引きこもりと父親。
「……あいつの様子はどうだ?」
「さあ、どうかしらねぇ」
日付が変わる頃。俺が会社から帰ってくると、顔に大きな青痣のあるミサコが、ため息まじりに出迎えた。
俺がミサコと結婚してもう三十年が過ぎようとしている。いつまで経っても子宝に恵まれず、不妊治療にも気疲れし、もう養子でも取ろうかという話をしていた頃にひょっこりとミサコは身籠った。
出産した時、ミサコはもう四十歳だった。そのせいか息子のシンヤは身体が弱く、内気で、いつもゴホゴホと咳き込んでいたのをよく覚えている。
「あの出来損ないめ」
「そんなこと言っちゃイヤだわ。中学校の時にあんなことにならなければ……」
「お前が甘やかすからあんな出来損ないになったんだッ!!」
「そんな大きな声出さないで、怖いわ」
ミサコは頭を抱えると、消え入りそうな声でそう言った。
シンヤは中学でイジメにあって、そのせいか高校受験に失敗し、それ以降「小説家になるんだ」と言って部屋に引きこもるようになった。生きてはいるようで、時折二階の部屋からギシギシと物音が響く。
そんな奴と顔を合わせるのも不愉快だったので、もうしばらく顔を合わせていない。顔を合わせると、何をしてしまうか自分でも分からなかったからだ。
だが我慢も限界だった。
「もう堪忍ならん…… 一日中部屋に引きこもって、パソコンとにらめっこしているようなクズは…… 始末してしまおう」
「シマツ? 何の話ですか?」
「殺すんだよ」
「はい?」
「考えてもみろ。このままあいつを飼って、何の得があるってんだッ?」
ヤるなら早い方が良い。
シンヤを殺して死体を処分するのに、どれだけ体力を使うか知れたものじゃない。ズルズルと先延ばしにすれば手遅れになる。いや、もう殆ど手遅れだ。年々腰痛は酷くなり、最近は目も悪くなった。肝臓も弱ったらしい。今を逃せば、もう機会はないだろう。
持っていた鞄を放り投げた俺は、台所の引き出しから包丁を取り出す。すると、血相を変えたミサコがしがみついて来た。
「やめて下さいッ」
「放せ馬鹿ッ! 考えてもみろ、アレがどれだけ金食い虫か、俺が老後のために貯めた金はどこに消えたッ! 毎日ネット通販で色々取り寄せて、その金は誰が払っていると思ってるッ!」
「そんなこと言わないで、中学校であんな事にならなければ」
「そんな話はしとらんッ! クソッ! また殴られたいかッ!!」
渾身の力で腕を振るうと、包丁を握っていた拳がミサコの顔面に当たる。グシャリと水っぽい音を鳴らした鼻からは、ツーっと赤い液体が流れ出た。
「あなた待ってッ!」
泣き叫ぶミサコを振り切って階段を駆け上がる。もうアレに未練などなかった。
シンヤの部屋のドアノブを回すが開く事は無かった。一丁前に鍵などかけている。それがまた腹ただしく、二度、三度とドアを蹴ると金具がガキンッと壊れ、思いの外簡単に破ることが出来た。
部屋の中は暗く、パソコンのディスプレイだけが不健康な光を灯している。卵の腐ったような臭いが立ち込めている中には、丸々と太った息子の姿があった。まるで豚のようだ。相当驚いたのか、細い目を見開いて口をだらしなく開けて俺を見ている。
「父さんッ?! ちょうど良いや、見てよコレ」
シンヤはどこかを指差した。だが、俺はもう話をする気は無かった。
手に持った包丁を豚の首に突き立てる。刃は深く入っていかず、手にはブヨブヨとしたゴムのような気色悪い感触が伝わってくる。
「なん、で? ガンバ…… ぁのにぃ」
一度刺しただけでは足りないようだったので、何度も何度も刃を突き立ているうちに、いつしか肉塊は動かなくなっていた。
「死んだか、この穀潰しが」
ふとパソコンを見ると、モニターにはネット小説家大賞の受賞を示す通知が灯っていた。
よく分からなかったが、とにかくムカついたのでパソコンを蹴飛ばしてやると、プツンと灯りが消えた。