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わたしは、若き日に、ひとりの少年の命を救ってもらう代わりに、己の一番大切なものを大いなるものと呼ぶべき存在に差し出した。差し出したものは小説を書くことであったと思っている。だとすれば、その約束を破ってまでして、取るに足らない小説を書き続けている矛盾に満ち満ちたわたしというものは、いったいどこに行き着くのだろうか?
わたしの友人に、自分の夢はジェット戦闘機になることだと言った男がいる。
「ジェット戦闘機のパイロットになりたいということなのか」
「そうじゃない。無駄のひとつもない、極限の美であるところの、精巧なジェット戦闘機そのものになりたいんだ」
「それって絶対叶わないじゃないか」
「だからこそ夢だよ。絶対叶わないとわかっているものを夢にしていれば、裏切られて絶望することはけしてないからね」
彼が、主に孤児を対象とした児童福祉施設で育ったことが、彼の夢というものへの考え方に、いくらかの影響を及ぼしたのではないかと、その時わたしは思った。
その彼は、四十になった年に大病を患い、自分の命が唐突に尽きる可能性に気づき、解約したら二度と加入できないと言われた生命保険をあっさりと解約し、その金を持って、嫁と二人でパリで開かれた国際航空ショーに出かけた。
「もう、いつ死んでも本望だ。夢が叶ったからね」
帰国した彼は満面の笑みでそう言うと、今は毎日オイルまみれになって働いている。
わたしの娘の千秋は『大好きな人と、その人との間の子供とで、あたたかい家庭を築くこと』を子供の頃から夢見て、幼児教育を学び幼稚園教諭になり、それから数年後に、幸せなことに巡り合えた大好きな人と結婚した。
そんな彼女は、結婚して半年後に、わたしの書斎を唐突に訪ねてくると、泣き崩れた。
「私がどんな悪いことをしたの」と何度も口にしながら。