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館の主  作者: 三毛猫
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地下室

 あの奇妙な獣の遠吠えを聞いてから数日が過ぎたが、あれ以来特におかしな事も、獣の声を聞くことも無かった。


 そんなある日…


 「旦那様がお呼びです。ギルバート。」


 執事が私を呼びに来た。

 連れて行かれた部屋は初めて入る部屋だった。そこは書斎の様で、正面の高級そうな机の向こうには真紅のカーテンがしつらえてある。その向こうに見える松の生い茂る山並みを、旦那様は静かに見つめて居た。


 「失礼致します。」


 執事はそれだけ言うと礼をして、私を書斎に置いて下がった。


 旦那様はしばらく何も言わずに窓の外を見つめるばかりだった。

 私もまた、何も言わずに、旦那様の視線の先を追った。

 

 ふぅ…と悩ましいため息をついた後、旦那様はようやくこちらを向いた。


 「ギルバート、新しい絵を描いてくれ。」


 「かしこまりました、旦那様」


 そう言って旦那様に連れられて来たのは、庭と反対にある階段を登った2階。山並みを望む窓のある部屋だった。

 応接間や書斎に比べてそこは狭く、私のあてがわれている屋根裏部屋と同じくらいの広さだった。


 部屋の中は、やはり長い間使われて居ない様で、白く埃の積もった家具が並んでいた。

 子供用と思われる小さなベッド、書き物机、半開きのクロゼットの中には少年の物と思われる洋服が少しだけ。


 旦那様が幼少の頃に使っていた部屋だろうかと思って居たが、それにしてはあまりに質素だった。

 クロゼットの洋服も、まるで使用人のそれだった。


 「ギルバート、この部屋を…この部屋の25年前の様子を描いて欲しい…」


 いつも不機嫌そうで、何事にも心を乱されない。

 私が今日まで見てきた旦那様はそんな人ではなかっただろうか…

 今私の目の前に居るこの人は、寂し気に肩を落としてこの小さな部屋を眺めている…まるで、知らない男の様だった。


 「…かしこまりました…旦那様。」


 私は庭の他にこの部屋へも立ち入ることを許された。この、誰のものとも知れない、小さな子供部屋…25年前には、きっとここで誰かが生活していたのだろう…


 それから1週間の間は、この部屋を訪れて中を眺めたり、日中の殆どをこの部屋でぼんやりと過ごしたりしていた。

 ここで生活していただろう、小さな、少年を思い浮かべて。



 ー…ガシャンッ…パリン…カラン、カラン…


 突然の物音にハッと目を覚ました。

 私はどうやらこの子供部屋でうっかり眠りこけていた様だ。

 カーテンの開け放たれた窓の向こうはすっかり暗闇に包まれていた。今が何刻なのかも分からない。この部屋の壁時計は随分昔から眠っている様だ。


 今の物音は一体…


 以前に屋根裏部屋で聞いた時より近くに聞こえた。

 スミスが何かを落として、皿でも割ったのだろうか。

 けれどあの完璧な執事が、果たしてこう何度も皿を割ったりするだろうか…


 私は寝ぼけていた事もあり、奴隷としてやってはいけない事をしてしまった。

 旦那様の言い付けである‘自室と庭、バルコニーのある部屋と、そしてこの子供部屋以外の場所に行ってはいけない。’という言い付けを、破ってしまったのである…


 私がここから自室に戻るには、1度1階まで降りた後、玄関を通り過ぎ、応接間の前を通り、バルコニーの部屋の更に奥にある屋根裏部屋に繋がる階段で戻るのだが…

 私は子供部屋を出て階段を降りた後、玄関とは反対の、風呂場のあった更に奥へと進んだ。


 廊下は薄暗く、灯りもない。等間隔に並んだ窓から差し込む月明かりだけを頼りにゆっくりと歩く。

 この時の私は、かつて男爵の屋敷にいた頃の様な気持ちで、屋敷の中を歩いていた。そこに恐れや罪悪感は無かったのだ。

 しばらく進むと、僅かに開いた扉から、灯りが漏れているのが見えた。

 ゆっくりと扉に近付いていくと、扉の先から何やら人の話声が聞こえた。

 男の声であるのは何となくわかったが、何を話しているのか、その内容までは聞き取れない。

 扉の先の部屋を確かめようと近付いた。

 合間からチラリと見えたのは部屋ではなく、地下へと続く階段だった。

 何処に続いているのだろう…

 ‘好奇心‘?と言うのはこういう気持ちなのだろうか、男爵の部屋で暇つぶしに読んでいた本にそんな事が書いてあった様な気がする。

 ’もっと‘と言う気持ちが湧いて来て、私は扉に手をかけた。


 ー…キィ……


 と小さく、扉の蝶番が鳴いた。

 すると次の瞬間…


 ーグルルルル……


 階段の下の方から、まるで地響きの様に低く、そして殺気に満ちた獣の唸り声が響いた。

 先程までうっすらと聞こえていた話し声もピタリと止んだ。


 ー…っ!


 私はハッと我に返ると、急に自分のしている事が恐ろしくなった。

 それは、奴隷の身でありながら旦那様の言い付けを破ってしまったからなのか、それとも、地下に居るであろう得体の知れない何者かに対しての恐怖なのか、あるいはその両方なのか…

 何に慄いて居るのか分からないが、全身を緊張が走り、膝と手は小刻みに震え出した。

 心臓が早鐘の様にドクドクと響いた。まるで身体全部が心臓になってしまったかの様な感覚に襲われた。


 すると地下から足音が聞こえて来た。


 ー…コツ…コツ……


 旦那様? それともスミス?

 ……それとも…?


 足音はゆっくりと階段を上って居る様で、少しずつ音が大きくなっていた。


 ー…ここに居てはいけない!


 私はそう思ったと同時に来た道を足早に引き返した。自室のある屋根裏部屋を目指して、後ろを振り返りもせずに。

 追って来る様な足音こそ聞こえないものの、得体の知れない何かがすぐ背後まで迫って居る様な、そんな恐ろしさを感じ足をもつれさせながらも、何とか階段を駆け上がり、自室に飛び込み、ドアを閉めた。


 息が上がって、心臓もバクバクと先程よりも大きな音で鳴っている。


 どれくらいの間扉に張り付いて立っていたか分からないが、少しずつ動悸が落ちついて、私はそのまま扉の前にへたり込んだ。


 

 あの扉の先…階段を降りたその先に…



 

 …何かが、居る。

 

 


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