㉞「カニェーツ」
小型コンピューターの画面にコンプリートの表示が出た時、アレクセイは勝利を確信した。旧プログラムの強固な防壁を破り、新プログラムに書き換えている間ずっと背中に熱い視線を感じていた。サラ・テイラーは想像よりも強い女性だ。しかし無力化した以上、彼女にはこの状況をどうにかすることは出来ない。
「カニェーツ」
アレクセイはそう言うと懐から拳銃を取り出し、迷いなくメンテナンス中のゲイルに五発撃ちこんだ。極めて冷酷な音が部屋に響き渡る。ケーブルを剥き出しにし、ただの鉄の塊と化したゲイルの頭部を眺めて最後の仕事が完了したことを認めた。
特に特別な感情は湧かなかった。ここまで滞りなく進むことように計画したのだから当然だ。そしておもむろにダリアの方を見る。絶望か、恥辱か。簡単には形容出来ないような表情がそこにあった。
「さて、ダリア。私はこれからゾンビアの保管室へ向かう。つまり君とはここでお別れだ。本当に残念だ」
「アレクセイ。アレで、世界をどうするつもりなの…」
「アレは私のモノだ。どうしようが私の勝手だ」
この女にこれ以上の時間を費やす必要は無い。残りの銃弾をダリアに向けて躊躇うことなく放った。そしてアレクセイは無情にも他に何も語らず、そのまま部屋を後にした。堂々とした足取りでゾンビアを保管する部屋へと向かう。
入嶋はゾンビアの保管室の前に居た。恐らくまだアレクセイは辿り着いていないはずだ。手には片手で易々と持てる大きさのビデオカメラが握られている。これが最後の自分の仕事。世の中の巨悪を暴く正義の仕事。トーマスに教わったパスワードと、アレクセイに貰ったカードキーで扉を開ける。分厚い扉がゆっくりと開いて、隙間から冷えた空気が漏れてくる。
研究所内の最高機密であるゾンビアが保管されているこの部屋は想像以上に広く、そして殺風景であった。昨夜のショーで見たのと同じ巨体が四体ほど並んで立った状態で保管されている。今にも動き出しそうなその威圧感に入嶋はどうしても緊張せざるを得なかった。
死角になりそうな所をどうにか見つけて、ビデオカメラの設定を始める。独学でマスターしたつもりの操作に手こずる。肝心な時ほど人は緊張するものなのだろう。自分がそうであるから簡単に納得出来た。そして準備が整い、後は博叔父さんの言う役者が揃うことを期待した。アレクセイとケイン、そして叔父さんとダリア。自分を含めた五人で最後の舞台が幕を上げる。その瞬間を待ち続けることにした。
上手く足に力が入らず思うように前に進むことが出来ない。肩を貸してもらっている博先生にも迷惑がかかってしまっている。このままだと保管室なんて辿り着けそうな気がしいない。どうにかしないとアレクセイが、ゾンビアが。
「先生、一度止まります」
「ケインくん、そんなことをしている場合じゃないだろう」
博先生はここまで誰のお陰で、誰の肩のお陰で進めたんだと言わんばかりの怒り顔でそう言った。
「わかっています。しかしこれでは辿り着く前にアレクセイがゾンビアを手にしてしまいます」
「それは困るが、恐らくダリアくんが足止めしてくれているはずだ」
「それを考慮しても、です」
今度はじゃあどうするつもりなんだと言わんばかりの顔で博はこちらも見る。何か考えなければ、何か手を打たなければ。その時、背後から一定のスピードで追ってきた武装アンドロイド達の姿が見えた。
「先生、閃きました」
博もケインと同様の閃きがあったらしく、かすかに笑みを綻ばせた。
「アンドロイドの君たち!すまないがゾンビアの保管室まで運んでくれないか!」
その声が届くや否や、武装アンドロイドたちは駆け足で二人の下に駆け寄り、二体のアンドロイドが背負うために屈んだ。ここまで従順に動いてくれるとは。ケインは彼らを思い通り動かすことが出来るという事実に初めて感動した。
「お二人とも保管室まででよろしいですか」
「ああ、頼むよ」
アンドロイドの背中は案外暖かい。何故か懐かしさと安心感を覚えた。
「いや、私はゲイルのメンテナンス場所へ行くとしよう」
「先生?」
「ダリアくんを助けなければならない」
「では部隊の大多数は保管室まで、ミスター博を乗せたアンドロイドを含めた三体でゲイルのメンテナンス場所へ向かうとします。いいですね?」
二人の同意を得たのを理解した瞬間、素晴らしき科学の力でそれぞれの目的地へ向かい始めた。
再び訪れた静けさの中、ダリアは虚ろな目で煌々と光る小型コンピューターのモニターを眺めていた。まるで溶接したかのように装備に施した金属加工部分が壁と接着し、身動きが取れないことは相変わらずではあったが、時間の経過と共に動けない苦しみに慣れてしまったことは確かだった。
アレクセイに打ち込まれた一発は胸部の防弾チョッキを命中し、その衝撃の反動で一時的に意識を失っていた。時より鋤骨の辺りが鋭く痛むので骨折しているかもしれない。しかし確かに生きていた。
あれからどれだけの時間が経ったのであろう。もうアレクセイはゾンビアの保管室に辿り着き、ゾンビアを動かし始めたのだろうか。ロシアを追放された有名な一族のマッドサイエンティストは何をするつもりなのだろうか。
どれだけ考えを巡らせようとも、もう何も出来ないことは理解していた。この不甲斐なさ、打ちひしがれるような無力感をただ味あわせるためにこのような状況下に置いたのであれば、やはりアレクセイは異常だ。時より弾けるようにゲイルの破壊された頭部から飛び出す火花が滑稽に見えてくる。どうせならこんな風にされた方がよかったのかもしれない。
その時かすかに何かが近づいてくるような気がした。気のせいにしては確かな足取りでこちらに向かっているように感じる。アレクセイが戻ってきたのだろうか。それとも誰かが駆け付けに来たのだろうか。
その気配は複数の足音を伴って急ぐように次第に大きくなっていく。ダリアはその足音が味方であることを確信し、安堵と共に不甲斐なさをまた感じた。
「ダリアくん、大丈夫か!」
突然現れた三体のアンドロイドに馴れ馴れしく言われて戸惑う。答えに躊躇っていると一体のアンドロイドの背後から博が現れた。どうやらアンドロイドにおぶって貰った状態でやって来たのだろう。
「博さん、すみません」
泣きそうになったのを何とか我慢して答えた。
「アレクセイにはめられました。両側の壁の磁力に吸い込まれて身動きが取れません」
「生きているようで何よりだ」
話を聞いているのか聞いていないのか、博は神妙な顔つきでそのように言った。そして状況を分析するように部屋を一瞥した後に、アンドロイドの方へ顔を向けた。
「君らの内の一体は今から動力室に行ってこの部屋の電力供給を止めるように伝えろ。ケインがそう命令したと言えばいい」
何故ここでケインの名前が出てくるのかダリアには分からなかったが、この電気を止めることがこの磁力をどうにかする方法だということは納得した。そして一体のアンドロイドが脱兎のごとく駆けて行った。
「ダリアくん、まだチャンスはある。忠くんがアレクセイを足止めしてくれるはずだ」
その意味深長な博の発言にダリアはただ訝しげな表情をするほか無かった。そしてダリアでいることを止めることにした。
(筆者のひとこと)
「カニェーツ」ってロシア語で「終わりだ」って意味だそうです。響きがカッコいいですよね。これで私のひとことをカニェーツ。




