4.族長の決意
イレーヌ王国の治世が90年を超えるに至るまで、不老長寿のためにイレーヌ女帝はなんでもしているという。
魔術師は魔術で計り知れない能力を持ち、美容や健康の魔術を使って薬草もふんだんに使えば、ある程度老いが遅くなる。地位のある魔術師はその程度のことはしているが、手を出してはならない未知の領域がある。
生命の理から外れる、不死の魔術だ。
生きた時間が長くなればなるほど、外側は取り繕えても、中身までがいつまでも若々しく瑞々しくいられるはずがない。不死の魔術で得た時間は、既に終わった命を無理やりに繋いだ歪なもので、それを行った時点で既に人間としての尊厳を全て手放したも同然だった。
「不老長寿のために幼子の心臓が必要だと言われれば、国中の親のない幼子を集め、『獣人』の羽が必要だと言われれば、差し出させる……長寿ではなく、イレーヌ女帝が求めているのは『不老不死』なのだ」
「その翼も?」
「我が子たちの翼を差し出せと言われたが、断ったら、兵士に切り取られた」
片翼しかない族長の言葉に、ローズは眉を顰める。関わるなと可愛いリュリュが両親の命を諦めてもローズに懇願したように、この国は相当おかしくなっているようだった。
「私はこの国の少年と結婚している。愛しい伴侶を虐げた国と女帝を許したくはない」
「利害は一致しているということだね」
天幕の入口を捲って、爽やかに現れた人物に、ローズは白い手袋を付けた手で反射的に剣を抜きかけた。ひょろりとした長身でブルネットの癖毛に青い目、白い肌の青年は、ローズの良く知っている相手だった。
「クリスティアン、なぜここに?」
「僕の従姉殿は愛する伴侶のために、いずれこの国にくるだろうと思って、『張って』いたのさ」
数百年に一度、未来視ができる能力を持つ『先見』の魔術師が生まれるというが、前国王の異母兄の息子で、テンロウ領の次期後継者とされているクリスティアンは、その能力を持っているのではないかと噂されていた。
本人曰く「観察が足りないだけさ。観察していれば分かることだよ」らしいが。
結界の魔術を得意とするクリスティアンは、ローズが気付かないほど緻密に編み上げた結界の魔術をかけていたのだろう。国を出れば国を守る結界とぶつかって、クリスティアンの編んだ結界が反応して、ローズの動きが分かるようにしていたのだ。
「あなたも、異国から来られたのか?」
「呼ばれてないけど、来ちゃった。一人で、『獣人』を終結させるのと、王宮に攻め入るのは、難しいでしょう?」
「……ダリアに知らせたか?」
「まさか。そんなことしたら、自由に動けなくなっちゃう」
どこまでもクリスティアンの物言いが軽いのは、それだけ彼に自信があるからともいえる。結界と防御の魔術を得意とするクリスティアンを傷付けられるような魔術師が、魔術師不足に苦しむイレーヌ王国にいるとは考えられなかった。
「どうやら、冷やかしではないようだな。今夜は泊まっていかれるといい。我らの中でも意見を固めねばならない」
天幕を貸してくれて族長は、他の獣人を呼びに外に出た。笛のように高い音が鳴り響き、天幕の外にひとの集まる気配がする。
迫害されて実りの少ない土地に追いやられ、稼ぎを求める若者は奴隷のように『飼われて』いる現状。皇帝になってから最初の頃は賢帝と呼ばれていたイレーヌ女帝がいつ頃から『獣人』を冷遇し始めたのか分からないが、治世が既に90年を超すというのだから、その歴史は浅くはなさそうだ。
失敗すれば更に迫害されることを分かっていて、軽率に返事ができようはずもない。
マントを敷布代わりにして寝る支度をしながら考えていると、クリスティアンと目が合う。青い目はエドヴァルドと同じ色で、彼らが兄弟だというのがよく分かる。
「リュリュ様は泣いておられるんじゃないかなぁ」
「できれば今日中に豚どもの首を取って帰りたかったが、そうもいかぬようだ」
「女王様が男と同じ屋根の下で寝て、僕、帰ってリュリュ様に嫉妬されない?」
「私がお前になにかされるような間抜けだとリュリュも思うまい。何より、賢いお前が自分の立場を危うくするようなことはすまい」
馬鹿らしいとさっさとマントに包まって横になったローズに、しつこくクリスティアンは話しかけてくる。従姉弟同士で、10歳でクリスティアンが幼年学校を出て魔術学校に通うために王都の王宮のすぐそばのテンロウ領主の別邸に住むようになってから、ローズとクリスティアンはそれなりに親しくはしていた。
『先見』の能力を持っているのではないかと言われるほどの観察眼を持つクリスティアンは、ローズが女王になった暁には必ず腹心として役に立つとの算段があったのは否めない。
「ローズは女帝と宮廷楽師の首を狩れば満足かもしれないけど、その後が大変だよ? アイゼン王国が皇帝の代替わりに関わっちゃったって、国際問題じゃない?」
「そういう面倒なことは、後で考える」
「どうして、そう、脳みそまで筋肉でできてるのかなぁ」
自分と従姉弟同士で同じ血が流れているはずだし、政略を考えるダリアとは双子で更に血が近いはずなのに、ローズは全てを暴力で解決してしまおうとしていた。
「まぁ、次の皇帝のことを考えられただけでも、ローズにしては及第点なのかな」
「私を考えなしの勢いしかないように言うな」
「その通りだろう」
断言されてしまって、この話は終わりだとでもいうようにローズはマントを被って目を閉じた。
「お腹空かない?」
「別に……もう寝ろ」
「何か持ってない?」
「煩い」
幼い頃から「あれはなに?」「これはなに?」「これはどうなっているの?」「これのげんりは?」とお喋りなクリスティアンに、ローズは辟易していた。昼もほとんど食べなかったのに、食欲もないのも気にかかる。
「こういうときに、リュリュならば歌ってくれたであろうに」
長身のローズよりも小柄で愛らしいリュリュの歌声を思い浮かべて、ローズは眠りに落ちた。
夜を徹して『獣人』たちの話し合いは行われたようだった。遠くからも集まってきたようで、朝になって天幕を出れば、様々な動物の特徴を持つ『獣人』たちが天幕を囲んでいる。
「お客人、ヤギの乳で煮だした茶くらいしか出せぬが」
「ありがたくいただこう」
「良かった、お腹空いてたんだよ。遊牧民族はミルクでたんぱく質を、お茶でビタミンを取るって言われてるよね。ある意味完全食だ」
喜んで受け取るクリスティアンとローズは、癖のあるヤギの乳のミルクティーをありがたく飲ませてもらった。飲んでいる間に、族長が説明をしてくれる。
「搾取され続けて、辺境に追いやられ、このままでは我らは滅ぶだろう。それを運命と受け入れるには、帝都で飼われる者たちが不憫すぎる。賭けに失敗すればそれこそ我らは反逆者として処刑されるだろうが、それと今の状況の何が違うのか」
「では、皇帝になる決意をしたと思っていいな?」
「だからって、復讐はいけないからね? 人間と『獣人』が平等に暮らせる国を、だよ?」
「全ての一族を集めて、帝都に向かおう」
心を決めた族長に、ローズも満足そうに頷く。
「幼子の心臓に、獣人の羽……それ以外にも、何でもやっていそうだな」
「超えちゃいけない領域を超えた時点で、もう彼女は人間じゃない」
「クリスティアン、彼らと共に行動してくれ。準備が整えば、合図をするので、帝都の王宮へ一気に攻め入るのだ」
「はいはい、人遣いの荒い女王様だねぇ」
『獣人』は魔術が使えないし、移転の魔術専門ではないローズもクリスティアンも、『獣人』の軍勢を帝都まで一気に飛ばすことはできない。彼らには徒歩で帝都まで行ってもらって、ローズは先に移転の魔術で帝都に入った。
『飼われて』いる『獣人』たちも、同族が到着すれば動き出すに違いない。
「王宮の警備も隙だらけ……とも、限らないな」
結界は帝都の外側に張り巡らされているものよりも若干緻密になっているが、ローズが破れないほどではなかった。繊細な魔術を解くのが面倒で、破ってしまえば、当然、警備の兵士に気付かれる。
「侵入者だ!」
「捕えろ!」
集まってくる兵士たちに囲まれて、ローズは妖艶な笑みを浮かべて首を傾げた。
「イレーヌ女帝が、魔術師の士官を求めていると聞いたのだが?」
「女帝様が?」
「魔術師を……?」
「例の『妙薬』のことでお話があるとお伝えすれば、お分かりいただけると思う」
『妙薬』の響きに、兵士たちがざわめく。
国の内外問わず、イレーヌ女帝が『不死』を求めていることは知れ渡っていた。一度歪めてしまった生命は、中毒のように魔術薬を注ぎ続けなければ、繋ぎ留められない。魔術薬も一度で効果のなくなるものも少なくはないので、イレーヌ女帝が生きるために必死に足掻いているのが、ローズには見て取れるようだった。
「不審な動きをすれば、女帝様の魔術師がお前の命など簡単に奪ってしまうのだからな」
「武器を全てこちらに置いて行け」
「では、置いて行こう」
両手を掲げて見せるローズの腰には、幅広の剣とレンの作った魔術のかかった短剣の二本が下がっているが、幻術にかけられた兵士には、レンの作った短剣は見えていない。
幅広の剣だけ渡して、ローズは王宮の廊下を歩き始めた。
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