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1.女性は神秘

女性の生理(月経)についての記述があります。

苦手な方はお気を付けください。

 テンロウ領の次期後継者として、クリスティアンは神経質なほど母親に大事に育てられた。乳児期に兄のエドヴァルドの乳母が、クリスティアンの方が魔術の才能があったために生まれたときから次期後継者となってしまったため、クリスティアンの離乳食に毒を混ぜて、それをクリスティアンの乳母に責任をなすりつけたからだと、屋敷の中では実しやかに言われていた。そのせいで、クリスティアンはなかなか兄のエドヴァルドに会うことができなかった。

 知性的で穏やかな兄は、部屋から抜け出して会ってみれば、幼いクリスティアンの賢さを認めてくれて、優しく礼儀正しく接してくれて、すぐに慕ったのだが、兄弟仲を邪魔をしているのは、周囲の対応。本人たちに確執はないのに、エドヴァルドはクリスティアンを恨んでいるとか、クリスティアンはエドヴァルドを無能と思っているとか、勝手なことをお互いに吹き込んでくる。

 面倒になって、飛び級して幼年学校を出た10歳の頃から、クリスティアンは式典があるときなど以外はほとんどテンロウ領にも戻らず、王都の別邸で使用人に囲まれて暮らしていた。

 クリスティアンが産まれた時期に、テンロウ領の領主を誘惑しようとした女魔術師がいた。解雇されてもう会うことのできない乳母を訪ねて行った先で、どちらの乳母も毒を入れたりなどしていないこと、エドヴァルドの乳母もクリスティアンを憎んではいなかったこと、そして、その時期に父親である領主にしつこく迫っていた女魔術師がいたことなどを聞いた。それから、首謀者はその人物ではないかとクリスティアンは考えている。

 真実を突き止めようにも、その女魔術師がセイリュウ領の訛りで喋っていたことくらいしか情報はなく、足取りは掴めていなかった。

 誘惑に乗らなかった父親は、母親を愛していたのか分からないが、母親は浮気を疑って、クリスティアンを屋敷の離れの部屋に閉じ込めて、自分一人で育てようと必死になった。父親すら近付けずに。

 こんな状況にした首謀者をいつか突き止めたい。

 19歳になって、魔術学校の研究過程で勉強するクリスティアンには、成し遂げたいことがあった。

 休みの日には軽装で王都を歩き回って、情報を集めるのは、もはや趣味になっている。貴族の子息だろうとは思われているが、まさかテンロウ領の後継者で、女王の従弟という身分はばれていないであろうクリスティアンに、金目当てに情報を売りに来るものは少なくなかった。

 性病の危険があるので、身分のはっきりしていない女性とは付き合ってはいけない。耳にタコができるほど言い聞かされているし、母親や従姉の双子を見ているので、女性というものにそれほど興味のないクリスティアンが、歓楽街を歩くのも、情報のためでしかない。

 貧しい子どもたちが寄ってきて、「あの家の旦那は浮気してる」とか、「あの家のメイドは向こうの家に移りたがってる」とかいう情報も、どこに繋がっているのか分からないので、小銭を払って聞いていると、よくクリスティアンの元に小銭を貰いに来る、煙突掃除の煤けた少女が、大声を上げて走って来た。


「わかだんなさん、ひとがたおれてるよ!」

「生きているのかい? 死んでいるのかい?」

「きれいなみなりの、おじょうさんで、いきてるよ」


 真昼間とはいえ、こんな場所に目立つ綺麗な格好の女性が倒れていれば、気にもなる。魔女騒動のせいで王都は荒れていて、歓楽街は決して治安がいいとはいえないのだ。

 少女に導かれて行ってみると、傘を持って帽子まで被った貴族の若い女性が倒れていた。これが薄汚れた酔っ払った女性や、痩せた男性ならば、よくあることなのだが、どうやらそういうことではないようだ。

 助け起こして近くの医者を少女に教えてもらう。

 真っ青な顔で座り込んで立てない女性を抱き上げると、足元に血が滴っていた。


「怪我をしているのか……これは大変な事件に行きあったな」


 運び込んだ医者は、歓楽街で働く女性たちを主にみるという女性の医者で、まだ年若く、薄茶色の髪を纏めて、男性のようにパンツ姿で白衣を着ていた。

 診察室から出されて、少女には小銭を渡して帰していると、医者が出て来る。


「血が出ていたが、大丈夫だったのかい?」

「血は、月のものですよ」

「月のもの……あぁ、女性が月に一度血を流すというあれか。なんだ、生理現象じゃないか」


 事件でもなんでもなかった、つまらない、大げさな。

 そんなことを口にした瞬間、廊下の温度が下がった気がした。琥珀のように淡い色の目の医者が、呆れ顔でクリスティアンを見上げて来る。


「失礼ながら、お年は?」

「19だが……」

「結婚は?」

「してないよ」


 詰問される理由が分からなくて首を捻るクリスティアンに、静かに医者は怒りを湛えた瞳を向けた。


「奥様にそんなことを言う前で本当に良かったわね。月のものというのは、ただ血が出るだけじゃないのよ?」

「血を排泄するだけじゃないのかい? 僕の従姉は、月のものなんてないように、一日も欠かさず軍の訓練に出かけていたけれど……」

「そういう軽いひとがいるのは否定しません。けれど、出産をするためにお腹の中に準備した赤ちゃんのベッドが、妊娠しなければ、毎月はがれて落ちるのよ。出血は軽いひとは少ないけれど、多いひとはオムツを付けても漏れてしまいそうなくらいだし」


 女性の身体については、知ってはいけないこととして、誰も語ってくれない。大事なことに違いないはずなのに、誰も教えてくれなかったから、クリスティアンはローズと大陸に渡ったときに、彼女が妊娠していることに気付けなかった。


「全然知らなかった……無知で本当に済まない。診察室の彼女は酷い方なのか?」

「毎月大量に出血するみたいで、貧血が酷く出てるわ。毎月血を抜かれたら、あなただって、平気ではないでしょう?」

「それはもちろんだ。そんなこと、誰も教えてくれない。君……じゃない、あなたは教えてくれるかい?」

「……真面目に聞く気があるのならば。あなただって、いつかは結婚して奥方を持つでしょう。そうなれば、気遣わなければいけない立場になるわ。月のものが来なければ、妊娠もしないのだから」

「月のものは、赤ん坊を作るのに、そんなに大事なことなのか?」

「あぁ、そこからなのね……」


 診察室の中で女性が休んでいる間に、クリスティアンは医者の彼女を質問責めにしてしまう。

 月のものの前にイライラしたり、体調を崩したりするものがいること。月のものは妊娠するために不可欠で、ただのいらない血の排出ではないということ。痛みや吐き気を伴ったり、血を失うので貧血になったりすること。


「し、知らなかった……子どもを産むのは命がけだと、従姉が産まれたときに母親を亡くしているので知っていたが、その準備から、女性は毎月行っているのか」

「そうよ。毎月作った赤ちゃんのための血のベッドを、体の中で壊して、ばらばらにして、内臓を引き絞って出しているのを想像できる?」

「恐ろしい……なぜ、そんな苦しい思いをしているときに、何事もないように女性は振舞っているんだ」

「そうじゃないと、認められないからよ」


 女性だから力仕事では賃金が少なくなるし、月のもののたびに休んでいれば給料も減ってしまう。


「それに、出産やそれに伴う血なまぐさいことが、男性って苦手だから、隠しておくことが美徳だとされているのよ」

「僕はそんな努力の末に生まれたんだったら、もっと早くに知っておきたかった」


 乳児期に離乳食に毒を入れられて、母親がクリスティアンに対して異様に神経質になったのも、これだけの努力を経てようやく子どもを授かり、命を懸けて産み、育てるのだから、仕方がなかったのかもしれない。


「あなた、毒を盛られたの?」

「幸い、僕の嫌いなパン粥に入っていて、吐き出して食べなかったから、体調も崩さなかったんだけれど」

「お母様は心配だったでしょうね」

「そうだろうね……」


 母親という生き物が、子どもに構い過ぎて鬱陶しいとクリスティアンは思わずにいられなかったが、話を聞いていると、それだけ苦しい思いをして産んだ子どもならば、死なないように大事にしたくなる気持ちというのも、分からなくない気がしてきた。


「母に……会いに行ってみようかな」


 王都にクリスティアンが行ってしまってから、母親は心を閉ざしてテンロウ領の田舎の方に引きこもってしまっている。式典や、エドヴァルドが戻ったときなどは屋敷に顔を出しているようだが、そのときもクリスティアンはほとんど口をきいていなかった。


「まぁ、親孝行をするのは悪いことじゃないと思うわよ。私にはもうできないし」

「ご両親は?」

「父は早くに亡くなったの。母は医者で、この診療所を女性のために開いたけれど、私が学校を卒業した年に、馬車に轢かれて亡くなったわ」

「馬車に……」

「貴族が乗っていたらしいけれど、真相は分からずじまい」


 話をしていると、診察室から顔色の悪い女性がよろよろと出て来る。

 もっと詳しいことを聞きたかったが、クリスティアンは倒れた彼女にもまた、興味があって話を一度打ち切った。

 廊下に出てきた身なりのいい女性に、駆け寄った医者が肩を貸すと、震える唇で彼女は告げた。


「乳母の娘が、売られてしまったの……この近くの店だと聞いているのだけれど……」

「そんな体で動いてはいけない」

「こんなの、なんてことないわ。姉妹のように育ったのよ。まだ初潮もきたばかりなのに……」


 体調が悪くても、月のもので苦しんでいても、彼女にはここに来る理由があった。姉妹のようにして育った乳母の娘が、身体を売る前に助け出さねばならない。

 昼間の歓楽街にうら若き貴族の女性がやってきた理由としては、充分だった。


「買い戻すお金はあるのかい?」

「うちの両親はケチで、使用人の給料も出し惜しみするくらいで……私が身に着けているものを売ろうと思ったのだけれど、どうすればいいか分からなくて」


 手間取っている間に、助けたい娘に買い手が付くかもしれないと考えると、いてもたってもいられなくて、装飾品をありったけ持って出てきたのだという。

 その割りには、彼女はバッグの一つも持っていない。


「私が倒れていた側に、箱の入ったバッグが落ちていなかったかしら?」

「見ていないね」

「……どうしましょう? 盗られてしまったの!?」


 悲痛な女性の泣き声が廊下に響き渡った。

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