17.雪解けのように
テンロウ領では、問題なく過ごせていた。
毒を盛られた事件で神経質になって、誰も信じずに離れに閉じこもり、クリスティアンを育てることだけに執心して、クリスティアンが10歳で幼年学校を出て王都に行ってからは魂が抜けたようになって、テンロウ領の田舎に引きこもっていた母親。お気に入りの蕪マンドラゴラを抱き締めて、夫に話しかける姿が見られた。
「この子を、飼ってもいいかしら?」
「あなたの好きにするといい。他の蕪マンドラゴラのように調理されないように、使用人たちに伝えておくよ」
「私、ここに戻ってきても、良いですか?」
良く育った蕪マンドラゴラを赤ん坊のように大事に抱きかかえた彼女に、エドヴァルドの父親は穏やかに微笑む。
「ここはあなたの家だよ。ずっと、あなたのことだけを待っていたよ」
どれだけ妾を持つように勧められても、誘惑されても、揺るぐことなく、静かに妻を待ち続けたテンロウ領の領主は、妻の手をとる。和解した二人の光景を見ていたエドヴァルドもまた、イサギの手を握った。
「イサギさんが来てくださったおかげで、両親もまた一緒に暮らせそうです」
「俺が、役に立った?」
「いつも、イサギさんは誰かの役に立っていますよ」
暗殺に失敗して自分にできることはないと打ちひしがれた7歳の日。エドヴァルドと出会ってから、結婚を申し込んで断られ、生気を失って生きてきた15歳までの8年間。自分に価値があると養父はずっと言い続けてくれたのかもしれないが、それを受け取るだけの素地がイサギにはなかった。
できることはない。自分は無力だ。
思い知ったのは、エドヴァルドのために頑張っているつもりでも、サナが呪いをかけていると勘違いして、盛大に空回ってしまった一年前。呪いを解く方法を探しても、文献さえ読み解けず、勉強不足と力不足を痛感した。
あれから一年近く、一緒に暮らしだしてエドヴァルドはイサギへの気持ちを明かしてくれて、イサギの価値を認めてくれる。
「イサギさん、ローズ女王陛下の人参さんには、特別な栄養剤をあげているのですって?」
「妻の可愛がっている蕪が、枯れてしまうことがないように、私たちにもそれを分けてもらえないか?」
エドヴァルドの両親からの依頼に、イサギは戸惑ってエドヴァルドの顔を見上げた。穏やかな微笑みは、父親とよく似ている。
「イサギさんに、お願いされているのですよ」
自分が答えていいものかと迷うイサギの背を、エドヴァルドは押してくれた。
「お義父さんとお義母さんのために、精一杯作ります。……お義父さんとお義母さんて、呼んだらあかん?」
「エドヴァルドの婚約者ですもの、どうぞ、呼んでくださいな」
「少し照れるけれど、息子が増えたようなものだな」
了承してくれるエドヴァルドの両親の足元で、「びぎゃ」と鳴きながら、蕪マンドラゴラが喜びのダンスを踊っていた。
お屋敷にある材料で作った栄養剤を、哺乳瓶のような器に入れて、エドヴァルドの母親は蕪マンドラゴラに飲ませる。ちゅっちゅと哺乳瓶を吸う蕪マンドラゴラは、白く丸くムチムチとしていて、確かに赤ん坊のようだ。
「エドさんの赤ちゃんの頃とそんなに似てるんか?」
「エドヴァルドは身体の大きな赤ん坊だったの。丸くて、ムチムチで、肌がとても白くて……あなた、焼けたわね」
「イサギさんとセイリュウ領で薬草畑で働かせていただいているのです。少し日焼けはしましたが、イサギさんが日除けは気を付けてくれています」
こんな風に話ができるのも、エドヴァルドの母親が赤ん坊のように蕪マンドラゴラを抱いて、栄養剤を飲ませて、落ち着いているからかもしれない。
ペットのように可愛がるものがいるのは心を和ませ、癒すのだと、ポチとタマとぴーちゃんで、イサギもよく分かっていた。王宮でローズとリュリュも人参マンドラゴラを可愛がっている。
「今回、僕が帰って来たのには、ある女性の助言があってね。聞いてくれるかい、母さん?」
「私に話してくれるの?」
鬱陶しいと母親を避けて年末に里帰りもしなかったクリスティアンが、自ら話しかけてくることに、母親も、エドヴァルドも驚いている。彼にも心境の変化があったのだろうと見守っていると、クリスティアンは結論から口にした。
「ここで言わないと言えないだろうから、言っとくけど、僕はお見合いはしない。結婚したい相手がいる」
王都の魔術学校が夏休みに入って、長期滞在をするとなれば、年頃のクリスティアンには、領主の後継者となることが決まっているので、幾つもの見合いが持って来られる。先に牽制する態度に、クリスティアンの父親は否定せずに、穏やかに問いかけた。
「どこのお嬢さんかな?」
「元は貴族だったみたいだけど、売られて身売りをさせられている女性を助けるために歓楽街で診療所を開いている女性だよ。彼女じゃなければ、僕は結婚しない。そのひとと出会ったから、母さんともう一度話そうと思った」
「一度会わせてくれる? その方と出会ったから私に会いに来てくれたなんて……お礼を言わなければいけないわ」
反対されるかと身構えていたクリスティアンは、拍子抜けした様子でイサギを見る。
「イサギは、すごいね」
「俺は何もしてへんよ。お義母さんもお義父さんも、クリスさんを待ってはったんやろ」
「それを気付かせてくれるのがすごいよ」
イサギがテンロウ領を訪ねると言わなければ、クリスティアンも来ていない。そう言われると、悪い気はしないイサギだった。
久しぶりに夫婦が二人の時間……ただし、蕪マンドラゴラ付き……を持っている間に、お屋敷を案内してもらって、書斎に連れて行ってもらう。天井まで備え付けの本棚に、隙間なく詰まった本を、イサギは驚いて見上げていた。
印刷技術が最近は発展してきたとはいえ、本の装丁から見て、革張りの領主の家のためだけに製本された本も少なくない。領主の歴史を感じさせる本棚に圧倒されていると、幾つかの本をクリスティアンが棚から抜き出してくれた。
「僕も昔読んだけど、薬草学について、テンロウ領の独自の製法が書いてある」
「そんな大事なもん、俺が読んでええんか!?」
「イサギさんは、テンロウ領領主の長男の配偶者ですよ。いけないわけがないでしょう」
古代語で書かれたそれを、書斎のデスクを借りて、クリスティアンとエドヴァルドに挟まれて、両側から教えてもらって読む。セイリュウ領とは全く違う、種子から油を搾り取る方法や、薬草を混ぜ合わせる方法が書かれている。
居ても立ってもいられなくなって、イサギはエドヴァルドとクリスティアンに教えてもらいながら、書き写せるだけの文章を必死に書き写した。
手はインク塗れ、頭は使い過ぎてヘロヘロになった頃に、食事に呼ばれる。書き写した紙束を荷物に入れて、手を洗って、イサギはエドヴァルドと食卓に付いた。
広い食堂で、何人もの給仕がいる中で、厳かに行われる夕食。
豪勢なホテルで息が詰まる、胃もたれすると、ツムギが家に帰ってほっとしていたのを、イサギも実体験したような形になった。
「あの蕪さんに名前を付けたのよ。聞いてくださる?」
「どないな名前です、お義母さん?」
「アルベルトよ。うちは男の子ばかりだから、あの子も男の子だと思うの」
蕪に性別はないが、エドヴァルドの母親がそう思うのならばそれで構わない。
「母は、寂しかったのだと思います」
「愛情を注げる何かが欲しかったんだろうね。あの蕪がいてくれて良かったよ」
エドヴァルドとクリスティアンも、母親が蕪マンドラゴラを可愛がることで癒され、精神が落ち着くならば構わないと思っているようだった。
滞在期間中、エドヴァルドの両親は本当にイサギに良くしてくれた。帰るときには、名残惜しくて、イサギは泣いてしまいそうになった。
「エドさんが知的で、優しくて礼儀正しく育った理由が分かったような気がするわ」
「僕は?」
「クリスさんは、蕪を可愛がるお義母さんのちょっと変わったところが良く似てはる」
「みんな僕が変わり者のように言うんだから」
拗ねてはいるようだが、クリスティアンも悪い気はしていないようだった。
数日ぶりに帰ってくると、薬草畑に放していたはずのポチとタマとぴーちゃんが、玄関の脇に並んで待っていた。
「寂しかったんか? 俺も会いたかったで」
「ただいま、ポチ、タマ、ぴーちゃん」
撫でてから家に入るとそれぞれに栄養剤と水をたっぷりと与える。外にいたので光合成もできていたし、雨も降っただろうからお腹は空かせていないはずだが、栄養剤はもらっていなかったので、三匹はがっついて飲んでいた。
「エドさん……蕪マンドラゴラみたいやったんか」
ころりと丸くて大きな蕪マンドラゴラは、確かに赤ん坊と似ているかもしれない。久しぶりに薬草畑に行ったイサギは、蕪マンドラゴラを抱っこして「赤さんってこんなやろか」と練習してみるのだった。
感想、評価、ブクマ、レビュー等、歓迎しております。
応援よろしくお願いします。作者のやる気と励みになります。
感想はお題箱でも受け付けています。




