23.エドヴァルドの誕生日
幼い頃から、エドヴァルドには自分に違和感があった。男性として生まれてきたことに疑問は感じていないのだが、将来女性と結婚して子どもを持つということが、全く想像できなかったのだ。気になる相手は、年上の男性だったり、同級生の男の子だったりして、エドヴァルドは男性なのに女性を愛せないことを早いうちから自覚していた。
何かのきっかけがあってそうなったわけではない。元々エドヴァルドはそういう人間だったのだ。
初めてのお見合いは、セイリュウ領の領主になったばかりの15歳のサナで、そのときエドヴァルドは魔術学校を卒業して成人した18歳だった。
「うちは、自分の好きになったひととしか結婚しません。エドヴァルドはんには申し訳ないけど、見合い結婚をするつもりはないんです」
前領主が亡くなって、次の領主になった祝いの席にテンロウ領の代表として参加させられたエドヴァルドは、はっきりとサナが断ってくれたことに、安堵すら抱いていた。
万が一にでも興味を持たれないように、髪を剃ったり、結婚できない理由作りをしたりして、逃げ出そうと思っていた矢先のことだったので、安堵したものの、セイリュウ領の新領主就任祝いは続いていたので、領主の御屋敷には滞在させられることとなった。
「断られたのですから、私が長々と滞在する意味はないでしょう」
「お見合い結婚が嫌だと彼女は言ったのだろう。それが滞在期間中に恋愛に変わらないとも限らないよ」
年頃になっても女性に興味を示さないのは、政略結婚をさせられることが決まっているからか、それとも奥手なのか。薄々エドヴァルドが男性しか愛せないことに気付いていたと後に語る父親も、そのときはまだエドヴァルドを理解してはくれなかった。
就任したばかりで忙しく、就任のお祝いの席では双子の従弟妹に暗殺されかかり、前領主の妻を国外追放することになったサナは、とてもエドヴァルドとの時間をとることなどできない。
このまま滞在期間が過ぎれば、平和にテンロウ領に帰れるという気持ちと、帰ったところで次の見合いが待っているだけだという憂鬱が混ざって、何もすることのない時間を持て余していたところで、エドヴァルドはサナからお願いをされた。
「あの従弟妹たちなんやけど、全く飲み食いせずに、ベッドの下に籠城してるて話ですのん。うちが行っても怖がらせるだけやし、助けてくれません?」
「お幾つでしたっけ?」
「確か、7歳やなかったですやろか」
産まれてから7年間、サナを殺すことだけを叩き込まれて、前領主の父は亡くなり、母は国外追放された双子。サナを暗殺しかけたという技術と罪があるために、領地の人間には軽々しく頼めないので、白羽の矢が立ったのが、防御と肉体強化に特化したエドヴァルドだった。
「お役に立てるのでしたら」
引き受けて案内された部屋は、何日も風呂に入っていない子どもたちの酸っぱい匂いがした。不思議とそれも嫌ではなくて、ベッドの下を覗き込めば、目だけぎらぎらと鋭い、痩せた双子が手の届かないところに入り込んでいる。
厨房を借りてミルクティーとサンドイッチを作っていたので、それを近くのテーブルに置いて、エドヴァルドはできるだけ優しい声で語り掛けた。
「お腹空いてませんか?」
ベッドの下では双子のやり取りがあったようだが、直ぐに声変わりしていない男の子の高い声で悲鳴が上がる。
「た、たすけてや! ツムギが、おれのいもうとが、しんでまう!」
何日も飲み食いしていない上に、元々栄養状態の良さそうな子どもたちではなかった。衰弱しているのだろう。ひとは食べなくても7日生きていられると言うが、栄養不良の子どもがそんなに長期間生きていられるわけがないし、人間は水なしでは2日と生きられない。
「待ってて! ベッドを持ち上げるから、驚かないでくださいね」
「ふぇ? ふぁー!?」
肉体強化の魔術を使って、ベッドを一気に持ち上げて部屋の隅に放り投げると、埃に塗れて、汗と脂で汚れた痩せた男女の双子の姿が見えた。兄の方が妹を抱き締めて、妹はぐったりとして動けなくなっている。
早急に水分が必要だと判断して、女の子を抱きとって、膝の上でミルクティーの入ったカップを口に当てれば、漂う甘い香りに、カッと目を見開いて、一気に飲み干した。
「つ、ツムギ、いきとるんか? ぶじか?」
「おにいちゃん、これ、おいしー!」
「あなたもどうぞ。妹さんを守って、本当に偉かったですね」
小さな子どもにとって、母親は世界の全てと言っても良い。その指示に従っていただけで、二人ともごくごく普通の7歳の子どもだった。安心して泣いてしまった兄の方の髪を撫でると、ぐしゃぐしゃの泣き顔でエドヴァルドを見つめる。
酷い境遇でも、妹を思いやる気持ちを忘れない、優しい強い男の子。
「おれと、けっこんしてくれへん?」
請われたエドヴァルドは、心臓を掴まれたかのように動揺した。この子はエドヴァルドが男性を好きかどうかなんて知るはずもない。それなのに、自分は期待させるような浅ましい行動を取ってしまっただろうか。
可愛いと感じただけに、答えには躊躇った。
「……男性同士の結婚は一般的ではありませんね。特に貴族社会では、子どもを作ることが大事と言われますから、歓迎されませんよ」
違う。
本当は、男性同士だから結婚できないなどと口走りたくなかった。
男性同士でも、エドヴァルドは愛するひとが欲しいと願っていた。淡い憧れは抱いても、それが浅ましく汚く、認められないものだと否定されそうで怖くて、こんなに真っすぐに誰かに好きと言われたことも、結婚を申し込まれたことも、一度もなかった。
胸の中に、小さな炎が点いたような気持だった。
いつか、この子が大きくなって、同じ真っすぐな瞳で結婚を申し込まれたら、エドヴァルドはきっと断れない。嬉しいと、思ってしまう。
「かえらんといて! おれとおって! おれは、エドさんがすきや!」
「ごめんなさい……あなたとは結婚はできないんですよ」
別れの日に、その男の子はエドヴァルドの脚に縋って号泣した。流れていく涙が綺麗で、純粋なその思いに胸が痛くなるようだった。
「私とあなたの思い出です。どうか、元気で」
まだ18歳のエドヴァルドにできたのは、国王から賜った結婚のための魔術具のカフスボタンの片方を、彼に渡すことだけ。
失くしてしまったのだと理由を付けて、それ以後のお見合いを断り続けたエドヴァルドに、父親は違和感を覚えていたことも、その後に知る。
あの日の男の子は、16歳になって、変わらずにエドヴァルドを好きと言い続けてくれていた。
「エドさんは、あのときから、俺が好きやったってこと?」
「私は賭けたのです。イサギさんが私を好きなままでいてくれるかどうか」
誕生日を祝ってもらう席で、エドヴァルドはイサギに自分の話をした。好きなもの、欲しいもの、何も知らないと、誕生日お祝いを悩ませてしまったイサギに、自分があまり自分のことを話すタイプではないと、ようやく気付かされたのだ。
どちらかといえば、聞き役に回ることの多いエドヴァルド。初対面の日のことを詳細に語れば、イサギは頬を染めていた。
「子どもだから、憧れと恋を間違っているのかもしれないと思ったのです。私は自分自身が幼い頃から気になる相手は男性しかいなかったのに、イサギさんのことを信じられていなかったのですよ」
ごめんなさいと謝ると、イサギはふるふると首を振った。
「7歳の子どもの言うことを信じられへんのは普通や。それでも、エドさんは俺に可能性を残してくれたやないか」
「失くすかもしれないし、気付かなければ、それでお仕舞。私の自己満足ですよ」
去年の誕生日にイサギにプレゼントをして自分だけ幸せになっていたように、エドヴァルドはどうしても自己主張の弱いところがあった。大切なイサギとの結婚のためにサナと交渉するときには強気に出られても、いざイサギと向き合うとなると自分のことよりもイサギのことを考えてしまう。
「もっと、エドさんの話が聞きたい。エドさんに、もっと、我が儘になって欲しい。俺は情けなくて、頼りにならへんかもしれんけど、もっといっぱいエドさんに自分のこと、安心して預けてもらえるようになりたいんや」
「充分ですよ。イサギさんは、そのままで良いです」
「エドさんは、そのままやったら、あかん」
「そうですね、私はもっと話をする努力をします」
秘密主義で自分の信じる道を突き進むクリスティアンと、自分の感情を制御して隠してしまうエドヴァルドは似ているのかもしれない。誕生日も、二人きりで静かに過ごしたかったから教えなかったと白状すれば、「ツムギがそうやないかって言うてた」とイサギも教えてくれた。
王都のカフェでお茶をして、これからイサギがチケットを取ってくれたオペラ鑑賞に向かう。
家に帰れば、イサギと仕込んだ晩御飯を食べて、別々にお風呂に入った後に、いつものようにソファで寛ぐだろう。
「我が儘、良いですか?」
「どんとこい、やで!」
「帰ったら、膝枕してくれますか?」
湯上りに寛ぐ時間に、イサギは時々エドヴァルドに膝枕を強請って来る。ふわふわの柔らかな茶色の髪を撫でて、イサギの頭を膝に乗せているのは可愛くて幸せなのだが、エドヴァルドの方からお願いしたことはなかった。
「え、ええんか?」
「こっちのセリフですけど?」
「膝枕ってあれやで? イサギくん、エドさんの頭とか、触ってまうで?」
「嬉しいですよ?」
「ほ、ほんまか? き、キスもするかもしれへんで?」
初めて会った日よりも相当身長は伸びているし、再会してからも伸び続けているイサギだが、エドヴァルドがものすごく長身の部類に入るので、自分からキスをしたり、頭や顔に触れたりすることは難しい。
父親も髪が寂しいので将来的になくなるだろうと、お見合いを断っていた時期のままに頭髪を剃っているので、無防備な髪や耳や首に触れられることになるだろうが、それもまた、エドヴァルドはイサギならば嫌ではなかった。
「どうぞ、ご自由に」
「ひゃ、ひゃい!」
ツムギの公演を観に行ったときにも、開演ぎりぎりでキスをしたのでイサギは全く集中できていなかったようだが、今日のオペラも内容を全く覚えていないかもしれない。
それもまた思い出だと、隣り合った席に座って、エドヴァルドはイサギの手を握った。
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