24.クリスティアンのプロポーズ
月に一度、魔術学校が休みの週末に、クリスティアンは町医者のジェーンの診療所を訪ねていた。魔術学校の基本から専門も終えて、今は研究過程にいるクリスティアン。履修している科目が多いのと、テンロウ領の後継者で、女王の従弟でもあるので、忙しかったが、月に一度の訪問だけは決して外さないようにしていた。
ジェーンが教えてくれるのは医学知識だけでなく、歓楽街や下町の人々のリアルな生活だった。
「娼婦たちは三か月に一度、妊娠と性病の検査をするの。それに引っかかったら、性病の場合は治療できるものはするけど、できないものは療養所とは名ばかりの死を待つだけの施設に入れられる。妊娠の場合は、相手の男が余程酔狂じゃない限りは、堕胎させられるのよ」
「三か月に一度で間に合うものなのかい?」
「いいえ。異変に気付いても、黙って商売を続ける子もいるし、逃げ出す子もいる……ここは地獄よ」
貴族の子息が遊びに来たり、王宮を守る騎士、王都を守る警備兵が遊びに来たりする歓楽街。この街自体を、ダリアとローズは変えようとしていた。
「それでも、検査が受けられるのはマシになった方で、母の時代にはもっと酷かった……」
妊娠を隠して客を取り続けた娼婦が堕胎できない時期になってから運び込まれて、赤ん坊ごと処分されたり、性病の娼婦が死ぬ直前まで客を取らされたり、加虐趣味の客に殴られたり、刺されたりした娼婦が運び込まれたりして、診療所はまさに地獄絵図だった。
それでも、誰かが診なければ、彼女らは打ち捨てられるだけだ。
「若い男の子もいたわ。男の客も、女の客も取らされるの」
「今は、少しはジェーンの仕事も減った?」
「増えたくらいよ。でも、ドナは優秀なのよ。それに、この診療所で働きたいっていう医者を、あなた紹介してくれたでしょう?」
魔術学校を出た知り合いの中に医者志望だが、魔術師としてはそれほど能力のないものがいて、経験をしっかりと積んで働きたいと言っていたので、ジェーンを紹介したのには、クリスティアンは少しばかり下心があった。
万全の状態をクリスティアンは確認する。
「彼女は使える?」
「とても勤勉で良く働いてくれるわ。ドナとも仲がいいし」
ドナという名前の以前引き取った少女は、クリスティアンの支払う授業代で学校に通いながら、ジェーンを手伝っている。
「それなら、安心だ。僕も、ジェーンと結婚できそうだね」
「そうね、結婚というのは一般的に男女が……は? 私と、誰が?」
「僕と、あなたが」
「待って待って待って! 結婚というのは、好き合ってる相手同士がするものよ? 性別は問わないと、ダリア女王陛下の政策でそういう風潮になっているけれど……」
「僕は男性、あなたは女性、何の問題もないよね?」
授業の途中で急に切り出された結婚の話に、ジェーンはついていけていないようだった。
ほんの少し前まで、この街の現状を話していたはずなのに、いつの間にか結婚の話にすり替わっている。
「一応、あなた、テンロウ領の領主になるのよね? 私、あなたより7歳も年上なんだけど」
「うちの母も父より4歳年上だよ」
「身分も、祖父の代までは貴族だったけど、父の代ではく奪されてるわ」
「僕の従姉は女王だよ? 戻すのは簡単。そもそも、国王をよく思わない民衆に加担したとか謂れのない罪ではく奪されたんでしょ? そんなのローズが許すはずがない」
国民が国王に不満を持っていたのは、まぎれもない事実だった。20年もの間、亡くなった妃のことだけしか頭になく、喪に服し、政治を疎かにした国王は、早く娘に代替わりすべきだと言われていたのだ。モウコ領とコウエン領の領主はそんな声を封じ込めて、国王に取り入り、私腹を肥やしていた。
それももう、ローズとダリアには通じない。
「この街を棄ててはいけない」
「移転の魔術で通えばいい」
「テンロウ領の領主の妻が、王都の下町の診療所に通うの?」
「いけない? 僕はあなたの仕事が立派で、仕事に対する信念を尊敬していて、あなたが仕事をすることに関して、どんな協力も惜しまないよ」
この街で医者として働いているジェーンに惚れたのだから、その生活を一つも変えることはない。テンロウ領の次期領主の妻として仕事は増えるかもしれないが、その分は新しく入った医者とドナで補ってもらえばいい。
そう提案して、クリスティアンはこのプロポーズは成功したと信じ込んでいた。
「お断りします」
「なんで? テンロウ領から、支援もするよ?」
「大事なことが分かってない! 結婚は好き合ってる相手同士がするものなの、分かる?」
「分かるけど、僕はあなたしか考えたことないよ」
「分かってない。出直して、お坊ちゃん」
怒らせてしまったと察するには、クリスティアンはあまりにも鈍かった。何がいけなかったのか分からない。
毎月の授業でジェーンは誠実にクリスティアンと向き合ってくれていたし、クリスティアンも彼女から学ぶことが多くあった。あんなに聡明で機転の早い女性は他にいない。
テンロウ領で夏休みに両親にも話して、万全の態勢を作り上げてからのプロポーズの何が悪かったのか、クリスティアンには少しも分からなかった。
診療所から追い出されて、散らつく雪の中、扉の前でしょんぼりと立っていると、ドナが近付いてくる。
「クリスティアン様、さっきのはまずかったですよ」
「僕、何がいけなかった?」
まだ十代前半の彼女にしゃがみ込んで問いかけると、気が付けばわらわらと寄って来た下町の女の子たちに囲まれていた。ドナが彼女たちにクリスティアンのプロポーズの話をすれば、きゃあきゃあと歓声が上がる。
「貴族様、ジェーンのところに足しげく通ってたけど、やっぱりそうだったのね!」
「ジェーン、玉の輿じゃない! 羨ましい!」
「でも、ジェーンがいなくなると困る……怪我したら誰に診てもらえばいいんだろ」
盛り上がる少女たちに、クリスティアンは説明する。
「僕はジェーンが診療所に通って仕事をしても良いと思うし、一年の半分くらいは王都で暮らしても構わないと思うんだ。彼女は移転の魔術が使えるし、王都に飛ぶのは難しいことじゃない」
「赤ちゃんが産まれたら?」
「連れて行っても良いし、仕事の間は乳母に預けても良い」
「そこまで考えてるなら、どうしてもっと、じっくり時間をかけなかったんですか?」
ドナに言われて、心外だとクリスティアンは声を上げた。
「毎月通っていたし、うちの両親にも話は通してあるし、確りと地盤固めはしたつもりだよ?」
「もっと根本的なところですよ」
「根本的な……?」
「あぁ、全然分かってない! これじゃジェーン様に振られるのも仕方がないですね」
お子様だわ。
年下のドナに呆れられて、クリスティアンは移転の魔術でセイリュウ領に飛んでいた。セイリュウ領に住む兄、エドヴァルドはイサギと紆余曲折あって、お互いに思い合って婚約している。
「もしかして、婚約から始めないといけなかった?」
仕事場の薬草畑に押しかけて、いきなり話し始めたクリスティアンに慣れた様子で、畑の手入れをしながらエドヴァルドは話を聞いていた。延々と説明するクリスティアンから事の次第が全て掴めてから、エドヴァルドは作業を中断して休憩室に場所を移して、イサギとクリスティアンに冷たいお茶を淹れてくれた。
「こんだけ喋る弟さんがおったら、エドさんが聞き役に回るのもわかるわ……」
途切れなく話し続けたクリスティアンに、イサギは目を回しそうになっているが、クリスティアンはイサギの意見も聞きたくて青い目を向けた。
「イサギはどう思うかい?」
「婚約もなにも、もっと前からやないんか」
「もっと前?」
「あなた、その方に『好き』だとお伝えしましたか?」
目を回しかけているイサギを支えて、冷たいお茶を飲ませているエドヴァルドが、目を伏せて静かに問いかけるのに、クリスティアンは首を傾げた。
「結婚を申し込むのに、好きじゃないわけがないよね?」
「言葉にしてへんのか!?」
「彼女とは月に一度は顔を合わせているんだよ」
「デートは? どっか、ロマンチックなところに行ったりしてへんの?」
「授業がデートのようなものじゃないのかな?」
何も分かっていないクリスティアンとイサギのやり取りに、深くため息をついて、エドヴァルドがクリスティアンの頬に手を当てる。ひとの話を聞かず、自分の子とばかり喋るクリスティアンに、確りと話を聞いて欲しいときに、エドヴァルドは幼い頃から、静かにクリスティアンの頬に手を当てて、同じ色の青い目を覗き込んだ。黙ったままで、クリスティアンが口を閉じて話を聞く態勢が整うまで、エドヴァルドは目を覗き込んで待っている。
「クリスティアン、恋愛というのは、相手が自分を好きか、自分が相手を好きか、それが分かって始まるものですよ。まず、あなたは、相手に『好き』と言いましたか?」
「分かってると思ってた」
「口にしないことは分からないものです。どんなことも、言葉にするのを怠ってはいけません」
「でも、嫌いなら、僕のことは追い出していると思うんだ。今日追い出されたみたいに。彼女は、そういうひとだから」
「嫌いじゃないと好きは違いますよね。自分の気持ちを伝えたら、相手にもちゃんと気持ちを聞くのです。それができなければ、結婚などできませんよ」
21歳になったばかりのクリスティアンは、興味があることには異常な集中力を見せるが、その分周囲が見えておらず、相手の気持ちを勝手に推測して突き進んでしまうところがあった。大抵の場合は、相手を観察しているのでそれが外れたことはないのだが、今回は見事に外れてしまったことがクリスティアンにはショックだった。
「ジェーンは、僕を、嫌いじゃないけど、好きじゃないかもしれないってことかい?」
「それは、彼女に聞いてみてください」
「イサギは兄さんに初対面で結婚してって言ったんだろう? 僕と何が違うの?」
「年と純粋さですかね」
「酷い! 兄さん、酷い! でも、大好き!」
全くブラコンなんだからと笑われながら、クリスティアンは移転の魔術でジェーンの診療所に戻った。木戸を開けて、庭から玄関の前に立って、ノックしようとして、手を止める。
「嫌いじゃないけど、好きじゃないかもしれない……僕はジェーンを好きなのに? 結婚するために、両親にも話をして、ジェーンを紹介するときに、嫌な気持ちをさせたくなくて……でも、全部空回り? 僕が?」
かっこ悪くて情けなくて、玄関の前でクリスティアンはひょろりと高い背を丸めて座り込んでしまう。
完璧なプロポーズだと思っていた。自分は21歳で今年魔術学校の研究過程も卒業する。そうなれば、テンロウ領の領主の後継者として、いつまでも王都の別邸にはいられずに、テンロウ領に帰ることになる。
「テンロウ領に帰るときに、ジェーンは一緒じゃない……僕は一人? 完璧なプロポーズだと思ったのに……完璧に……あぁ、僕は何をしくじったんだろう」
頭を抱えたクリスティアンの前に影が差す。
見上げれば、往診から戻ったジェーンが、医療器具の入ったカバンを持って呆れ顔で突っ立っていた。
「ちょっとは考えてきたようね」
「ジェーン、好きだ。あなたは?」
「そうね、そこから始めて欲しかったわ」
情けない顔で告白すると、手を取って立たされて、玄関から診療所に入る。お茶を淹れてくれたジェーンとクリスティアンで、今度は、恋愛の授業が始まろうとしていた。
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