第1話
「クリスティアナ・ディ・アストリア、其方との婚約は解消する! マリアンヌに対する数々の仕打ち、よもや否定できると思うまいな!!」
静まり返る王立学園の卒業パーティー会場の中、ルドルフ・フォン・ファーレンハイト王太子殿下は一息に言い切った。
片腕に、震えているバルダート男爵令嬢のマリアンヌを抱えながら。
傍らには近衛騎士団長の子息であるクラウディウス侯爵家長子テオドール、宮廷魔術師長官の子息であるアーデルハイド伯爵家長子シリウス、代々ディアナ教の神官長を輩出してきたアンゲナス家の長子ミハイルが侍っている。
つまりは次代の帝国を担う中枢が勢ぞろいしているというわけだ。
「仕打ちとは、一体何のことでございましょうか?」
ともあれ、急に意味の分からない事を言われても困る。
「おのれ、抜け抜けと……シリウス、言ってやるがいい」
「はっ! この女、クリスティアナは殿下との親交を深めるマリアンヌ様に嫉妬で狂い、数々の嫌がらせから始まり……」
「ああ、可哀そうなマリアンヌ。もう誰にもお前を傷付けさせないことを誓おう」
王太子殿下に抱きしめられはっきりと表情の確認が出来るわけではないが、マリアンヌ嬢の口元は笑っている様に見える。
シリウス殿からつらつらと罪状が挙げられるが、いずれも身に覚えのないものばかりだ。
「……そして、ついにクリスティアナは凶行に及ぶことになる。無頼者を雇いマリアンヌ様を襲わせた」
ルドルフ殿下や彼の取り巻きは私を睨みつけ、会場にいる者たちは息を呑み成り行きを見つめる。
「殿下、わたし……とっても怖かったですぅ……」
マリアンヌ嬢からはすすり泣く声が聞こえる。
「マリアンヌ、もう大丈夫だ……。クリスティアナ、余は、例え罪人であろうと一方的な断罪は好まぬ。申し開きがあれば聞こうか」
周囲からは、寛大な殿下に対する賞賛の声が上がる。
どうやらこの場にいる大多数はこの話を信じるか、または信じずとも王太子殿下に付く方が得であると理解したのだろう。
「申し開きと問われましても、全て身に覚えのないことでございます」
とはいえ、私にはとんと存ぜぬことばかりである。
「クリスティアナ、この期に及び、まだ余を謀るか!」
ルドルフ殿下の声が低くなり、気色ばんでくる。
「クリスティアナ……なぜ賊に襲われたマリアンヌが怪我もなく無事でいられるのかわかるか?」
してもないことで質問をされても答えようがなく、さりとて王太子殿下から問われたら応えないわけにはいかない。
「……なぜでしょうか?」
「マリアンヌはな、傷つきながらも賊を返り討ちにし、自らの傷も癒したのだぞ」
怒りを押し殺しているのだろう、声がくぐもっている。
「お前が使えぬ、神聖魔法でだ!」
周囲から、感嘆の声が上がる。
神聖魔法は、信仰心篤く心清らかでなければ使えない、と、言われている。
それも、悪漢を撃退した上で自らの傷を癒すなど、手練れと言って良い。
この一言で、マリアンヌ嬢への心証は格段に上がったことだろう。
「余が駆けつけた時には、倒れた賊と、凶刃に引き裂かれたドレスに包まれたマリアンヌがいたのだ!!」
殿下は悲痛な面持ちでマリアンヌ嬢を見つめる。
「クリスティアナ、そもそもお前との婚約は、お前が聖女に認定されたからだったな」
「はい」
この場で私の立場に言及するのは、権威の剥奪を狙ってのことだろう。
「クリスティアナさん、あなたが聖女と認定されたのは、産まれた時の空が光り輝いたという奇跡と、アストリア領における十年以上に亘る大豊作からだったね?」
次にミハイル殿から、聖女になったきっかけを問われる。
「……はい」
そういえば、教会から一方的に通達されただけで、聖女の認定についての理由を聞いたことがなかった。ただ、誕生の際の現象と豊作の件については覚えがあるので、きっとそうなのだろうと頷いておく。
「僕はね、貴方の聖女認定はそもそも間違いだったのではないかと疑っているんだ」
ミハイル殿の投下した爆弾に、周囲が騒めく。
「アストリア領とバルダート領は隣同士だ。おまけに、貴女とマリアンヌ嬢は同い年。神の祝福は、貴方ではなく、マリアンヌ嬢に捧げられていたのではないか、と、そのように考えているよ」
ミハイル殿の言葉に、なるほど、確かにそれが真実であるかもと、口々に上っていく。
「そして、豊作の件についてはアストリア領の長年の努力の成果が実を結んだだけ、と考えられるけど、どうだろうか?」
みなさん、と、私に聞くような仕草で、周囲に問いかけるように話す。
無論、そんなわけはないことを私は知っている。
あの地は、努力で大豊作になる土地ではない。
しかし、領民の努力が全て無駄というわけではないだろうと思い、
「そうかもしれませんね」
私は、その様に答えた。
「その上、マリアンヌ様は神聖魔法の使い手だ。一方で貴女はどうだろうか?」
「私は神聖魔法が使えません」
本当は、使えない、というわけではない。使おうと思えば使えるのだろうが、恐らく意図とは違った結果となるだろう。しかしそれ以前に、使うわけないはいかない理由がある。
ミハイル殿は、ふぅと失望のため息をつき、話を続ける。
「マリアンヌさんはね、休みの日には貧しい人への炊き出しを行ったり、施療院へ慰問に訪れたりしていたんだよ。しかし、貴女自身は何も神聖魔法を扱えず、聖女と呼ばれるような行いは何一つしてこなかった。違うかい?」
私のスケジュールは分単位で管理されており、放課後や休日は全て妃教育に充てられていた。休みは一日となかった。
「仰る通りです」
その様な私の事情を、よもや知らぬはずはあるまいと頷く。
「今ではみんな、マリアンヌさんこそが聖女だと信じてるよ」
「はっ! それで聖女だなんて、良く言えたもんだ!!」
ミハイル殿に続き、テオドール殿が吐き捨てるように言う。
私が言ったわけではないが、特に否定したわけでもないので黙して語らず。
「さて、クリスティアナよ。貴族が、他の貴族を害する、その意味はわかるな?」
「帝国法貴族令第五条、貴族同士の決闘による意図せぬ殺害以外は極刑を処す」
条文を諳んじる私に対し、殿下は眉をひそめて応じる。
「わかっているなら話が早い。帝国法に則りお前を裁判にかける。間接犯とはいえ重罪は免れないと思え!」
殿下の堂々たる立ち振る舞いに、周囲から感嘆の声が上がる。
一方で、私に対しては侮蔑の視線に飽き足らず、口々に罵りが続く。
「おっと、逃げられると思うなよ? 入口は俺の仲間が塞いでるぜ」
未来の近衛騎士団長の言葉に応えるように、広間を囲う人垣が揺れる。
帯剣をして入ってきたところを見ると、全て打ち合わせ済なのだろう。
「クリスティアナ君の言葉は全て記録している。発言には気を付けることだ」
モノクルを通してこちらを見下してくる魔術師、シリウス殿が言う。
「クリスティアナさん。貴女のことは神が決してお許しにならないでしょう」
最後に、法衣を身に纏ったミハイル殿が、悲しむ素振りをして言った。
皆の言いたいことは理解したが、最後の発言だけは、腑に落ちなかった。
「それはつまり、女神ディアナが私を許さないと、そう仰っているのですか?」
無論、相手の意図していることは理解していたが、思わず聞き返してしまった。
「何を当然の事を言っている!」
「頭のおかしくなった振りをしようとも、そうはいかねーぜ!」
ルドルフ殿下とテオドール殿を皮切りに、周囲からも次々と罵声が飛ぶ。
「そうですか……」
私は、一応は意味を解したことを示す反応を返すことにする。
しかし私にとって先刻の発言内容は体を成さない。
なぜなら、私が私を許さない、という意味になってしまう。
そう、私こそがこの世界を守護せし女神、ディアナだからだ。
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