⑪ 年下の世話ほど難しいことは無い
ゲイルが両隣のアンドロイド達に目をやると、二体のアンドロイドが入嶋の方へ近づき「こちらへ」と反抗するのは不可能だと言わんばかりの勢いでそう告げた。入嶋にはどちらがそれを発したのか分からなかったが、二体のアンドロイドを怪訝な目つきで見つめそれに従った。
こっちだって知りたいことが山のように、いやひとつの山脈を成すようにあるんだけどなあと嫌味を言いたかったが、どうにかそれを心の中にしまい込んでベッドから降り、丁寧に並べられてあったスリッパに足を通して歩き始めた。
部屋を去るとき入嶋はダリアと名乗るナースを横目で見ると彼女はこちらを向くことはなく、ただ俯くようにして浮かない顔をしていた。入嶋はそれが酷く印象に残ったまま施設内をゲイル達と移動することになった。
この日常からかけ離れた悪夢のような現実の世界に慣れてしまったのかもしくは単に気がふれてしまったのか、廊下に響き渡るペタペタというスリッパの音がやけに可笑しく聞こえる。
無言のまま歩き続け、長い廊下を終えるとエレベーターホールの前に出た。ゲイルは首に下げていたカードのようなものを備え付けられたパネルにタッチする。するとたちまち扉がゆっくりと開き、ゲイルはまたアンドロイド達に目をやり乗り込む。アンドロイド達もそれに倣い、入嶋も従うことにした。
一定のペースで窓外の景色が変わるエレベーターの中は沈黙が全てを支配しているようであった。
「入嶋くん、君にやってもらいたいのはある青年の世話役だ」
この沈黙に耐え切れなくなったのか、ゲイルは急にやってもらいたいことのひとつを話し始めた。
ぼんやりとしていた入嶋は急に話しかけられたせいでびくつき、「だ、誰のです?」と当然の答えを述べる。
ゲイルは「来ればわかる」とだけ吐き捨て、エレベーター内はまた元の沈黙を取り戻す。
そういえば拉致されたのはエレベーターの中だったなと入嶋はぼんやり考える。近くに居るのはあの時の安谷さんとそっくりのゲイルという白衣の男、同じことが起きるのではと不安になったが、その不安はありえないとすぐに投げ捨てた。
あの典型的な音を鳴らすこと無くエレベーターは到着を告げて扉を開いた、先程とは異なる空気がこの箱の中に侵入してきたように感じる。
鼻に抜けていく空気が籠っていて冷たい、恐らくここは地下なんだろう。
入嶋の推測など意に返さず、ゲイルを中心とした集団はその地下をぐいぐいと進んでいく。等間隔に割り振られた扉と設置された蛍光灯がどこかこの地下室が永遠に続いているような予感をさせた。
「ここだ」とゲイルはある扉の前で止まり、右手を小さく上げた。その指示に従うようにアンドロイド達も動きを止める。入嶋もそれに従う。
この扉の向こうに居る誰かの世話をこれから任されると思うと今にも逃げ出したくなった。年下の世話ほど難しいことは無い。そもそも何を考えているのか分からない。
「会う前にキミに任す青年について色々話しておこう。知っておいた方が話しやすいかもしれないからな」
ゲイルはまた入嶋の意思など意に返さず予定された事を円滑に進めるために青年の話を始めた。
彼の話によるとこの部屋にいる青年は幼い頃からこの研究所内の様々な分野の研究者たちから教鞭を受け、科学や数学において高度な知識を得ているようだ。
その反動か知識に対しての意欲は幅広く開いているが、プライベートな部分に対しては他者への警戒心が強く、自ら心を開くことは滅多に無いという。
そう言うゲイルも心を開いて貰えない側の人間のようだが、それに関しては部屋の中の青年に深い深い共感を覚えた。
そしてそんな青年が唯一自ら心を開いたのが入嶋の叔父であり、その繋がりかその青年は入嶋自身に世話役を要求したようだ。
「しかし、なぜ研究者でも何でもない私なんですか?」
「そんなことは私にもわからない、彼がキミと言うならキミを連れてくるしかないだろう」
「ははあ」と入嶋はゲイルの半ば投げやりな答えに対して、納得していないがこれ以上掘り下げる気もないという諦観したような反応を見せた。
ゲイルはまた首に下げていたカードのようなものを用いて扉のロックを解除する。アンドロイド達にはこれ以上ついてくるなというような態度を見せ、ゲイルと入嶋の二人はその青年のいる部屋へと入っていく。
部屋は想像以上に生活感があり、無機質な研究所にはそぐわない近代的な室内になっていた。
特にぎっしりと難しそうな本が詰められたいくつもの本棚がその部屋にあり、様々な研究者達の教鞭を受けたという青年の聡明さを際立たせている。入嶋は目を凝らしてそれらの背表紙を睨んでみたが大半が外国語で何の本なのか見当がつかなかった。
部屋の奥には書斎机があり、そこに当の青年と思しき人影がこちらを向いて座っている。それはどこか社長室に似ていて、青年とは思えないような威厳を漂わせていた。
「初めましてケインです。申し訳ありませんが、ゲイル局長。僕は入嶋さんと二人で話がしたい」
大方の予想通り利発そうで穏やかな声でケインと名乗る青年はそう言った。
「やれやれ、いつもこの調子だ。入嶋くん後はよろしく頼むよ」
ゲイルはそう言って入嶋ににやりと笑みを向けて踵を返した。残された入嶋は何を頼まれたのか全く分からないまま、未知の青年と向かいあった状態で立ち尽くしている。
ほんの沈黙が場を満たした後、ぼんやりと頭の中に声が入ってくるような気がした。この感覚は入嶋に身に覚えがあった。
『入嶋さん、これはいわゆるテレパシーです』
まさかと思い青年の方を向くと、はっきりとは窺えないがかすかに笑っているように見えた。入嶋はまさかそんなことは無いだろうと思いながらもその青年の口元から目が離せなくなった。
『慣れるまで大変ですがこの状態で話したいです。とりあえず見つめられてばかりだと話しにくいので、そこらの椅子に座って本でも読むふりをして下さい』
この発言で入嶋は全てを察した。青年の口元が動くことなく頭の中で声が響いた。これは恐らくテレパシーだと感じながら青年の指示に従い、座っても良さような椅子を探した。そして適当に目に付いた本を本棚から手に取り、中身を確認する。何語なのかわからないがとりあえず読むふりを演じることにした。
『僕が入嶋さんを呼んだのは、入嶋さんがこの世界を救う救世主だからです』
今度はお馴染みになりつつある突拍子の無いことを言われ、相変わらず動揺した入嶋は青年の方を横目で見る。
『突然過ぎて理解し難いかもしれませんが、僕の話を聞いてください』
これまでに先が読めない展開を幾度となく経験したせいか不思議と心臓の鼓動は落ちついたままで、体の体温が少しずつ上昇していくのを感じる。
きっとこれが自分に与えられた使命でありチャンスでもあると入嶋は根拠もなくそう信じた。
(筆者のひとこと)
さて設定として盛り込んだのはいいものの落としどころが分からず行方不明になってしまった〈テレパシー設定〉ですがどうにかこれもうまく最後まで使って行こうと思っています。頭から改稿するのは簡単な事ではありませんが自分の成長を感じながら楽しんでやっています。
 




