1.死なぬ女帝の帝国
リュリュが生まれたのは、大陸の砂漠地帯が多く、魔術師の血統が少なく、南部には獣の特徴を持つ、『獣人』と呼ばれる種族もいる国だった。魔術師と結婚したとしても、決して魔術の才能の出ない『獣人』はその国では軽んじられ、希少な魔術師だけが高貴な血を引いているとされていた。
国の名はイレーヌ帝国。そこの女帝がイレーヌという名前だったので変えられた国の以前の名前は、誰も口に出すことは許されない。力の強い魔術師だったイレーヌは、即位した頃には賢帝だったとの記録もあるが、年を経るに従って、自分が老いること、死ぬことが恐ろしくなった。
「国が荒れるのは、皇帝が代替わりをするからです。代替わりのしない永遠の皇帝がいれば、国は安定するのです」
その考えの元で、イレーヌは自分が死なないように、老いないようにと国の魔術師をかき集めて研究をさせた。いつ頃からか、魔術の才能がある子どもが生まれれば、身分に関係なく王宮に召し上げれて、イレーヌの望む研究をさせるためや、イレーヌを守るためや楽しませるためにだけの魔術師を育成する機関が、王宮の中にできた。
リュリュが生まれた頃には、イレーヌの治世は既に80年を超えていた。ひととしての領域を踏み外した彼女は、若々しく美しいままで、大勢の愛人を侍らせて、贅沢の限りを尽くしていた。初めは国民のために政治を行っていたはずなのに、女帝として過ごした日々が、彼女を完全に歪めてしまった。
「僕の父と母は、僕をそんな女帝の元には渡したくなかったようなのです」
「そなたの話が聞きたい」とローズに請われて、リュリュは生まれ育ったイレーヌ帝国の話を寝物語に口にした。
愛しい我が子に魔術師の才能があると判明したとき、リュリュの両親は生まれたばかりのリュリュを連れて、異国に逃げ出そうとした。二人には魔術の才能がなかったし、移転の魔術師に頼めば逃げ出したことが発覚してしまうので、目立たぬように馬車を飛ばしている最中に、追手がかかって、リュリュと両親は捕まってしまう。
「父と母は投獄されて、僕は王宮の魔術師を育てる機関で育てられました。父と母のことは、女帝に逆らった罪人だと教えられていたので、立派な魔術師になって、両親を開放しなければと必死でした」
「それで、歌を練習したのかい?」
「はい。僕には解呪の能力があると言われていたので、その才能を伸ばすべく、努力したのですが……」
美しい歌声は評判になって、リュリュは11歳になってすぐから、イレーヌの褥で彼女が天蓋付きのベッドの中で、複数の愛人と睦み合うのを見せつけられながら、歌うように命じられた。見たくもなかったので必死に歌にだけ集中して、歌っていると、リュリュはイレーヌに気に入られたようだった。
「可愛い小鳥、そなたに褒美をやろう。何が欲しい? 美しい衣装か? 宝石か?」
「両親を……投獄されている両親を、開放してください」
「……罪人を恩情で開放すると国が荒れる。だが、どうしても、それが欲しいのならば、分かるな?」
12歳になって直ぐで、まだ精通も来ていないリュリュは、女帝に食い散らされるくらいならば命を絶とうと考えていた。逃げ出すことも過ったが、両親が殺されてしまうかもしれないし、捕えられればリュリュ自身も無事では済まないだろう。
死を決意した少年の元にやってきたのは、宮廷楽師の魔術師だった。彼は以前イレーヌの寵愛を受けていたが、リュリュが歌うようになってからお呼びがかからなくなったのだという。
「お前を金糸雀にして逃がしてやるよ」
「僕が逃げたら、両親がどうなるか分かりません」
「煩いな、お前は邪魔なんだよ!」
赤銅色の金糸雀に変えられて、魔術のかかった鳥かごに入れられて、リュリュは『解呪の歌の歌える金糸雀』として売られてしまった。歌えば命を削るし、自分が人間であることを伝えるには、魔術のかかった鳥かごから満月の晩に出なければいけないのだが、『解呪の歌を歌える金糸雀』などという希少な生き物を外に出す愚か者がいるはずがなかった。
「生まれながらに王宮に囚われて、次は鳥かごの中で、僕は一生檻に囚われて、自由など知らぬままに死ぬのだと思っていました」
「リュリュ……」
「初めてだったんです、僕を鳥かごから出してくださったのは」
籠にかけられた留め具を外して、ローズの白い手袋を付けた指に留まって、初めてリュリュは自由を得た。金糸雀にされる呪いは解けていないが、そこからどこにでも飛んでいける自由が、広がっていた。
「逃げないでくれるか?」
優しい問いかけも、かけられたことのなかったもの。
逃げるか逃げないか、選択肢をローズはリュリュに与えてくれた。
「あのとき、この方が好きだと思いました」
逃げるかもしれないと心配する案内人に、ローズは「それならば、正しい方法ではなかったというだけだ」と穏やかに告げた。逃げてもリュリュを恨まないどころか、信頼して語り掛けてくれるローズに、リュリュは恋に落ちた。
「私は生まれたときに母を亡くし、父にも顧みられなかった。このまま放浪してどこかに行ってしまっても、きっと私は図太く生き延びられる。だが、私には守らなければいけない、愛する妹がいるのだ」
話してくれたローズに、残り一度くらいしか歌う生命力は残っていなかったが、初めて自分に自由をくれて、信頼してくれたこの方を助けるために、その命を棄てる覚悟ができた。
「口付けで呪いが解けるけれど、信頼が必要だとローズ様は仰っていました。あのときにはもう、僕はローズ様に惚れていたのです」
「なんと可愛いことを言ってくれる」
「どうか、ローズ様、あの国には関わらないでくださいませ。僕にとっては、ローズ様が一番大事な方です。傷付くところは見たくありません」
「……外交問題は、得意ではないしな」
島国であるアイゼン王国は、魔術師が多いことと、大陸から海で隔たれているので、それで守られているところがある。魔術師の数の少ないイレーヌ帝国からすれば、魔術師の血統を奪いたくてたまらないのだろうが、攻め入ることは荒れる海が困難にしていた。
「『獣人』は普通のひとよりも力が強く、様々な能力を持っていると言われるが」
「女帝は『獣人』がお好きではないのです……冷遇されていると聞いていました」
帝都で『獣人』を見たことはない。特に王宮にほとんど閉じ込められていたリュリュは、『獣人』が獣の特徴と能力を持つことは知っていても、実際に会ったことはなかった。
「人口の3割が『獣人』と聞いたが、その能力を活かせていないとは、無能な女帝だな」
「あの国のことは、思い出すと気が滅入ります。もっと違うお話を……そうです、僕、お料理を習い始めたんですよ」
「厨房に顔を出していると思ったら、そんなことをしていたのか?」
「最近、ローズ様が食欲がないと仰るので、食べやすいものが作れたらと」
体が強く、体力がある上に、軍で鍛えてもいたローズは、病気らしい病気をしたこともなく、ひとが羨むほどの健康体だった。大陸に渡って解呪の方法を探していたときにも、砂漠に慣れた案内人よりも体力があって、ローズは平気で気候の変化にも体調は崩さなかった。
それが食欲がないとは、リュリュが心配になっても仕方がない。
「女王になってから、制定することが多くて、会議会議で座ってばかりいたから、運動不足なのだろう」
「久しぶりに軍の訓練に加わりますか?」
「そうだな……狩りにでも出かけるかな」
ベッドで布団をかけ直しながら、ローズがリュリュの髪を撫でてそのほの赤い唇に口付けをする。ぽっと白い頬を赤らめて、リュリュがローズに抱き付いた。
「何か美味しいものを狩って来るのですね。なんでしょう……鹿ですか? 鳥ですか?」
「そうだな……豚かな」
「豚!?」
「リュリュのために、良く肥えた豚を狩って来よう」
そうすれば食欲も戻るかもしれないと笑うローズに、リュリュは真剣な顔で「豚の捌き方と調理方法を習っておきます」と拳を握る。
抱き締め合って、ローズのために歌を歌って眠るのは、リュリュの安寧のひとときだった。
「僕は自由で、僕の大好きなローズ様やダリア様のために喜んで歌いますが、強制されてはもう二度と歌いません」
「私のために歌っておくれ、可愛い私のリュリュ」
「愛しています、ローズ様。ローズ様が僕を愛してくれて、結婚出来て、本当に幸せです」
「可愛いことを言う」
誰よりも愛しい小鳥のようなリュリュ。
彼を苦しめた、権力を食らう豚のような女帝と、呪いをかけた宮廷楽師の首を取れば、食欲も戻る。
そんな物騒なことをローズが考えているとは、リュリュは知りもしないのだった。
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