第1章 第5話 『ゴムル試運転』
20190726公開
「ディー坊ッ… あー、ディアーク・ダ・カシワール、動かしてみろ」
ティオ・ダン・ジオ副将が思わず、いつもと同じ呼び掛けをしそうになって、慌てて言い直した。
彼とは回数を覚えきれない程、昔から何度も顔を合わせて来た。
領軍の仕事で忙しい中、時間が有る時には俺たち兄弟が5歳になる前から家庭教師として我が家に来ていたからな。
そういえば彼の長女のルイーサ・ナ・ジオことルイルイ(山中士長命名)も一緒に授業を受けた事が有るな。
多分、彼にとって俺たち4人兄弟は自慢の教え子だと思う。本当に優等生だからな。4人とも自衛隊で教育を受けて、実際に経験を積んでいたのだから当然だ。
例えば、誰が、5歳の子供たちが普段の装備品の整備業務や資材の補給業務の重要性に理解を示すと考えられる? あまつさえ、領軍のその分野の改善点を提案するなど、やり過ぎたきらいが無いでは無い。
強いて言うなら、俺たち4人とも幹部自衛官が受ける様な指揮系統に携わる高度な教育を受けていなかった事が弱点と言えば弱点だったが、その辺りはジオ副将が自身の経験を踏まえて教えてくれた。
召喚した時から気付いていたが、意識の中に小さな領域が存在している。
例え難いが、全方向360度の認識領域の中に30度ほどの小さな別枠が有るという感じだ。
その小さな別枠を大きくすればする程、ゴムル操縦に意識を割く事になる。
試しに180度ずつの2等分に分割してみた。
おお、10歳の子供の低い視線と16式機動戦闘車量の車長席から身を乗り出した時くらいの高さの視線が同時に見える。
確かにこれは慣れない内は平衡感覚ではないけど、身体と意識のリンクがおかしくなりそうだ。
おっと、お互いに目が合ってしまった・・・
自分の身体で視線を変える場合は瞳を動かしたり身体を動かしたりするが、ゴムルの視線の変更は意識を向ける感じだ。敢えて言うなら、機動する戦士を操縦する感じと言える。後ろを振り返る事なく、意識するだけで見えるのはきもいが。
この部分は16式機動戦闘車の光学系サイトとも違うので、慣れが必要だろう。
また、索敵能力と言う点では、可視光センサーに加えて赤外線センサーも搭載されているキドセンの方が高性能と言える。脅威判定までしてくれるしな。
かといって、ゴムルの光学系サイトが全くの役立たずかと言えば、それは違う。
なんといっても解像度がかなり優秀だ。裸眼視力2.0の俺の肉眼で見るよりも細かい部分まで認識出来る。16式機動戦闘車に搭載されているカメラはハイビジョン級だから、その点に関してはゴムルの光学系が圧勝だ。
慣れが必要だが、慣れれば十分に役に立つ筈だ。
試しに自分自身の目を瞑ってみた。視覚は暗くなったが陽光が瞼越しに感じられる。音もにおいも今まで通り感じられる。高い視点からは視覚の他に音を捉えている事が分かった。
においは無理そうだ。嗅覚が使えない事は地味に不便になるかもしれない。
今後、火薬が登場した時や周囲の異常(例えば火事や火責めなど)を知覚するのに使えないからだ。
触覚は弱いながらも感じられた。布の感触も分かるし、頭に被った兜の重さを、頭に分配される様に中に張り巡らされているインナー越しに感じられる。
胴丸鎧を装着する為に肩に掛かる重量も感じるし、腰で重量を支える様に絞られている事が分かる。肩から上腕を守る大袖は予想と同じくらいの重さを感じるな。
総体的に重い。確かオリジナルの大鎧の重さは25㌔くらい有った筈だ。2倍の大きさになったという事は2の3乗で8倍になるから200㌔か!? 日本に居た頃の俺の体重の3倍か・・・
さて、話は変わるが、人間は普通にしていればなんとか水に浮く。
という事は人体の比重は、水の比重より少し小さい訳だ。
実は、ゴムルの比重については興味が有ったので、以前に調べてみた事が有る。
結果は、人体よりは比重が大きい、だ。
根拠は、大雨で流されて来た流木で堰き止められたヤマタイト川の支流の川底を、防具を外した状態で歩いて渡った事が有る、と云う内容の証言を退役したゴムル遣いの老人から得たからだ。
で、何が言いたいかと言えば、ゴムルの操作をしてみたら思ったよりも違和感が無かった、と云う事が意外だったのだ。
もっと、こう、バランスが取りづらいと思っていた。
見落としがちだが、サイズが2倍のゴムルが人間と全く同じ動作をした場合、実は動いている速度が2倍になる。
腕と同じ長さの棒を振り下ろした時のことを考えたら分かるだろう。肩と拳の距離よりも大外を動く棒の先端は移動距離が2倍になる。速度が2倍になるという事だ。
これに人体よりも大きな比重という事を重ね合わせれば、運動エネルギーはとんでもない事になる。
そりゃあ、『ゴムルに勝てるのはゴムルだけ』という常識が成立する訳だ。
軽く振っただけの拳が当たっても、その衝撃に耐えられる人間など存在する筈がない。徒手でも脅威なのに、剣を装備したゴムルに立ち向かうのはただの自殺行為だ。
話しを戻すが、違和感を感じる事が無いと云う事は何らかの力学が働いているか、意識かゴムルの動作に補正が掛かっているか、のどっちかだろう。
まあ、こんな事を考えながらゴムルでシャドウボクシングの真似事をした人間はいないだろう。
結論。
胴丸鎧を装着した状態でも、曲がらない向きに慣れれば意外と生身に近い動きが可能。
後はゴムル用の弓の試射や、剣を使った立ち回りを試せば、大体の動きは把握出来そうだ。
自身の身体の目を開ければ、呆けた顔で上を見上げている群衆の顔が目に入った。
思わず、その視線を辿れば、その先にはさっきまで俺が操作していたゴムルが居た。
ああ、少し調子に乗ってしまった様だ。
今更だが、元の位置までゴムルを歩かせてから召喚を解除した。
本当ならば、更に召喚をすべきなのだが、敢えてゴムルだけの召喚に留めた。
こんな衆人環視の中で16式機動戦闘車を召喚しても何のメリットも無いからな。
機会を見つけて、人目につかない環境下で召喚する事にしよう。
ゴムルを操る感覚を知った事で、却って16式機動戦闘車を操る感覚に興味が湧いたからな。
特に砲弾の装填なんてどうなるんだろう? まさか『中の人』が現れて、せっせと装填するのだろうか?
その『中の人』の顔が山中士長そっくりだったりするのだろうか?
うん、早く見てみたいものだ。
3人の部下たちもお披露目と言う名の試運転を済ました。
3人とも、俺と同じ頭形兜・胴丸鎧・籠手・脛当・臆病金・靴の貫に鎧下の鎧直垂という組み合わせだった。
ただ、納得出来ないのは、彼らのゴムルの色だ。
鋼色だったのだ。
俺だけ浮いている気がするのは気のせいだろうか?
夕食は豪勢な献立だった。
それに合わせるかの様に家族全員が上機嫌だった。
まさか、4人兄弟全てにゴムル召喚の恩恵が授かるなどと云う結果は誰も想像もしていなかったからな。
特に上機嫌だったトップ3を言うと、1位山中士長、2位親父、3位ミーシャ、という結果だ。
山中士長が上機嫌なのは、やっとチートを授かったから、と云う理由だ。
確かに16式機動戦闘車の攻撃力と機動力は飛び抜けていると思う。
例えば、機動力を活かして敵軍の側面や後方に回り込んで、遠距離から攻撃をすれば無敵だろう。
だが、彼には未だ指摘していないが、致命的欠点が有るかもしれない。
それは、召喚したキドセンに乗り込められない可能性が有るという事だ。
その場合、戦術的機動力は一気に削がれる。
ゴムルを操れる距離は大体1㌔圏内と言われている。
弓や白兵戦で戦うなら、それでも十分な距離と思う。
だが、キドセンの場合はそれでは短過ぎるのだ。
ゴムルの走行速度はフル装備の場合は時速20㌔も出ない。それに対して、舗装された路上なら時速100㌔で走れるキドセンの場合、1㌔なんて距離は全速で走れば40秒も掛からずに到達してしまう。
未舗装であっても、キドセンは装輪ながらもゴムルよりは遥かに速い。
その優位性が活きるかどうかが分からない内は過度の期待は避けた方が良いだろう。
まあ、最悪、車体にしがみついて移動すれば良いのだろうが、好き好んで1人ロデオ大会を開催するのはご免だ。
親父がご機嫌なのは当然だろう。
なんせ、賢いと評判の息子たちが武力も飛び抜けている事が分かったのだから。
これでカシワール郡の将来は安泰だと思っても仕方ないだろう。
異母妹のミーシャが喜んでいるのは、単純に懐いている兄たちに凄い恩恵が授かったからだ。
自分が褒められるよりも、兄たちが褒められる事を喜ぶ様な、奇特で本当に出来た妹だ。
俺がゴムル召喚のお披露目から戻って来た時にも、「ディお兄様、流石です!」と満面の笑顔で出迎えてくれた。
数年後、『アニキたち、キモい』とか言われたら、俺たち4人全員が血の涙を流す自信が有る。
まあ、俺が危惧した、ミーシャに過度なプレッシャーを与えない結果になった事が、今日1番嬉しい事なのかも知れないな。
お読み頂き、誠に有難う御座います m(_ _)m