13.次期領主の決意
イサギの誕生日から少しした初夏のこと。
サナが産気づいてから、赤ん坊が産まれるまで、初産だったので丸一日以上かかった。その間中、レンとカナエはサナのそばにいた。
汗だくで陣痛に苦しむサナの手を握り、腰を摩り、汗を拭き、浮腫むのか痛むという脚を摩った。
一昼夜かけてのお産は時間はかかったが、無事に赤ん坊が産まれてきたときには、レンは感動して泣いてしまっていたし、カナエは寝不足で床に倒れ込んでいた。産声も元気な男の子は、褐色の肌で、目の色と髪の色は黒で、全体的にレンに似ている。
「ふよふよなのです」
「良かった……やっと、出てきた……」
「サナさん、本当にお疲れ様。本当に、本当に、ありがとう」
生まれたばかりの赤ん坊に産湯を浸からせて、産着を着せるとその小ささにレンが驚く。眠りかけながらも、カナエも小さな手に紅葉のお手手を合わせてみる。
「かわいい……のです……」
「赤ちゃんは俺が見とくけん、サナさんはカナエちゃんと、ちょっと寝て?」
「そうするわ……」
セイリュウ領の領主の第一子なので、魔術の才能の鑑定をされたり、お祝いに各領主やセイリュウ領の親戚が押しかけたり、産まれた子どもの性別を伝えたり、煩雑な仕事はあったが、産後すぐのサナに無理をさせたくないと、レンは生まれてから一週間はサナと赤ん坊を面会謝絶にした。
「サナちゃん、相当難産やったんやて?」
「初産だから破水から出産まで時間がかかったけど、赤ちゃんもサナさんも無事やけん、安心して?」
「でも、死にかけたって、噂が流れてるで」
心配して訪ねてきたサナの従弟のイサギと婚約者のエドヴァルドに、レンは声を低くした。
「そういうことに、しとうと。やないと、押しかけて来る煩いのがおるかもしれんけんね」
「あぁ、それは賢明な判断ですね」
「そうやなくても、お産は大変で、直ぐに仕事に戻れるわけないのに」
女性の領主はこれだからと言われるのが、サナにとっては非常に不本意であることを知っているが、レンはこれだけは譲れなかった。生命の誕生ということで明るいイメージの強いお産だが、結局は産む女性は命がけである。命を落としかねない大仕事を終えたサナには、ゆっくりと体を休めて、体力を戻して欲しかった。
「これ、栄養あるから、サナちゃんにあげてや」
「イサギさんが大事に育てた蕪です」
うごうごと蠢く活きのいい蕪マンドラゴラを渡されて、レンはありがたく受け取った。王都ではイサギの育てた人参マンドラゴラはペットのように可愛がられているが、本来のマンドラゴラたちの役割は、薬や魔術薬の材料となることである。葉っぱは煎じて、蕪の部分は食べやすいようにスープにして持っていくと、サナは赤ん坊を挟んで、カナエとベッドで眠っていた。
起こさないようにテーブルにそっと薬湯とスープを置いたつもりだが、「ふにゃあああ!」と赤ん坊が泣き出す。泣き声にがばっと身体を起こしたのは、カナエだった。
「おとうさん、あかちゃんがないてます」
「ありがとう。おいで……お母さんは疲れてるから、もう少し眠らせてあげてくれんね」
「えーっと、オムツ。オムツかもしれません」
「あ、そうやね。見てみる」
赤ん坊が産まれるということで、一生懸命周囲に聞いて、どうすればいいのか考えていたのだろう。産まれたばかりの赤ん坊に触れるのは初めてで、抱くのもぎこちないレンよりも、オムツを持ってきてくれるカナエの方がしっかりしている。
「おちんちんがついてます……おとこのこです」
「男の子やねぇ。カナエちゃんの弟やけんね。言ったとおりにオムツが濡れとった。気持ち悪かったね。お姉ちゃんが気付いてくれて良かったね」
「カナエ、おねえちゃんですか?」
「優しくて、よく気が付く、頼りになるお姉ちゃんやね」
オムツを替えて、ミルクの入った哺乳瓶を咥えさせると、少しだけ飲んで、飲みながら赤ん坊は眠ってしまう。座って赤ん坊を膝に乗せて抱っこしているレンに、目を輝かせてカナエは赤ん坊を見つめていた。
下の子が産まれると上の子は赤ちゃん返りをすることがある。覚悟していたレンだったが、カナエは全く逆だった。
レオという名前になった小さな赤ん坊が、泣くと一番に飛んでくる。
「おばさん、レオくんがないてます。これは、オムツのよかんがします」
「ほな、見てみよか」
「はい、かえのオムツです」
「ほんに、カナエちゃんはよう気ぃつくわ……うちより母親みたいやわ」
汚れたオムツを取り換えて、母乳を飲ませる間も、カナエはレオから離れなかった。ベビーベッドに置かれると、泣いてしまうレオの脚を、ベビーベッドの柵の間から手を差し込んで摩る。触られると安心するのか、レオはカナエが体を摩っているとよく眠った。
「カナエちゃんはレオくんを眠らせる名人やね」
「カナエは、あかちゃんがうまれたら、いらなくなるのだと、ほんのすこしだけおもっていました。でも、あかちゃんがうまれたら、カナエは、すごくやくにたっているきがするのです」
「物凄く役に立っとうよ。カナエちゃんがおらな、レオくん、泣き止まんもん」
使命感に燃える四歳児に、レンが同意すると、カナエは申し訳なさそうにレンを見上げる。どうしてそんな顔をされるのか分からないレンに、カナエは小さな声で告げた。
「おとうさんのこと、おばさんとりこんしたら、けっこんしてもいいとおもっていたのですが、やっぱり、カナエは、レオくんとけっこんすることにします」
「俺とサナさんが離婚……じゃなくて、レオくんと、カナエちゃんが!?」
「レンさん、大きな声出して、どないしたの?」
赤ん坊のレオが眠っている間に、シャワーを浴びてきたサナが、戻ってきて目を丸くしている。事の次第をレンが伝えれば、サナも首を傾げた。
「けっこんて……え? 結婚? 誰と誰が?」
「カナエとレオくんです! レオくん、カナエとけっこんしましょうね?」
まだ寝返りも打てない、うごうごと手足を動かすだけのレオが、「うー」と小さく声を出して返事をしたような気がして、サナとレンは顔を見合わせた。
最初からレンに好意的だったし、父親以上のものをレンに感じていたのはサナも薄々勘付いていたが、その方向がレンにそっくりの息子、レオに向くとは考えも及ばなかった。レンには甘えた素振りをするのに、サナには懐かないでずっと「おばさん」呼びなので、産まれてくる赤ん坊にも変わらない態度をとるかと思っていたのだ。
「4歳の子の言うことだし」
「せ、せやな……大人にならな分からへんことやしな」
夫婦は共に現実から目を反らしたのだったが、一度決めたことは絶対に曲げない意志の強いカナエが、宣言したことを変えるはずがない。
それについては、カナエの成長と共に思い知らされるのであった。
非常に難産で死にかけたという噂を利用して、出産から一か月はゆっくりとサナを休ませて、それからサナとレンが厳選した乳母に預けて、サナは仕事に復帰した。本来ならば領主の出産、育児中は次期領主や親兄弟が執務を肩代わりしてくれるのだが、独裁的に『魔王』と呼ばれるまでになっていたサナには、代わりはいない。
絶対に無理をしないことを条件に、短時間からでも仕事復帰しなければ、サナでないと分からない執務が山積みになっていた。
机に積み重なった書類にうんざりしながら、身体を休められるようにリクライニング形式になっている椅子に寛ぎ、サナは書類に目を通していく。工房を空けてサナにずっと付いていたレンも、流石に仕事に戻らなければいけなくて、涙ながらにレオとカナエのいる子ども部屋から出て行った。
書類をサナが読んでいると、手紙が転送されて来る気配に、サナは手を伸ばしてそれを受け取った。女王の薔薇とダリアの紋章の入った封書を開けると、王子誕生の知らせだった。
「ローズ女王はんのところにも、産まれたんか……うちは行けへんけど、レンさんにお祝いを届けてもらわな」
産後日も浅いので、移転の魔術で移動するのは危険だと判断して、レンの工房に生まれた王子のための魔術具を準備するように伝令を入れると、レンはあらかじめ準備していてくれたようだった。
「生まれ月が近いけん、準備が間に合わんかもしれんと思って、男の子でも女の子でも構わんデザインで仕上げとったとよ」
呪いをかけられて金糸雀だったリュリュにちなんで、鳥の透かし彫りの木の魔術具は、赤ん坊が舐めても齧っても気にせずに身に付けられるようになっていた。
お祝いを届けるためにレンが着替えて準備をしていると、カナエが凛とした表情でお誕生日の日に着ていたワンピースを持ってきて、靴下と靴も揃えていた。
「おとうさん、せなかのボタンをとめてください。かみも、むすんでください」
「もしかして、カナエちゃん……」
「カナエは、セイリュウりょうのつぎのりょうしゅです。おばさんのだいりでいってきます」
「お願いしてええの?」
「まかせてください!」
本来ならば領主としてサナが行かなければ行けないお祝いだが、代わりにレン一人というのも確かに他の領主から陰口を叩かれて、レンが嫌な思いをするかもしれないと、サナは心配だった。
女の領主はこれだからと言われて、サナならば鼻で笑い飛ばせるが、心優しいレンは傷付いてしまうかもしれない。お父さんとレンを慕っているカナエは、幼いながらに次期領主と誰もが認める魔術の才能があった。
「なにかあったら、まじゅつがぼうそうしたふりで、ぶっとばしてきます」
「レンさんのこと、よぉく頼んだで?」
「カナエは、レオくんとおとうさんのために、がんばるのです!」
レンに聞こえないように領主と次期領主で小声で話し合って送り出した後で、サナは王宮でモウコ領の領主とコウエン領の領主が、聞こえよがしに陰口を叩いた瞬間、不意に起きた原因不明の爆発で部屋の外に吹っ飛ばされたという報告を、「カナエちゃん、よぉやった!」とガッツポーズで聞いたのだった。
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