5.傾国(物理)の女王、ローズ
帝都に入り込んだリュリュは、身に付けているものはそのままに金糸雀になると、王宮の結界をすり抜けて敷地内に入り込んだ。呪いをかけられて以来、魔術で自由に金糸雀の姿になれるようになったのは、不幸中の幸いだった。
魔術師不足で、父は異国から来た魔術師の系統だがその才能が現れなかったもので、母がこの国の生まれだとリュリュは聞かされていた。両親を助けたければ年も分からぬ女帝の閨で侍るしかない。選択を突き付けられたときには、絶望のあまり目の前が真っ暗になった。記憶もない両親だが、魔術師として生まれたリュリュが酷い女帝の元に召し上げられるのを避けようと、連れて逃げてくれた二人。何不自由なく育てられたが、魔術師を育て上げるためだけの機関で、愛情も何も受け取ったことのないリュリュは、「お前は罪人の息子なのだ」と幾度となく語られる両親を、慕わしく思わない日はなかった。
助けられるならば助けたい。
その思いはあったが、ローズと結婚して女王の伴侶として、生まれた子ども一国を背負う立場になるかもしれないとなっては、他国に干渉することが好ましくないことくらい、政治に疎いリュリュにでも理解できた。自分の立場をわきまえなければいけないと分かっていたのに、リュリュがローズに両親のことを話してしまったのが、全ての発端なのだ。
責任を取らなければいけない。
身重のローズを無事に国に帰せなければ、リュリュも生きては帰らないつもりだった。
「お近くにいらっしゃる気配はするのですが……」
金糸雀の姿になっても身に着けていることには変わりない対になった短剣は、ローズの気配を近くに感じさせる。力の弱い魔術師でも力を振るえるように、また女帝にかけられた魔術が解けないようにと、強い魔術の香が焚かれていて、それが霞をかけたようにローズの気配を分かりづらくさせている。
「お一人で無理をなさっていないと良いのですが……ローズ様、どこですか? あなたのリュリュが参りましたよ……」
この姿でもローズならば一目見れば気付いてくれる。そう信じて王宮の奥へ奥へと進んでいくリュリュは、一際魔術の香が強い場所に気付いた。閉じられた扉の向こうからでも、漏れ出て来る香りで咽そうになる。
幾度か連れて来られて、歌を所望された覚えのあるリュリュは、その部屋がどこなのか分かっていた。金糸雀の姿ではドアノブは握れず、扉は開けられないが、部屋の中にローズがいるかもしれないと考えると、気が気ではなくなる。
ひとの姿に戻ってドアノブを握ったリュリュの後方から、声がかけられた。
「てっきり、どこかで野垂れ死んだかと思っていたのに、存外しぶとかったようだな」
「僕に近付くな!」
3年前、リュリュを金糸雀に変えて、魔術のかかった檻に閉じ込めて売り払った宮廷楽師は、希少な魔術師としてまだこの王宮に仕えていたようだ。短剣を引き抜くと、自然と腰を落として身体が構えを取る。
「今更何をしに帰って来た? 女帝様がもう一度貴様に興味を持つとでも思ったのか?」
「女帝になど興味はない! 僕は僕の大切な方を迎えに来ただけだ!」
「大切な方? 貴様の両親なら、貴様が消えてから、決して逃げ出すことのできない強制労働所に送られたぞ。今頃、飢え乾いて死んでいるかもな」
ぎりっと奥歯を噛み締めたリュリュの身体が跳躍するよりも前に、その胴が後ろから抱き締められた。包まれる甘い香りと柔らかな感触に、リュリュは黒い目をそちらに向ける。
しっかりとリュリュの胴を抱き締めて、俵のように大事に小脇に抱いたのは、愛しいローズだった。
「愛しいリュリュ、そなたの手を汚す価値もない相手だ」
「ローズ様……!?」
「詳しい話は後で良いか? 貴様も来い!」
優しく柔らかくリュリュを抱くのとは全く違う、乱暴な手つきで宮廷楽師の髪を引っ張って、引き抜かん勢いで引きずりながら、ローズが女帝の部屋に入る。透ける天蓋で隠された大きなベッドの上では、数名の年若い魔術師たちが女帝、イレーヌに侍っているようだった。
「『妙薬』を持ってきたものとは、お前か? 幾ら欲しいのだ?」
「貴様の首を狩ってやろうかと思ったが、呪われた生は精々生き抜くがいい。代わりに、その帝位から引きずり降ろしてやろう」
「愚かな。警備兵、魔術師たちよ、かかれ!」
濃厚な香で増幅された魔術師の魔術が、ローズに向かって編み上げられていくのが感じられて、庇おうとリュリュがローズの胴にしがみ付くと、高笑いしながらローズはそっとリュリュを引き剥がして、短剣を引き抜いた。
「危ないです! ローズ様、無理な運動は……」
「心配するな、リュリュ。私には魔術は効かない」
魔術具が砕けるより先に、ローズの発動した魔術が彼女を入念に守る。それに加えて、クリスティアンがかけておいてくれた結界の魔術も発動して、逆に跳ね返された魔術で、魔術師と警備兵たちが弾け飛んで、部屋の隅に積み上がった。
命までは奪っていないだろうが、動けなくなった彼らに、ローズは一瞥もせず、片手で宮廷楽師の髪を引っ張り、もう片方の手で短剣を握ったまま、イレーヌのベッドの天蓋をむしり取り、その首筋に短剣を突き付けた。
「もう終わりか?」
「終わりなどない。私に終わりなどない!」
ヒステリックな叫び声に、次々と王宮中の警備兵と魔術師がやってくる。
片手で宮廷楽師をイレーヌに投げつけてぶつけ、ローズはリュリュを庇いながら短剣を構えた。切りかかって来る警備兵に、リュリュも短剣を抜くが、刃がリュリュの元に届く前に、ローズが蹴りと長い腕を使った短剣さばきで遠ざけてしまう。
魔術師の魔術もリュリュのために払っているが、一人ならば体質的に効かないので、魔術を編む必要すらなかっただろう。
「貴様の大嫌いな『獣人』の軍勢が帝都に来ているぞ!」
「ど、どういうことですか、ローズ様?」
涙目でローズを見上げて来るリュリュに、白い手袋を付けた手で愛おしそうにそのまだあどけなさの残る頬を撫でて、ローズが微笑む。
「あの肥えた豚を帝位から引きずり降ろして、『獣人』の皇帝を立てるのだ」
「豚って、そういう……ローズ様! なんで、そんなこと!」
アイゼン王国も女王が立ったばかりで、国内は落ち着いていない。そんな時期に他国に攻め入って、皇帝の首を挿げ替えるようなことをする女王がどこにいるのだろう。
あまりのことに眩暈のしてきたリュリュに、ローズは「何がいけないのだ?」と悪びれる様子もない。あまりのことに涙が出てきて、リュリュはローズに詰め寄っていた。
「ご自分の立場を、ふぇ……ひっく……考えて……ローズ様のお腹には、あ、あ、ふぇ……赤ちゃんが」
「赤子? 私の腹に赤子が?」
「食欲がないのは、悪阻だったわけだ! わお! それはさすがに女性には詳しくないから、僕でも分からなかった」
緊迫した空気を完全に木っ端みじんにする勢いで、跳ね飛ばされたり、蹴り飛ばされたりして倒れている警備兵と魔術師を乗り越えて、クリスティアンが顔を出す。完全に平和ボケしたその表情を見て、リュリュは堰を切ったかのように大声で泣き出してしまった。
「クリスティアン様も! 分かっていたなら! どうして! ローズ様が! こんなところに来る前に!」
「だから、気付いてなかったんだってば。ごめんねー」
「妊娠のことではなくて、ローズ様がイレーヌ王国に来ようとしていたことです!」
号泣しながら全く悪いと思っていない風情のクリスティアンに詰め寄るリュリュの髪を掠めて、一閃の光が通ったのは、そのときだった。寸前でクリスティアンが魔術で盾を編んで、刺し貫く光の矢を弾く。
「私が魔術師だということを忘れたわけではなかろう?」
あられもない下着姿でベッドの上から降りてくるイレーヌは、褐色の肌に艶やかな黒髪の若々しい美女に見えた。しかし、その表情は憎悪に歪んでいる。
彼女と宮廷楽師の攻撃は、完全にリュリュを目標としていた。
「私はリュリュと大事な話をしているのだ、邪魔をすればどうなるか、教えねばならないようだな」
大事なリュリュに手を出すこと。
それがローズの逆鱗に触れることだと、激高したイレーヌも宮廷楽師も、気付いてはいなかった。
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