです」
言葉を重ねる。
「お前まだ……っ!?」
テオドール殿が私に掴みかかろうとしたとき、それをさえぎるようにマリアンヌ嬢が出てくる。
「ルドルフ様ぁ~~、わたしまだ、謝ってもらってません~~」
マリアンヌ嬢はルドルフ殿下に、私に謝罪をするよう要求する。
「ふむ、それもそうだな。よし! クリスティアナ、まずはマリアンヌに謝罪するのだ」
「謝罪、ですか」
私は、その言葉を聞き安堵する。
その程度のこと、本懐を遂げる事に比べたらなんてことない。
「そうですね~~今までの事を一つ一つ謝ってほしいですが……」
……先ほどのシリウス殿の上げた罪状を一つ一つ詫びればいいのだろうか。
全て覚えているので、早速その通りに言おうとすると、マリアンヌ嬢に手を上げてとめられる。
「でも沢山ありすぎて、皆さんにも迷惑がかかると思うんです。そこで~~」
マリアンヌ嬢は、床に指を指す。
「土下座して謝ってください」
マリアンヌ嬢の口元が歪む。
周囲から、また騒めきが起きる。
私はマリアンヌ嬢の言う通り、床に着けたドレス腰に膝をつける。
妃教育を受けたので、謝罪すれば事実と認めることになることも分かる。
アストリアの威信を気付つけることになる。
今生の家族には申し訳ないとは思う。
手を八の字に床に着け、頭を下げる。
「頭を床に付けるのが筋ではありませんか?」
シリウス殿が謝罪の仕方が間違っていると、やり直すように言う。
「確かにシリウス様の言う通り、こういうのはしっかりやった方がいいですよね」
マリアンヌ様も同調する。
「ふむ、そうだな」
顔を上げると、ルドルフ殿下はシリウス殿の言う通りにするよう促す。
私は再度手をつき、今度は額を床に付ける。
「マリアンヌ様、申し訳ありませんでした」
周囲から聞こえてくるのは嘲笑のみで、擁護の声は何一つない。
「はっ! ざまぁねぇな、コソコソとくだらねぇ真似しやがるから、そんな無様な真似を晒すんだ」
テオドール殿が言う。
「クリスティアナ様、いくら聖女になりたかったとしても、嘘はいけませんよ」
マリアンヌ嬢は勝ち誇った様に言う。
「あなたは、聖女ではありません」
クリスティアナは、マリアンヌ嬢を見つめて言う。
「はい。私は、聖女ではありません」
「クリスティアナさん、もっと早く認めて欲しかったよ。この件は僕からも父上に伝えておくよ」
ミハイル殿が言う。
「偽聖女を出したとなれば、アストリア家の取り潰しも検討すべきでしょう」
シリウス殿が言う。
周囲の意見も出尽くした頃合いを見計らい、ルドルフ殿下が一歩前へ出る。
「余は今まで偽の聖女に騙されていた! そこに現れ、閉じた眼に光を差さしてくれた、真の聖女こそ、このマリアンナである!!」
次代の王としてふさわしい、朗々とした言葉が周囲に染み入っていく。
「余はここに宣言する! 偽聖女クリスティアナとの婚約を破棄し、新たに真の聖女マリアンヌと婚約し、この国の繁栄を約束しよう」
周囲はルドルフ殿下の宣言で沸き立った。
卒業パーティーの出席者からは口々にルドルフ殿下とマリアンヌ嬢を称える言葉で満ち溢れる。
比較対象として私には罵倒が飛ぶが、救済計画は実行出来そうで、ホッとする。
熱狂の中、私は立ち上がり、再度頭を下げた。
「失礼致します」
これ以上この場に留まり、不測の事態を起こされては堪らないとばかりに、足早に退出しようとする。
「ルドルフ殿下〜〜、わたし、やっぱり謝ってもらうだけでは駄目だと思うんです」
マリアンヌ嬢の言葉が会場に響いたとたん、周囲は静まり返る。
「聖女を騙っただなんて、女神ディアナ様もそう簡単にお許しにはならないでしょう? そのほうがクリスティアナ様にとっても救いになると思うんですよ〜〜」
「ふむ、マリアンヌの言うことは尤もだな」
ルドルフ殿下が私を見下ろす。
「クリスティアナよ、やはりマリアンヌにした事を簡単に許すわけにはいかん」
「へっ! そうこなくちゃなあ!」
ルドルフ殿下の言を受けたテオドール殿が、仲間に合図を送る。
それを受けた帯剣した学生は、包囲を狭めてくる。
「こんな時でも表情一つ変えないとは、相変わらず憎たらしいやつだ」
私を観察するように見ていたルドルフ殿下が言う。
「私をどうするおつもりでしょうか」
「さて、どうするのが良いと思う?」
ルドルフ殿下がマリアンヌ嬢に聞く。
「どうしてわたしに酷いことをするのか、聞き出して欲しいです」
「マリアンヌの言の通りにしよう。念入りに理由を聞き出すように」
多くの人々が集まるので言葉を濁しているが、つまり、拷問にかけよということだろう。
「……どうか、お許しくださいませ」
「仮にもお前は余の許嫁であったな。あまり余を失望させるでない」
言葉を尽くして恩赦を願うが、ルドルフ殿下は取り合う気がないようだ。
「クリスティアナさん、これは貴女にとっての救済なんだよ? むしろマリアンヌ嬢に感謝すべきところだよ」
ミハイル殿は、私を諭すように言う。
その時、マリアンヌ嬢が私のそばにより、囁くようにつぶやく。
「わたし、あなたのこと、大嫌いだったんですよ。でもこれですっきりしました」
私の手を握りしめて、言う。
「さよなら、です」
周囲は私に対するマリアンヌ嬢の慈悲と受け取ったのか、より一層に真の聖女と称える声が大きくなる。
これは困ったことになった。ここから逃れるために力を使えば、確実に全てを救うことが出来なくなる。
しかし、ここで逃げないのはもっとあり得ない。
私の肉体がここで失われれば、世界の崩壊、運が良くて夜に怯えて暮らす時代に退行することになろう。
世界を滅亡の危機から救うために降臨をしたというのに、まさか救うべき相手から斯様な仕打ちを受けるとは思いもよらなかった。
「最初からもっと話し合っていれば結果は変わったのでしょうか」
私は、ポツリとつぶやいた。
瘴気の浄化にあたり、神力をすべて開放する過程で、私の肉体は消失するだろう。
そのため、婚約と言っても実際に結婚まで至ることがないことは分かっていたし、軽視していた。
妃教育だって、あってもなくてもどちらでも良かった。
刻限までに神力を最大限蓄えられるだけの健康な肉体さえあれば、後はどうでも良かったのだ。
それが、この体たらくである。
「さあ、大人しく来るんだ!」
テオドール殿が私の腕を力強くつかみ上げた。
マリアンヌ嬢の唇がゆがむ。ルドルフ殿下が蔑む。ミハイル殿が、周囲の人々が、私に罰を、と、叫ぶ。
ここまで、か……
私は、この肉体で初めて奇跡を行使した。
魔法と異なり、奇跡に呪文はいらない。
思ったことがその通りになるのだ。
「き……、消えた…………!?」
周囲には、私が前触れもなく消失したと見えた事だろう。
転移における情報把握の残滓には、ルドルフ殿下達の呆気にとられた表情が残されていた。