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5.好き嫌い克服大作戦

 2月になると、王都は俄かに賑やかになった。女王であるローズの伴侶のリュリュが16歳の誕生日を迎えたのだ。身重ながら冬の最中に大陸に進出して、イレーヌ王国の暴君の女帝を引き摺り下ろし、新しい『獣人』の皇帝を据えて、リュリュの両親を連れて凱旋したローズは、夏には出産を控えていた。セイリュウ領のサナの出産が初夏なので、少しサナの方が早いが、同じ学年になる子どもたちにも注目されていた。

 そんな中、もうすぐ4歳になるカナエは、毎日のように薬草畑に遊びにやってくる。

 最初はポチやタマやぴーちゃんと遊んでいたが、最近は畑のマンドラゴラや育ち始めた薬草にも興味を持ったようである。


「すききらいがなくなるおくすりは、ありますか?」


 ある日、深刻な顔でカナエに相談されて、イサギとエドヴァルドは顔を見合わせた。サナには反抗的だが、それ以外の相手にはカナエはとても賢くて元気でいい子であるし、特に父親のレンの前では最高に甘えて可愛い顔を見せている。愛らしい顔が曇っているのに、イサギもエドヴァルドも、詳しく話を聞くことにした。


「食べたくないもんがあるんか?」

「嫌いなものがあっても、別のもので栄養を補えばいいので、小さい頃から無理をすることはないですよ?」

「……カナエは、いいところを、みせたいのです」


 食べるもの自体が与えられるか、与えられないか分からないような状態だった、閉じ込められていた日々では、カナエは食べ物の好き嫌いどころか、食べるものを選んでいる余裕もなかった。空腹で、お椀を魔術で落としてしまって床に飛び散ったものでも、這いつくばって食べていた。

 潤沢に食べ物を与えられるようになって、三食安心して食べられるようになってから、カナエは自分が苦手な食べ物があることに初めて気付いたのだ。


「あぁ、分かるわ、それ。俺も、エドさんと食べるまでは、食べ物の味なんて分からへんやったし、生きるため、倒れないように胃に入れとけばいいと思うてた」

「イサギさんもお嫌いなものがありますか?」

「実は、煮た魚の生臭さがちょっと苦手やって最近気付いた。でも、エドさんのは湯通ししてくれてたり、梅干しや味噌で臭み消ししてくれるから平気や。お店や、お屋敷でご馳走になるのは、自分から手を付けようと思わへん」

「イサギさんも、すききらい、あるんですね。エドさんもありますか?」

「私は……肉の脂身が苦手なくらいでしょうか」


 自分よりも大きなイサギやエドヴァルドも好き嫌いはあると知って、カナエは少し安心したようだった。


「きらいって、いっても、おとうさんは、おこらないですか?」

「レンさんは怒らへんやろ」

「きらいなものをたべられないカナエより、きらいなものもがんばってたべられるカナエのほうが、かっこよくないですか?」


 来月に誕生日を控えたカナエは、そのときに出るものは全部平らげたいと決心していた。そのために努力をするのは偉いと思うのだが、無理なく嫌いなものを食べられるようにする方法が、イサギにはよく分からない。


「私も小さい頃は誰にも言いませんでしたが、嫌いなものがありました。厨房で料理を作るようになって、どんな風にそれが作られているのかを知って、自分で作ったら、嫌いじゃなくなりましたよ」

「パセリも、トマトも、キャベツも、レタスも、たべられるようになりますか?」

「カナエちゃんの嫌いなもんって、もしかして、生のお野菜?」

「そうなのです……サラダが、カナエのたいてきなのです」


 生野菜を食べるのが苦手だというカナエに、エドヴァルドは口を開けさせてみせた。大きく口を開けたカナエの口の中、歯の数を数えている。


「カナエちゃん、奥歯が生えてませんね」

「え!? エドさん、子どもの歯のこと、分かるんか?」

「クリスティアンが産まれた時期に、赤ん坊のことは調べたんですよ。三歳になる前に、乳歯が二十本生えそろうはずなのですが、カナエちゃんは奥歯が上下二本ずつ、四本足りませんね」

「そ、それ、大変なことなんやないか!?」

「それまでの栄養状態も悪かったし、成長が遅れている可能性もありますし、元々生えない子もいるので、永久歯がどうなるか様子を見てみないといけないんですが……よく噛めないんじゃないですか?」

「のどに、つっかかるのです」


 火の通っていない生の野菜をよく咀嚼できなくて、カナエは喉に引っかかるのが嫌で嫌いになった。それを聞けば、対処の仕方はあるとエドヴァルドはすぐに考えてくれた。


「トマトは皮が硬いので湯剥きしましょうね」

「トマトさんは、かわをバイバイして、ちいさくきるのですね」

「レタスもキャベツもみじん切りにしてしまいましょう」

「レタスとキャベツは、ザクザクに、ちいさくするのですね」

「パセリは細かく切って、スープの色どりに」


 厨房に移動して、昼ご飯を今日はカナエも一緒に食べると話をして、エドヴァルドが手際よくお湯を沸かしてトマトを湯剥きして、レタスとキャベツは細かなみじん切りにして、パセリは細かく切ってスープに散らしてしまう。


「カナエちゃんの料理は、全体的に細かめで、咀嚼がしやすいようにしてください」


 ついでに厨房にもそのことを伝えて、お昼ご飯は青じそドレッシングのかかったサラダと、パセリの散ったコンソメスープと、カリカリにオリーブオイルで焼いたイワシと、パンになった。

 イワシにも隠し包丁が入っていて、カナエが食べやすいようになっている。


「あじは、すごくすきというわけじゃないですけど……たべられます。うぇってなりません!」

「エドさんは料理上手やろ? 俺のために壁も壊してくれるし、めっちゃええお嫁さんやねん」

「ちょっと、イサギさん、壁の話は……は、恥ずかしいですから」

「なんでや? かっこよかったで?」


 勢いで壁を壊してイサギを救い出してしまったのは、普段穏やかなエドヴァルドにとっては、我を忘れた恥ずかしい行為のようだった。助けられたイサギにしてみれば、かっこいいと惚れ直す行為でしかないのだが。


「レンさんとサナさんにも、お話しましょうね」

「ふたりとも、おしごとなのですよ。カナエのことで、おしごとをじゃましたらいけないのです」

「サナちゃんとレンさんがそう言うやろか?」


 工房にイサギがレンを呼びに行って、カナエを連れてサナの執務室に行くと、イサギだけならば薬草の数の報告でも「さっさと済ませてや」と素っ気ないサナが、仕事の手を止めて、話していたモウコ領の役人に昼の休憩と言って、席を外してもらった。


「おとうさんと、おばさんのおしごとのじゃまをするつもりでは、なかったのです」

「邪魔やら思ってへんよ。娘の大事な話なんやろ?」

「気付いてないかもしれないのでお伝えしますが、カナエちゃんは乳歯が生えそろってません」

「乳歯が? 仕上げ磨きしとったけど、数まで数えてなかった。気付かんでごめんね」

「乳歯て何歳頃に生えそろうんやろ」

「三歳前ですね」


 栄養状態が悪かったために成長が遅れているのか、元々生えない体質なのか分からないが、身体の小さなカナエは顎も小さくて、そこに隙間なく歯が生えているので、レンもその数が少ないなど、気付きもしなかったようだった。

 カナエを呼び寄せて、抱き上げたレンが口を開けさせて、サナと一緒に乳歯の数を確かめる。口を確認された後で、カナエは涙目になって恥ずかしげに話し出す。


「おやさいが、じょうずにかめなくて、うぇってなってしまっていたのです……」

「気付かなくてごめんね」

「厨房に、カナエちゃんの食事は気を付けるように言うとくわ」

「もうお伝えしてます」

「エドさん、ありがとう」


 娘のために時間を割くのは当然と考えているサナとレンの姿に、イサギは少しばかり驚きを感じていた。赤ん坊がお腹にいるので、当然、サナは母親になるのだろうと思っていたが、母親という生き物に対して、イサギはいい思い出は一つもない。


「サナちゃんがお母さんしとる」

「そりゃそうや。カナエちゃんも、お腹の赤さんも、うちの子や」


 何を馬鹿なことを言っているのかと笑われたが、イサギにとっては、母親という生き物が子どもを搾取するだけではないことを、見せつけられた気分だった。


「あのひとは、何を考えてたんやろ」


 国を傾けるまでしたイサギの母親。

 何が彼女をそこまでさせたのか。

 理解できなくても、聞いてみたいような気がしていた。

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