おとぎ話は終わらない
おとぎ話は終わらない
<……。こうして、激しい戦いの果てに、勇敢な青年は自らの
持つ力の全てと引き換えに、赤魔の山に復活しつつあった全
ての魔物を封じたのです。
山の麓に住む住民たちは青年に感謝を捧げました。しかし、
青年は自らの役割を終えたことを悟ったのか、そのまま村か
ら去っていき、その行方は誰にも分からないままでした。
それでも、村人たちは魔物を封じた青年の事をずっと、忘れ
ずにいるのでした。
「ランビエール地方のおとぎ話」より>
大陸中央部に覇を唱える大国・シャス王国の南部は俗にラン
ビエール地方と呼ばれている。
<山と森の土地>という意味の古い時代の言葉が転じたもの
であり、その名の通り豊かな自然が残り、平原に広がる王国北
部・中部とはまた違った風景が広がっている。
そんなのどかな地方の中心都市・アルントの一角にある商業
ギルドの事務所から大声が響き渡ってきたのは、穏やかな春の
昼下がりのことだった。
「俺に出来る仕事が無い、だと!? もう一度言ってみろ!?」
酷い屈辱をうけたような気がして、アンリ・ヴェーネルトは
椅子を倒しながら立ち上がった。
鍛え抜いた身体に野性味のある風貌が目立つ青年だったが、
眼光だけで人を射殺せそうな程の殺気を全身から放っていた。
「何度でも言う。今、きみに頼めそうな仕事はこのギルドには
上がってきていない。嫌なら隣町を当たってくれたまえ」
向かい合って座る青年……商業ギルドで求人係を務めるセザ
ール・フランクはいつものように冷静だった。
それどころか、指の先で眼鏡を上げて追い打ちをかける。
「これで話は終わりだ。僕も他の仕事があるから用が済んだら
帰ってくれ」
「て、てめえ! 幼なじみだからって嘘をついたら本気で怒る
からな!」
「分かってる分かってる。だから本当の事を言ってるんじゃな
いか。親愛なる幼なじみのアンリ・ヴェーネルトくん」
「この野郎!」
言葉が終わるよりも早く、全身の血が沸騰した。
アンリは拳を握りしめるなり、向かい合って座る幼なじみに
殴りかかった。
恰幅のいい青年の身体が鈍色の風となり、相手の澄ました顔
を直撃するかに見えたが……。
怒りの拳は軌道を逸らされて、固い木の床に大穴を開けただ
けだった。
「まったく、きみの行動は昔から変わってないな。よくそれで
赤魔の山の魔物を封じられたものだ」
身体の向きを戻して、セザールは何事もなかったかのように
言った。
「だから何度も言ってるだろ! あの魔物は俺が全ての力を懸
けて封じ込めたと!」
「その結果、力を失ってただの力が強いだけのごろつきになっ
たんじゃ世話無いね。まあ、おとぎ話ではそこまで触れられ
るわけないか」
「おとぎ話なんて言うな! 俺はこれから暮らしてかなきゃい
けねえんだ!」
セザールの口元から、不敵な微笑が消えた。
今更のように幼なじみの置かれた立場に気づいたのか、大げ
さに溜め息をついて頭を振る。
「まあ、そういう考え方もできるな。ここからは真面目な話だ
が、今このギルドにきみが出来そうな求人はきていない。た
だ、仕事が必要なら紹介状を書いてやってもいい」
「セザール……」
「僕の紹介なら近隣の街のギルドでも仕事を紹介してくれる。
今日はそれで勘弁してくれ」
「……。ああ」
親友でもある青年の言葉に、アンリは素直に頷いた。
親身になっているのは長い付き合いで十分に分かっていたし
何よりも建物中に響く大声を出すのも馬鹿らしくなっていた。
「だったら少しだけ待っててくれ。今紹介状を書いてくる。ま
あ、体力だけは無尽蔵にあるから意外といい仕事が見つかる
かもしれないな」
多少の照れもあるのか、わずかに目線を逸らしながらセザー
ルが席を立った時だった。
「あの……。仕事を紹介してくれると聞いて来たのですけど」
どこかのんびりした少女の声が、二人の耳に届いた。
警戒心すらも起こさせない間延びした声だったが、身につい
た癖でアンリは振り向いて相手を確かめた。
そこにいたのは、非常に古いデザインのワンピースに身を包
んだ栗色の髪の少女だった。
殺気どころか、周囲を和ませる穏やかな雰囲気を漂わせてい
たが、緊張のためかその表情は強張っていた。
「そうですよ、きれいなお嬢さん。さ、こちらへどうぞ。アン
リ、どいたどいた」
「お、おい! 俺の紹介状は……」
「後で書いてやるから待ってろ」
セザールが街のあちこちで浮名を流している事を思い出し、
アンリは渋々席を立った。
そんなやりとりに戸惑ったような表情を浮かべながら、少女
は椅子に座る。
一見すると、貴族の屋敷で働くメイドを思わせたが、それだ
けに着ているワンピースの<古さ>が目立った。
「まずはお嬢さん、名前は? どこに住んでいて、どのような
仕事を希望ですか?」
「ふん、まるでナンパだな」
「うるさい。……済みません、お嬢さん。このむさ苦しい大男
は放っておいても構いませんよ。仕事が無いと言って幼なじ
みの私に泣きついてきたような奴ですから」
「仕事が……無い?」
何かを思いついたかのように、仕事を探しに来た少女がアン
リに視線を向けた。
人を疑うことをまるで知らない小動物のような瞳に、勇敢な
青年は警戒するよりも戸惑いを覚える。
「いや、まあ……なんだ、ちょっと訳ありでな。力仕事ならで
きるんだが、あいにくこの街には無いらしいんだな。それで
紹介状を……」
「だったら、貴方にお願いします。簡単な力仕事をしてくれる
人を探してたのです」
「は?」
「私の仕事は後で探します。今はとにかく、片づけを手伝って
くれる人を探してたので助かりました。ではさっそく案内し
ますのでついて来てください」
いきなり能弁になった少女の言葉を、アンリが理解するまで
たっぷりと時間がかかった。
しかし、全て分かった途端抑えていた感情が爆発した。
「おいちょっと待て! おかしいだろ! 金がないから仕事を
探しに来てどうして俺を雇えるんだ!?」
「えっ……。あ、済みません!」
「そもそもお前何者なんだ? そんなに古くさいワンピース着
てる奴、今どきいないだろ?」
「あ、これですか? 一応一番最新のものを引っ張り出してき
たんですけど」
「お前の家は古着屋か!?」
「済みません、これ以上古いとさすがに街を歩けないと思った
んですけど……。変ですか?」
「変なのはお前自身だ!」
「済みません! 昔から言われてるんですけど……」
反論する気も無くして、アンリは大きな肩を落とした。
わずかな間に三度も「済みません」と言われてはさすがに良
心が痛んだ上に、親友のセザールが眼鏡の奥で目を細めて攻撃
の機会を伺っていたからである。
「えっと、まず……名前は?」
その場を取り繕うように、アンリは質問した。
「クロエ・オイギンスといいます。貴方は?」
「アンリ・ヴェーネルトだ。しかし、クロエったあ古風な名前
だな。今どきそんな名前の奴ほとんどいないぜ」
「済みません」
「な、名前のことで誤られても困るんだがなあ……。だからセ
ザール、俺を睨むなって」
「年頃の女性に対する侮辱は僕への侮辱と判断する」
「わかったわかった。とりあえず仕事は引き受けるから案内し
てくれ」
「はいっ!」
かしこまっていた少女だったが、アンリの言葉に快活な笑顔
と共に頷いた。
古くさいワンピースに身を包み、古い名前を持つ少女だった
が、勇敢な青年の心を動かすのには十分魅力的だった。
まあ、いいか。どうせ暇だし、ちょっくら片づけてから紹介
状を書いてもらうのも悪くないか。
そんな事すら考え始めているのだった。
アンリが少女……クロエと共に商業ギルドを出るころには夕
方近くなっていた。
あの後、セザールがあれこれ口実を作って引き止めたからだ
った。
「あの野郎……。本気でお前さんを狙ってやがるぜ」
「そうでしょうか? とっても親切で優しい方でしたけど?」
「若い女性にはみんなああするんだ。噂じゃ、この街の若い女
性であいつが手をつけていないのはいないって話だ」
「凄く……優しいですね」
クロエが素朴に目を丸くしたので、アンリはまたもや大きく
肩を落として溜息をついた。
わずかな付き合いで、赤魔の山の魔物を封じた時と同程度の
疲れすら感じていた。
ったく、貴族の館のメイドかと思ったらお嬢様そのものだっ
たな。しかし、金は無さそうだし、依頼は簡単な力仕事。どう
なってるんだ?
散々文句を言いながらも付き合っているのは、ひとえにこの
疑問を解消したい為だった。
鋭い直感が、この不思議な少女に何かあると告げている以上
離れるわけにはいかなかった。
「ところで、家はどっちだ?」
「南の方です。……家と呼べるか分かりませんけど」
「なんだそりゃ?」
「お嬢さん、何かお困りではありませんか?」
反射的に聞き返そうとしたアンリの言葉は、セザールとは違
う意味で軽い言葉によって断ち切られた。
眉を寄せながらその方向を見ると、見覚えの無い金髪の青年
が微笑して、クロエを見つめていた。
「商業ギルドから出てきたところをみると、何か困ったことが
あったのではありませんか? 私が助けてあげますよ」
「え? あの……」
「てめえ、誰だ?」
警戒心も露にアンリが問いかける。
この街の同世代の男女の顔は全員知っているのにもかかわら
ず、金髪の青年の顔に覚えはなかった。
「おっと、申し遅れました。私はディミトリ・クラウスといい
ます。こう見えても魔術ギルトの魔法使いなんですよ」
「ってことは、余所から来たってことか」
「ええ。数日前から滞在しています」
とりあえず疑問は解けたが、アンリの勘は強い警告を放ち続
けていた。
セザール同様、身なりも態度も上品だったが、その奥に薄暗
い何かが隠れているような気がしていた。
「クロエ、行くぞ」
「え? 話はまだ終わってないんじゃ……」
「このまま話してると夜になっちまう。……悪いな、ナンパな
ら他を当たってくれ。あと、余所者のお前に警告しておく。
セザール・フランクという奴に気をつけろ。あいつのお手つ
きに手を出したら後が怖いからな」
「分かっています。ご忠告、ありがとうございます」
金髪の青年……ディミトリはあくまでも慇懃な態度を崩さな
かった。
その事にさらに不信感をかきたてられながら、アンリは歩き
始める。
クロエがきょとんとするのも構ったりしなかった。
「……」
少女が案内した<家>の前まで来て、アンリは思わずまばた
きを繰り返し、心を落ち着かせる為に深呼吸をした。
それでも、目の前にあるのはどう見ても忘れられた古い遺跡
そのものだった。
古代魔法帝国時代のものであることは見当がついたが、だか
らといって納得できるわけでもなかった。
「どうかしましたか?」
「クロエ。お前、俺をからかってるのか?」
「いいえ。ここが私の家です。まあ、古いですけどこれでもよ
く持ちこたえてる方だと思います」
「そういう問題じゃねえ! こんな所に人が住めるか! それ
以前に入り口はどこだよ!」
「ちゃんとあります。……こちらです」
かすかに声を低くしたクロエが呪文のようなものを唱えるの
と同時に。
蔦に覆われた石造りの壁に突如、扉が出現した。
常識を覆されそうな出来事を目の前で見せられて、豪胆なア
ンリも開いた口が塞がらなかった。
「簡単なめくらましをかけていただけです。勝手に入ってこら
れると困りますから」
「……お前、何者なんだ?」
「中に入ったらお話しします。随分と疑問を持たれてるようで
すし」
この一言で、アンリはクロエに対する認識を大きく変えた。
ただの奇矯な少女と思っていたが、直感が告げていた通り大
きな裏があるのは間違いないようだった。
扉を抜けた先にあったのは、石造りの廊下だった。
魔法による人工の明かりが足元を照らし出すので不自由は無
かったが、宝物を探しに古い遺跡に突入した気分になる。
「大変な所に住んでいるんだな」
「済みません。粗末な家で」
「俺が言いたいのはそういう事じゃない。何か大きな目的があ
ってこんな所にいるんだろ?」
「そんな大袈裟なものではありません。自分で選んだ道ですか
ら。アンリさんが魔物を封じたのと同じようなものです」
「……お蔭で<勇者>を失業してしまったがな」
「おとぎ話には続きがあるものですね、やっぱり」
今日一番触れられたくない単語を再び聞かされて、一瞬むっ
としたアンリだったが、その言葉に含まれた意味に気づいて慄
然とした。
「ここが居間です。たまにしか使わないのでどうしても片づけ
たいんです」
前を歩くクロエが立ち止まったのは、廊下の突き当たりにあ
る部屋まできた時だった。
四方を石の壁に囲われ、魔法の光が灯っているのは今までと
同じだったが、商業ギルドのセザールの部屋よりも広く、古臭
いながらも調度品は整っていた。
ただ、隅には壊れた家具や用途不明な道具などが積まれ、そ
れが快適な雰囲気を損なっていた。
「まずは座ってください。お茶、飲みます?」
「古くなってないのか?」
「魔法をかけてますから平気です。二百年前に買ったものです
けど、上質な茶葉が残ってますから今淹れます」
「二百年……その衣装もその時買ったんだな」
「一番流行してるものだったんで高かったんですよ」
「そういう問題じゃないだろ……」
クロエの言葉は相変わらずどこかずれていた。
おそらく、元々は育ちのいいお嬢様だったのだろう。
しかし、何か理由があって長い時を生き続けている。
まるで、おとぎ話に出てくる少女のように。
上品な香りが漂ってきて、アンリは考え事を止めた。
クロエがお茶を淹れて戻ってきたのだった。
「どうぞ。口に合うか分かりませんが」
「悪いな。お嬢様にこんなことをさせて」
「別に。気になりませんから。それより、あなたの知りたいこ
とを全てお話しします」
「いいのか? たかが部屋の片づけをするだけの奴に全部話し
たりして」
「おとぎ話と思って聞いて下されば結構です」
アンリが何も言わずに頷くのと同時に。
古風な少女は静かに今までの事を話し始めた。
アンリが推測した通り、クロエは今から約千年以上前……古
代魔法帝国時代に生まれた少女だった。
彼女の魔法を扱う能力は突出しており、若くして帝国の魔法
兵器研究所の研究員としての職を得て、日々探究を重ねてきた
のだが……。
あまりの能力の高さと、それに釣り合わない無邪気な心が恐
ろしいものを生み出してしまった。
わずかな魔力を込めるだけで、大陸全てを壊滅させる程の魔
法兵器を作り出してしまったからである。
事態に気づいた帝国の支配者たち……最高位の魔法使いたち
は慌ててその兵器を無力化しようとしたが、クロエの仕掛けた
防御装置を解除することが出来ず、失敗に終わった。
制作した本人も自分の発明の恐ろしさに気づいて同じことを
したのだが、それも失敗に終わった。
防御装置は一度仕掛けると、どんな手段を使っても解除する
ことは出来なかったからだった。
そうなると解決策は一つしかなかった。
クロエ自身が、この破滅的な兵器を封印するしかなかった。
「……こうして、私はここに眠るようになりました。私自身が
封印となって、兵器を無力化しているのです」
「確かにおとぎ話だな。似たような話を聞いたことがあるが、
お前さんのことだったんだな。でも、なんで目を覚ましたん
だ? 封印してなくてもいいのか?」
「魔法の効果は数十年で切れるので、その時少しだけ目を覚ま
します。その時はこの部屋でしばらく過ごしてからまた眠り
ますが、たまには外の様子も確かめないと駄目ですし、買い
出しとかも必要ですから」
「それで前回外に出たのが二百年前だったわけか」
冷めてしまったお茶を一気に飲み干して、アンリは大きく息
を吐き出した。
「はい。外に出られるまで約二百年かかりますから。それに、
外に出たのはもう一つ目的があります。もし、平和な時代が
訪れていたのならば……私の役目は終わるのです」
「本当か!? で、今回はどうだ?」
「今までの中では一番平和だと思います。前回は不穏な空気が
町中に漂っていて……すぐにここに戻りました」
頭の中の年表をひっかき回して、アンリは大きく頷いた。
二百年前といえば、大陸の中央部全体を支配していたマリテ
ィア新王国の支配が終末期に入っていて、小さな反乱が起き始
めていた頃だった。
その後、新王国は大貴族の決起をきっかけに滅亡し、戦乱の
末に今のシャス王国がかつての新王国の領土の七割を押さえた
のだった。
「そういうことがあったのですね。済みません。何も知らなく
て……」
「当たり前だろ? セザールの奴はお前さんを口説くのに夢中
で歴史の講釈なんかしなかったからな」
「でも、心の底から親切な人だと思います。もちろん、アンリ
さんもです」
「お、俺が!? 馬鹿言うな。俺は魔物を封じてただのごろつき
に転落した哀れな男だぜ」
「いいえ。私には分かります」
クロエの小動物のような瞳に、真剣な光が宿っていた。
疑うことをまったく知らない故にまっすぐなその輝きに、さ
すがのアンリも困惑する。
「お、おい。待て待て。お前さんはもっと他人を疑うことを覚
えた方がいいぜ。世の中、善人ばかりたあ限らないんだ」
「そうですけど……。親切にしてもらって疑うのはおかしくあ
りませんか?」
「その考え方自体がおかしいんだ!」
「済みません……」
また謝られて、アンリは全身の疲れが頂点に達していた。
こんな性格なのにもかかわらず大陸を滅ぼす程の魔法兵器を
作り、封印されてしまったとは到底信じられなかった。
「それより、片づけは明日でいいよな? もう夕方だからな」
「ええ。なんなら……」
「俺はちゃんと宿があるから戻らせてもらうぜ」
「まだ何も言ってないのにどうして分かったんですか? 泊ま
っていけばいいじゃないですか」
「俺はれっきとした若い男だ! お前さんは年下過ぎて守備範
囲外だがな!」
「はあ。……分かりました」
口では同意しながらも、クロエが言葉の意味を理解していな
いのは明らかだった。
それでも。
アンリは最後まで彼女の面倒を見ようと決意していた。
たとえ、命に代えても。
翌日、根城にしている安宿を出たアンリはその足で商業ギル
ドに向かった。
クロエに会う前に、確かめたいことがあったからだった。
「どうした? こんな朝早くから。クロエのために勤勉になる
のは歓迎だが、行く先が違うんじゃないかな?」
突然の幼なじみの来訪を、セザールは少し驚いた様子で迎え
てくれた。
「確か、お前さんのところには色々な情報が入ってくるよな?
最近この街に来た余所者のことが知りたい」
「情報料は高いぞ。貧乏なお前に払える額じゃない」
「……。クロエがお前さんの家に遊びに行くように仕向けてや
ってもいいんだがな」
「よし。なんでも聞いてくれ。今日の僕はとっても気前がいい
からな」
「現金な奴だな。相変わらず」
精一杯の皮肉にも、セザールは微笑して眼鏡を軽く上げただ
けだった。
それでも、内心では友人の鷹揚さに感謝しながらアンリは本
題に入る。
「知りたいのはディミトリ・クラウスって奴だ。魔法使いだっ
て自称してるが、本当か?」
「ああ本当だ。ただ、魔術師ギルドからは追放されている。は
っきり言って危険人物だ」
嫌な予感は急速に形を成して、アンリの心を包み込んだ。
古代の魔法兵器を封じる少女を狙う魔法使い。
たったそれだけで、<敵>と決めつけてもいい程だった。
「追放された理由は分かるか?」
「お約束の理由だな。自分の実力を認めてもらえなかったから
らしい。見かけは温和なんだが、自分の才能に完全に溺れて
いるような奴だ。鼻持ちならないな」
「俺の友人にも似たような奴がいると思うが、気のせいか?」
「さてと、そろそろ僕は仕事に戻るかな」
「悪かった悪かった。話を続けてくれ」
冗談半分本気半分の言葉で、これ以上の手がかりを失うわけ
にはいかず、アンリは慌てて頭を下げた。
しかし、セザールは笑みを消し去り、目を細める。
「アンリ。なんでこんな事を聞くんだ? また厄介事に巻き込
まれたのか?」
「別に。大したことじゃねえ。ちょっと噂で聞いたからな」
「ならいいんだが、気をつけろよ。今のお前は赤魔の山の魔物
を封じた時のお前じゃない。言葉は悪いが、ただ力が強いだ
けのごろつきに過ぎないんだ」
「ほっとけ」
率直な言葉に、勇敢な青年は鼻を鳴らした。
あの魔物を封じた時に持てる力の全てを使ってしまった為に
幼少の頃から鍛えてきた剣術なども忘れてしまったが、後悔は
していなかった。
それが一番正しい選択だったと、信じていたからだった。
……でも、こうなると辛いな。こいつは頭は切れるが戦いは
まったく駄目だし、俺の知り合いにも戦えそうな奴はいない。
とすると、手は一つだけだ。
「なあセザール。ちょっとだけでいいから金を貸してくれ。働
いたから返す」
「利子は三日で一割。それ以下は譲れないな」
「お前なあ……」
「貸し倒れの危険が街で一番高い奴に貸すんだ。貸さないとい
うよりましだと思うんだな」
「分かった分かった。それでいい」
「そういえばトライフ武器店で最近、ツケ払いを始めたと聞い
たな。身元が確かな客なら商業ギルドが支払いを保証すると
いう画期的なものだ」
「……本当か?」
「まあ、お前さんの場合は<風の神にして商売の神ヴァーユの
ように寛大なセザール・フランク様の名にかけてツケ払いに
して下さい>と呪文を唱えれば何とかなるだろうな」
我が意を得たかのように、アンリは満面の笑みを浮かべた。
本人は隠しているつもりだったが、誰が見ても分かるほど、
喜んでいる程だった。
「そうか。だったら金は貸してくれなくてもいいぜ。お前さん
なんかに借りたら利子の代わりにクロエを持ってかれそうだ
からな」
「クロエを担保にするなら幾らでも貸すがどうだ?」
「お前、それでも商業ギルドの人間か!? ……邪魔したな。さ
っそくあの世間知らずなお嬢様の手伝いをしてくるぜ」
幼なじみの返事を聞かず、アンリは疾風のような勢いで部屋
から飛び出していった。
表面上はいつもの不敵な笑みを浮かべていたセザールだった
が、足音が消えるのと同時に。
無表情になると、目線を落としてつぶやいた。
「……馬鹿野郎。またおとぎ話になっても知らないからな」
アンリが何をしようとしているか、分かっていた。
しかし、その結末は運命を司る神さえもまだ分からないまま
だった。
かつて魔術師に所属していた魔法使いのディミトリは、栗色
の髪の少女……クロエが封印されていた遺跡が見渡せる木陰に
隠れていた。
ギルドから追放された時に魔力の全てを失ったことになって
いたが、巧みな魔力隠しのお蔭で、半分近くを温存することに
成功していた。
追放されたのはかえって好都合だったな。逆に目的に近づく
ことができた。もうすぐだ。もうすぐ復讐を始められる。
姿と気配を完璧に魔法で消し去った状態で、ディミトリはほ
くそ笑んだ。
<いわれのない激しい中傷と著しい無理解>によってギルド
を追放された時には激しく恨んだものだったが、今では感謝し
たい程だった。
こうやって、自分の本当の実力を見せつける機会が訪れつつ
あるのだから……。
そのような事を考えていると、街の方角から人の気配を感じ
た。
昨日、封じられた少女と共にいた青年……アンリだった。
背中には大剣を背負っていたが、その為にかえってバランス
が悪くなっているのか、足どりはどこかぎこちなかった。
武器を手に入れたのか……。でも怖くない。あいつは魔物を
封じるのに全ての力を使ったから剣はほとんど扱えないはず。
その判断が自信となった。
アンリが遺跡の前まで来るのに合わせて、魔法を解いて堂々
と姿を現したからである。
「……。お前、隠れてやがったな」
アンリの言葉には、強い警戒心が隠されていた。
既に自分の正体も目的も相手に知られていることか分かった
が、ディミトリには関係なかった。
立ち塞がる邪魔者は倒してしまえばいいのだ。
今までギルドでやってきたように。
「ええ。魔法が使えますからね」
「……何が狙いだ? セザールみたいにクロエをただ口説きた
いだけでは無さそうだな」
「古代魔法帝国の生き残りにも興味がありますが、一番欲しい
のは彼女が封じてきた魔法兵器です。これさえ手に入れれば
大陸は私のもの」
「やっぱりそうか……。ったく、これじゃクロエも平穏に暮ら
せないな」
「強い兵器があると聞けば目の色を変える連中は幾らでもいる
でしょうね。この王国のように大貴族たちが牽制し合ってる
と尚更ですけどね」
自分の暮らす王国の現状を思い出して、アンリは苦い顔を浮
かべた。
見かけの上では平和を享受していたが、その政治はきわめて
不安定であり、策謀や小規模な反乱は絶えなかった。
もしそこに破滅的な魔法兵器が加わったら……。
「現実なんてそんなものです。ですから私が手に入れて、真の
平和をもたらしたいのです。私のような人間が手に入れれば
きっと世の中は平和になりますよ」
「そうやって、クロエを口説くつもりだな?」
「仲間に引き入れるだけです。私と彼女が組めば、魔法帝国時
代のように大陸に平和を導けます。私は平和王と呼ばれるよ
うになり、あの少女は王妃となるでしょう」
内心の激しい感情を抑えながら、アンリは背中から大剣を引
き抜き構えた。
正確には、構えようとしてあまりの重さにその場に転びそう
になった。
赤魔の山で戦うまでは頼りになった大剣の重さが、力を失っ
た今ではただの行動の妨げにしかならなかった。
くっ……。こんな奴前なら簡単に倒せたっていうのに! た
とえおとぎ話が終わったって俺はすることがあるんだ!
「そんなへっぴり腰で立ち向かってくるとは……。大したもの
ですね。では全力でお相手してあげましょう。近く訪れる新
しい王国の為にも」
「けっ。言ってろ。てめえは自分が一番偉いって思い込んでる
だけの屑だ! そんな奴にクロエも魔法兵器も渡すわけには
いかねえ!」
「屑に屑呼ばわりされるとは心外ですね。その言葉、後で後悔
させてあげましょう」
ディミトリの顔から笑みが消えた。
自分という存在を最高であり絶対と信じて疑わないので、ち
ょっとした言葉にも過敏に反応する。
それがまた、心の偏狭さを強調しているのだが、本人はもち
ろん気がついていない。
「後悔するのはそっちだぜ。赤魔の山の魔物を封じた勇者様が
たまたまクロエに関わったんだからな」
「口上はそれまでです。では、いかせてもらいます」
ディミトリの短い言葉に合図にして。
古代魔法帝国時代の兵器が封じられた遺跡の前で、剣と魔法
による戦いが始まった。
石に囲まれた居間で、クロエはまんじりとしない時を過ごし
ていた。
朝起きた直後は、アンリが来るのを楽しみにしているだけだ
ったのだが、少しずつ日が高くなっていくにつれて、嫌な予感
が込み上げてくるようになったからである。
昨日アンリさんが言ってたことが気になります。もっと人を
疑えと。みんな親切そうだったのに……。
多少気になるといえば、商業ギルドを出た時に会った青年こ
とディミトリだった。
魔法使いであることは魔力を感知しなくても分かったが、こ
の言葉に偽りが含まれているような気がしたからである。
アンリさんやセザールさんの言葉には嘘はまったく感じられ
なかったのに、あの人の言葉には……悪意があるような気がし
ます。しかも、それを隠しているような……。
その悪意は、自分が作り出した魔法兵器に繋がっているよう
な気がしてならなかった。
幾ら能天気なクロエといえど、自分の作り出した兵器の恐ろ
しさは十分に理解していたので、警戒しないわけにはいかなか
った。
とにかく、アンリさんが来たら話を聞いてみないと。あの人
が言うからには何かあるのかもしれません。
ぐっと拳を握って決意を固めたときだった。
魔力が待ちかねていた人物……アンリの来訪を告げた。
遺跡の前で大声を上げている姿が見えたのだった。
「やっと来てくれたのですね。今すぐ開けます」
相手が親切にしてくれた青年だった為に、クロエはまったく
警戒していなかった。
出入り口の封印を解くと、居間に迎え入れたからである。
「悪いな。遅くなって」
クロエと目が合うなり、アンリは軽く謝った。
「いいえ。まずはお茶にしませんか? どうせ日は長いんです
から」
「ああ。昨日のお茶は美味かったぜ」
「二百年前の茶葉ですけれどね。魔法の力は大したものです」
「やっぱり魔法が使えれば一番だな」
そう言いながら、アンリは昨日と同じ席に腰掛けたが、クロ
エは形容しがたい違和感を覚えていた。
アンリはこんなに素直な性格だっただろうか。
三言に一言は怒られていたような気がしていたのだが。
「そういえば、セザールさんはどうしてますか?」
「セザール? あいつなら……仕事してるんじゃないか」
「そうですね。忙しいですからね」
「俺はここの片づけをしないといけないけどな」
何かがおかしかった。
昨日話をしている時、幼なじみの事になるとむきになったよ
うに言葉を重ねたものだったが、今のアンリは淡白だった。
……。まさか、ここにいるのは……。
疑いたくはなかった。
しかし、昨日のアンリの言葉を思い出し、こっそりと魔力感
知の魔法を使う。
もし魔法を使っているのであれば……。
「そこまでだ。さあ魔法兵器の場所に案内してもらおうか」
アンリから強く、歪んだ魔力を感知するのと同時に。
古の少女の首筋に短剣の切っ先が当てられた。
その痛みは身体を貫き、心を深く切り裂く。
振り向かなくても分かった。
口うるさいながらも頼りになる青年の姿が消えて、一度だけ
会った魔法使いが歪んだ笑みを浮かべているのが。
幻覚の術を使って、姿を変えていたのだった。
「あなたは……」
「昨日声をかけさせてもらったディミトリだ。お前の正体は全
部知っている。魔法帝国時代にとてつもない魔法兵器を造り
出して封印されたのだったな」
「……」
「その魔法兵器は私が役立たせてもらう。この大陸に本当の平
和をもたらす為だ。もちろん協力してくれるよな?」
「いいえ。協力しません」
ディミトリが驚くほど低い声で、クロエは答えた。
一千年以上に渡って封じられている間、考え続けていた。
自分の作り出した魔法兵器の持つ恐ろしさ、そしてそれを利
用とする人間の醜さを。
おとぎ話では触れられていなかったが、魔法兵器を利用しよ
うとしてきた人間はディミトリが初めてではないのだ。
「あなたも……同じなのですね。兵器を手に入れれば全て解決
すると思い込んでいる。そんな事はありません。また新たな
争いが起きて、最後は大陸が破滅するだけ。そんな光景は見
たくありません」
「き、貴様に何が分かる! 私は完全に否定されたんだ! 私
が一番だというのに誰一人信じてくれなかった! だからそ
れを証明してやりたいんだ! さあ、兵器をよこせ!」
「お断りします」
クロエの美しい唇から拒絶の返事が吐き出された瞬間。
ついにディミトリは行動に出た。
手にした短剣で魔力を媒介し、生意気な少女を自分の命令に
従う人形に仕立てようとしたのだ。
しかし。
魔法に関してはクロエの方がはるかに上だった。
「ごめんなさい……」
短く、そして心からの謝罪の言葉と同時に。
ディミトリは自分の身体が自分の意思で動かせなくなったの
を悟った。
足が勝手に動いて、クロエから少しずつ離れていく。
手には短剣を持ったままだったが、何もできない。
「ど、どうなってるんだ! どこに連れて行く気だ!」
クロエは悲しい表情を浮かべたまま、首を振った。
自分にかけられそうになった魔法をははね返しただけなので
仕掛けた本人にも分からない。
おそらく、身体が限界を迎えるまで歩き続けるか、その前に
誰かに見つかるか。
そのいずれかになるだろうが、外に通じる通路の方へと向か
っているのは、クロエの意志によるものだった。
「……」
通路の奥からディミトリの叫び声が聞こえなくなるのと同時
に、クロエは大きく溜息をついて結論を下した。
自分の作った魔法兵器を目当てに愚かな人間が狙ってくる時
代は、自分の望んでいるものではなかった。
「また、眠らないと駄目なのね……」
俯いてつぶやく。
あと何回、同じ絶望を繰り返せばいいのだろうか。
おとぎ話はいつ、終わるのだろうか。
目頭に浮かんだ熱いものを振り払って、古の少女は居間の奥
にある部屋へと向かった。
一度ここに入り直すと、また二百年この古い遺跡に閉じ込め
続けられることになるが、これしか道は残されていなかった。
「済みません……。アンリさん。あなたの仕事を無くしてしま
って。でも、あなたのおとぎ話はもう終わっています。また
新しい物語を見つけてください」
自分を納得させるかのようなクロエの言葉が終わるのに合わ
せて、石造りの扉が重い音をたてて閉じられた。
次に居間に出てくるのは数十年後、そして外の世界に出るの
は約二百年後のことになる。
その時、世界はどう変わっているのだろうか……。
<……。こうして、魔法兵器を封じる少女は再び永い眠りにつ
きました。
しかし、かつて勇者だった青年は魔法使いとの戦いには破
れたものの、奇跡的に生きていました。彼は少女が再び眠り
についたことを知ると、八方手を尽くし、偉大な魔法使いに
ある魔法をかけてもらいました。それは、少女と同じ間だけ
石像となって眠り続ける魔法でした。アルントの街の南にあ
る古代魔法帝国時代の遺跡の前に、まだ新しい青年の石像が
あるのはその為です。
おとぎ話は、まだ終わっていないのです……。
「続・ランビエール地方のおとぎ話」より>
(終わり)